社会構造を根底から変える可能性を持つAI、ビッグデータなどのテクノロジーの進化により、加速度的に変化していく人間社会、そして人間そのもの。そんなこれからの社会を変革するリーダーとなるには、何を考え、どう行動すれば良いのか。ビジョンを語り、周囲を巻込み、新たな価値を生み出し、不確実な社会を切り開いていく。

今回のイベントでは、こうした共通項をもつ三者が、事業開発の苦労やそれを乗り越えるための工夫・思想、社会変革に取り組む醍醐味などについて語り合いました。

【登壇者】

  • 株式会社サーキュレーション代表:久保田 雅俊
  • 株式会社マザーハウス 取締役副社長:山崎大祐氏
  • 特定非営利活動法人かものはしプロジェクト創業者・理事:村田 早耶香氏

外部の知見によって企業がイノベーションを起こす時代のマーケットとは

プロのシェアリングを通して企業のあり方と働き方を変えていく

久保田:今日はどうぞよろしくお願いします。まずはサーキュレーションの事業について。我々が行っているのはプロのシェアリングです。経験や知見が好循環する手法を探るため、優秀な人材を職能ごとに定義し、課題やプロジェクトベースで動いてもらうという働き方を提供しています。

プロジェクトマネジメントという言葉が使われて30年ほどですが、最近ではオープンイノベーションが企業に求められるようになりました。社内と外部、両方の知見を混ぜ合わせて新しいものを生み出そうとしていく概念です。よく語られるのは技術かもしれませんね。例えばトヨタはMITとタッグを組んで、ロボット開発における技術的なITイノベーションをしようとしています。外部の知見を使って、企業が回る仕組みが今できてきています。サーキュレーションがいるのはそんなマーケットです。

オープンイノベーションの観点では、弊社は設立してすぐにマイクロソフト社と連携して、200名規模の経営者を招いたサーキュレーターサミットを行いました。オープンイノベーションを具体的にどう推進していくのかという点に挑戦していこうとしている会社でもあるのです。イノベーションを起こせない企業に向けたアイデア提供も行っています。

事業としては事業承継の問題にも積極的です。地銀さんと組んで、事業承継をする先がいない企業にプロ人材を活用していただく。また、技術系はまさにワークシェアリングが可能ですから、日本のCTOの方々に多く登録いただいています。ブロックチェーンの活用にもトライしようとしています。

事業と社会問題とのつながりを明確に言語化し、ストーリーを語る

サーキュレーション久保田

久保田:僕自身は起業家として、「自分のサービスがどう社会に繋がっているのか」ということへの理解、そして言語化が非常に大事だと思っています。

例えば我々のマーケットによって、人が行き渡らない中小企業の脆弱性や、事業承継の問題をクリアできる可能性があります。稼働しているプロの専門家の一部はシニア層なので、シニアが退職した後に知見を発揮する場を生む出すことができる。大企業にアイデアを提供して、オープンイノベーションによってサービスを新しく生み出せる。そして、将来的には例えば日本に長けているものを後進国に与えることで、海外との知見の循環をボーダレスにできるのではないか、とも思っています。

教育のマーケットにも非常に注目しています。METI(経済産業省)からの受託を受けて女性のリカレント教育分野に携わっていますが、やはり日本人そのものが社会に出てから勉強しなさすぎている。国際競争力どころか、自国のことも知らない状態を打破したい。僕自身が社会に出てから様々なことを学んだという背景があり、思いも強く持っています。

ただ、社会性だけでビジネスは成立しません。利益だけを追求しても意味がない。どこに主軸を置くのか、今後いろいろな企業がはっきりさせていかなければならないと思っています。だからこそ、将来につながる社会性のストーリーが本当に大切だと考えています。

豊かさを問い続けたエコノミストが届けたい「本当に価値あるもの」

現地の素材を再発見し、現地の工場で新たな商品を生み出す

株式会社マザーハウス山崎

山崎:株式会社マザーハウスの副社長を務めています、山崎と申します。今日は本気で議論できそうな場だと思い、楽しみにしてきました。どうぞよろしくお願いします。

僕たちの理念は、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」です。途上国には貧しい、かわいそうというイメージがあるかもしれませんが、途上国にも努力をしている人はいるし、現代だからこそ面白い価値を持つ素材があり、先進国では失われてしまった技術が残っています。それらに光を当てて、ものづくりを通して途上国のイメージを変えたいという思いで13年前に発足した会社です。

最大の特徴は、実際に現場に足を運び、ゼロから素材を探してものづくりを行っていく会社だということです。僕は一昨日までミャンマーの鉱山にいました。

事業のスタートはバングラデシュから。当時、最貧国と言われていた国です。「ジュート」と呼ばれる麻の素材を見つけ、バッグにしました。現地で一人ひとりスタッフを雇い、工場も立ち上げました。第二の家と呼んでいます。現在は、バングラデシュで4番目に大きいバッグ工場にまで成長し、300人弱のスタッフが働いています。

2009年にはネパールに進出。ネパールは内戦状態が続いたり震災があったりして、今アジアで一番厳しい国です。ただ、シルクやウール、カシミアなどの良い素材が豊富。その素材を使って、現地の女性にストールを手織りしてもらっています。

2015年からはインドネシア。ジョグジャカルタには王宮文化から続く伝統工芸が残っていて、その技を使って金のジュエリーを作っています。

2016年からはスリランカ。スリランカの採掘場では素晴らしい石が豊富に採れるのですが、これまではただ原石を輸出するだけでした。そこで、オリジナルのカット技術によって原石をジュエリーに加工する工房を現地に立ち上げました。

去年進出したのはインドです。カディと呼ばれる生地を作っています。もともとはイギリスの植民地時代、ガンジーが経済的自立を勝ち取るために広めた生地ですが、古臭いものになりつつありました。それをやはり現地の工房で、技術革新しながら新しいものとして作り直し、売り出していこうとしています。

そんな風に自分たちが思いを持ってつくったものを自分たちの手で直接届けるために、日本と台湾に直営店を37店舗展開しています。現在働いているスタッフはグローバルで600人。その他、外部で生産従事しているスタッフを含むと1000人を超える人が働いている会社です。 2019年の3月にはシンガポールへの進出が決まっています。

ベトナムのストリートチルドレンの「夢を信じる豊かさ」がビジネスの原点

山崎:僕自身は以前ゴールドマン・サックス証券でエコノミストを4年間務めていましたが、2006年にマザーハウスの立ち上げに参画。2007年に副社長に就任しました。

この経歴の原点は、19歳のときにベトナムのストリートチルドレンと過ごした経験です。僕は母子家庭で経済的に厳しく、大学には紆余曲折を経てなんとか入れたという状態でした。ただ大学の授業よりも、とにかく世界の貧しい子どもたちのドキュメンタリーを撮りたいという思いがあり、現地でカメラを回したのです。

子どもたちと路上で生活してみると、みんなすごく元気です。夢も語ってくれます。かわいそうな子どものドキュメンタリーを撮ろうと思っていた僕には衝撃的でした。そして感じたのは、たとえ経済的には厳しくとも、夢を信じている彼らは豊かではないかということです。一方で、現実としてはアジアの金融危機がありました。社会的な要因で子どもたちの人生は救われないものになってしまいます。そう考えると、日本は経済的には豊かです。でも、本当の豊かさとはなんだろうと疑問を抱きました。そこで、大学で経済学を勉強して、前職でエコノミストになったのです。資本主義のあり方とは。そもそも資本主義はどうなんだ。そんなことを議論しながら4年間働きました。

そんな中、マザーハウス代表の山口がバングラデシュに赴いて彼らにものづくりの可能性を見出し、僕にバッグを見せてくれたのがマザーハウスの始まりです。彼女は大学の後輩で、20歳の頃からいろいろな議論をしてきた仲です。彼女の考えに賛同して、お金を出し合い共同創業しました。

経営者として考えているのは、今現在、価値あるものが価値あるものとして消費者に届いていないという問題です。大企業ならお金をかけて宣伝できますが、ベンチャーや中小企業はどうやって伝えればいいのか。まずは自分が学ぶべきだと感じて、株式会社Queというブランディング・マーケティングを行う会社も経営しています。

「子どもが売られる」問題の1日でも早い解決を目指して

大学時代に自分の目で見た、性的搾取をされる10歳にも満たない子供たち

特定非営利活動法人かものはしプロジェクト村田

村田:特定非営利活動法人かものはしプロジェクトの共同代表を務めている村田です。どうぞよろしくお願いします。

かものはしプロジェクトとは、「子どもが売られる」問題をなくす活動をしている団体です。子どもが売られるとはどういうことか。主に途上国において、子供たちが騙されたり、貧しさゆえに売春宿で強制的に働かされるという、子どもの人権を侵害する状況があるのです。

かものはしプロジェクトは私が大学3年生、20歳のときに仲間と3人で始動し、17年続いています。

そもそものきっかけは、大学で海外支援について学ぶ中で、子どもが売られる問題を知ったことです。実際の被害者の話が掲載された新聞記事が非常に衝撃的でした。ある女の子が取材対象で、その子は私と1歳違い。ミャンマーの山岳少数民族の村に生まれ、お母さんは病気で亡くなっており、お父さんは障害で働けない状態で、非常に貧しい生活をしていました。彼女が12歳の頃、都会から来た男の人から、都会に子守りの仕事の出稼ぎに出れば、弟や妹がお腹いっぱいごはんを食べられて、学校にも通えるかもしれないと誘われました。意を決して承諾し、出稼ぎに出たところ、「子守りの仕事だ」と聞いていたのに、連れて行かれたのは売春宿でした。逃げ出そうとしても見知らぬ土地でタイ語もわかりません。鍵のついた部屋に閉じ込められ、暴行を加えられ、1日に10人近いお客さんを取らされました。病気予防もしてもらえず、最終的にHIVに感染し、エイズを発症しました。

その後保護施設で医療的なケアを受けることが叶いましたが、すでに末期症状。20歳で取材を受けたときは余命半年の状態でした。なぜ取材に応じたのかといえば、こんなひどいことが行われていると日本の人達が知れば、その話を聞いた人の誰かが、「こんな酷いことをなくそう」と行動してくれると思ったからだと語りました。

取材後、彼女は「本当は夢があって、学校っていうところに行って、勉強っていうものをしてみたかった。勉強をしたら警察官になって、自分のように売られる子どもを守れるから」と呟いたそうです。結局その夢は叶わず、彼女は20歳で亡くなりました。

生まれた場所が違うというだけで、私は湯水のように教育費を使い、バカみたいに遊びまくっていました。その一方で、彼女は家族のために私が着ていた1万円のワンピース1枚と同じ金額で売られ、命を落としたのです。

調べてみたところ、同じ被害に遭っている18歳未満の子どもが100万人もいることがわかりました。そこで大学時代にお金を貯めて、当時ひどい状況だったカンボジアに赴きました。いくつかまわった被害者保護施設には10代に満たない子どももいました。外国人が発展途上国でお金さえ出せば、子どもを自分の性欲を満たすための玩具として使って、全く罰せられることもなく自国に帰る。そんな現実が確かにありました。

私が訪れた施設で一番仲良くなった6歳の子は、そんな大人に利用されつくして、人と会話もできない状態でした。実際に状況を見て、その子と話をして、こんなことはあってはいけない、現状を知った人間がなんとかしないといけない。そう思い、活動を始めました。

50年かかると言われた困難な状況を、15年で被害者数2%にまで改善

村田:カンボジアでは売らせない活動と買わせない活動の2つを行いました。売られるのは、大体が農村に住んでいる母子家庭や両親のいない家庭の子どもやお母さんです。なので、売らせない活動の一環としてそういった人たちに農村で仕事を作り、働いてもらっています。実際に支援をした家庭の例を挙げると、当初家はぼろぼろで、食事は1日1食、卵と少量のごはんだけでした。それが7年後には安定的な収入によって同じ場所に立派な家が建ち、食事は3食、子どもは小学校に通うことができるようになりました。

買わせない活動を行う上では、加害者逮捕がほとんどできていないという状況がネックでした。子どもを買った人が捕まらない。違法な売春宿が儲かっているのに摘発されない。そんな状況を変えるため、警察の能力と意識を向上させる取り組みを全国で行いました。研修を行い、法律の内容を理解してもらい、ケーススタディを行いました。現行犯逮捕のノウハウも伝えていった結果、以前は年間82件だった逮捕件数が、9年後には9倍にまで増えました。逮捕が増えたことで、明らかな未成年者の被害者も減っていきました。未成年者が働かされるする前に摘発されてしまうと、売春宿は儲けが無いどころか損益が出るからです。リスクが高いとなれば、外国人も簡単には買わなくなります。その結果、以前は被害者の30%が18歳未満だったのが、2015年には2%にまで激減しました。

カンボジアに住んで活動を始めたころは、いろんな人からそんなことは40年も50年もかかるからやめておけと言われましたが、様々な立場の人が尽力した結果、カンボジア自体の経済成長も手伝って、法整備や執行の強化が進んだことで、被害者は15年間でほとんどいなくなったのです。

現在はカンボジアの次に被害状況がひどいインドに活動を進めています。

社会問題に向き合うリーダーの姿勢や醍醐味、逆境の乗り越え方

社会問題に取り組む入口となる体験が生み出す、怒りと悲しみという原動力

久保田:では、ここからパネルディスカッションとさせていただきます。まずお二人にお伺いしたいのは、そもそも社会問題にどのようなマインドで取り組んでいるのか。やや抽象度の高い質問ですが、考えをお聞かせください。

山崎:そもそも僕は社会問題に取り組んでいるという意識はあまりなく、ソーシャルという呼び方もしていません。というのも、僕の場合はたまたま喜怒哀楽のスイッチがビジネスの起点にあったというだけなんです。努力しているのに経済的な理由で可能性を発揮できない、途上国だから、学歴がないからというラベリングをされて虐げられている人たちを見たことが、怒りの原動力になっています。

前職は資本主義の中心のような場所にいましたが、富めるものは富み、貧しいものはどんどん貧しくなるという仕組みが許せなかった。ビジネスをしていても納得できないことはたくさんありますが、フラストレーションをそのまま仕事に昇華していかないといけないので、納得感はありますね。

でも、怒りではなく喜びが原動力の人もいます。こういう人のためにがんばりたいとか、笑顔を見たいといった理由ですよね。お二人は怒りですか?

久保田:社会問題の部分でいくと多少の怒り。一方で、問題を俯瞰して見て、自分で解決するのが好きだという部分は喜びなんでしょうね。怒り自体は起爆剤にはなっても、そんなに続かない感情ですから、どちらかというと自分自身が課題解決する気概を持つ入口のような気がします。

村田さんはいかがでしょうか。社会課題のど真ん中だと思いますが。

村田:どちらかというと悲しみの方が強いかもしれないですね。私の場合は「この話を聞いた日本人の誰かが、きっとこんなひどいことをなくそうとしてくれるはず」という少女の言葉どおりに開始して、活動がナチュラルに社会問題につながっています。不条理な状況を目の当たりにしたり、課題が重すぎて受け止めきれないこともたくさんありました。逃げよう、辞めようとしたことが何度もあります。

でも、どうしてもここに戻ってきてしまう。だったら、やはりやったほうがいいんだと思って、17年やり続けています。

久保田:体験したときの衝撃が非常に大事ですよね。僕自身も最初のきっかけは、父親が倒れて、会社が回らなくなってしまったことです。そして自分だけでなく、大勢の人が同じ事態に陥りそうだということがわかった。根底に大きな社会に課題があり、そこを解決する必要があったのです。村田さんのお話にあった、一人と向き合ったら対象が100万人いたというのは衝撃だと思います。

成果そのものが社会課題の解決になる。人と人を繋ぎ、価値共有が広がる喜び

久保田:次の質問もやや言葉が難しいのですが、社会の仕組みを自らの手で変える醍醐味についてはいかがでしょうか?

村田:活動を進める中で被害者が減ったという事実を見たときが嬉しかったですね。学校に行けなかった子が学校に通えている、洋服1枚しか持っていなかった子が3枚買えた、生活が良くなって毎日3食食べられている。そんな変化が喜びです。

あとは、日本の支援者が「私の代わりにこの課題を解決してくれてありがとう」という言葉とともに寄付をしてくれることがあります。そういう体験は得難いものです。

久保田:社会課題を解決する仕組みをつくって、実際にカンボジアの子どもたちを救ったのだと思います。そのキーとなる要素は何だったのでしょうか?

村田:対症療法だけではなく、構造にアプローチをするということが重要です。カンボジアも本当は法律を変えるところから始める必要がありました。インドでは今まさに、支援をしているインドの仲間達が法律を作ろうとしていて、カンボジアよりも早く活動が進んでいます。

久保田:山崎さんはソーシャルという言葉は使わないとおっしゃっていますが、世の中から見るとソーシャル的な側面が強い。ビジネスで社会問題を解決していく醍醐味について、いかがでしょうか。

山崎:仲間にすごく恵まれることですね。素晴らしい仲間と素晴らしい時間を過ごせて、なおかつお客様の人生が変わる。ただバッグを売って、買ってもらっているわけではありません。背景にあるストーリーと価値観、さらに言えばミッションを共有してくれていることになるので、売った数だけつながりが生まれます。売上がそのまま価値観の共有なのです。

自分たちのサステナビリティと自分たちが幸せになるための利益還元の重要性

久保田:逆に、利益についてはどのように考えていますか?

村田:プロジェクトへの支援は一口1000円からで、現在月々1000円の支援をしてくださっている方が9000人ほどです。そういった仕組みがあって、インドに十分な活動資金を送ることができており、比較的きちんと安定的な運営ができています。

また、働いている人にも比較的業界の中では給与が出せていると思います。

金銭的な対価を払えるというのはもちろんすごく良いことですが、さらにメンバーみんなでコーチングを受けたり、社内で対話をしたりといった、自分と向き合い、自分をより幸せにしていくための機会を多く提供している部分にも大きな意味があると思っています。

山崎:うちはビジネスとしてきちんと利益を出している会社です。まずは自分たちのサステナビリティが無いといけませんから。最低年収300万円という構想を持っていて、たとえ高卒の新卒でも、300万円は確保できるようにしようと環境づくりをして、達成してきました。

もう一つ重要なのは、自分たちの信じる価値に投資をするためにも利益が必要だということです。お金がないと何もできない。ですから一定の利益率も決めています。利益は自動配分されるようにもなっていて、何%は全員の賞与、何%は役員の賞与、といった形で配分が決まっています。最終的に利益を還元していくというのは、ルールとして定めています。

また、本当はセーフティネットを作り、お客様のためを思ったルールを制定することが大切なのに、どの企業もやらないんです。日本流でやっても無理だと言ってローカライズしてしまう。

でも本質としては、何を信じてどんな商品を何のために売っているのか、ミッションをよく理解することが大事で、それは万国共通です。一度そちらに回帰してみた方がうまくいく。そういう体験がすごく多かったです。

久保田:実際に素材が素晴らしかったこと、それをより良いデザインに変えていきブランディングを行ったのは、他社ではなかなかやれなかったことだと思います。

山崎:フェアトレードを謳っている企業はたくさんありますが、現地にほとんど赴かない企業も少なくありません。1年に1回オーダーをして終わりという会社も見てきました。でも僕たちは、その商品やサービスが本当にお客様にとって良いものなのか、欲しいと思ってもらえるものなのかどうかに現地で向き合ってきました。それは、代表の山口がベンガル語を喋れるし、年間8割は現地で活動をしているからこそできることなんです。やっていることは実にシンプルですが、やろうと思う人はなかなかいない。結果としてそこが差別化されるのだと思います。

あらゆる逆境を乗り越えるために必要な環境と考え方とは

久保田:では、逆境との向き合い方はいかがでしょうか。

村田:一番の逆境は24歳のときでした。カンボジアに進出して2年目で、その頃は最貧困層の子どもたち向けにパソコン教室を開いて、IT教育を施していました。卒業後に仕事を得てもらうためです。実際に受講者は就労していくのですが、都市部の子どもに就労支援をしても、被害者は全く減らせていなかったことに気づきました。被害に遭っている子たちはそもそも学校教育を受けていない、農村の貧困家庭がほとんどだったのです。

ただ、孤児院に保護されていたような子どもが、IT教育を受けてエンジニアとして成長し、シンガポールの高校に留学が決まり、次はアメリカ進出を目指せるようになった。IT技術のおかげで高給取りになって、家族を全員養えるようになった。そんな事例が出てきました。それも社会的な意義がある正しいことです。

だからこそ、そもそも私たちは一体何をしたかったのか、何のために存在しているのか議論がぶつかり、3年目に組織が分裂してしまいそうになりました。私はうまく調整ができないストレスから、1週間以上不眠状態が続きました。親の反対を押し切ってまで始めた活動なのに、自分のせいで人を露頭に迷わせるかもしれないと、自分を責めました。

追い打ちをかけたのが、私が学生時代に会ったカンボジアの6歳の女の子が、売春宿に戻ってしまったことを知ったことです。一番助けたかった人を助けられなかった。それが本当に悔しくて、精神的に追い詰められてしまいました。

そんな状態を救ってくれたのが母親でした。世間から非難されても逃げてもいい、自分の大事な娘だからそばにいてほしいと言葉をかけてくれたんです。そこからようやく自分たちが何をすべきか、きちんと創業メンバーや経営陣と話し合うことができました。その結果、今成果が出ている事業を捨てて、2008年に方針転換をしました。

その時が一番きつかったので、それを乗り越えてからは、ほかのことはなんてことはありません。

山崎:「1人にならない」というのは重要ですよね。自分が素になれる場所、すべてを忘れられる場所を持つことが必要だと思います。それに、僕も20代で経営者になっているので、人間的にはまだまだ未熟です。完璧なマネジメントをしようとはせず、環境の変化や自分自身の変化による逆境があったときに、自分の弱さを見せられるというのは非常に大切だと思っています。

もう1つは、自分の逆境をきちんと言語化することです。一体何が逆境で、問題がなんなのか、実は理解できていないケースが多い。言語化して周りに共有するとチーム力がアップしたり、何か違うアセットに繋がることもあるので、会社的には逆境に直面するのはラッキーなことだと思っている節はあります。

久保田:哲学的な話ですが、お先真っ暗になるような逆境の連続があったとしても、結局は向き合って乗り越えるしかない。できる限り全力で向き合い、行動して、どこかできちんと自分自身を保つ。そういう精神状態になると思います。

山崎:1つ大事にしている言葉が、「オプティミスティック」という言葉です。楽観的になるという意味ですが、語源は「オプティマス」。これはラテン語で、最善を尽くすという意味です。楽観的というのはただ何か良いことが起きるだろうと考えるのではなく、最善を尽くし続けるということです。僕は昔、結果を求めがちでしたが、今はマインドが変わって、自分が最善を尽くせたかどうかに評価のポイントを置くようになりました。

久保田:諦めないというのは、最善を尽くすということなんですよね。

さまざまな社会問題と関わる三者が導き出す、現代の「豊かさ」の答え

久保田:最後に、豊かさとは何か。お二人とも豊かではないシーンもたくさん見てこられたと思いますが、いかがでしょうか。

村田:カンボジアの農村の人たちは、何か社会変化が起きたときに大変な状況に陥りやすいのですが、一方ですごく幸せそうな方たちがたくさんいます。お金で豊かさは決まらないのかなと思うことが実体験としてありました。例えば、農村の高床の家は横になると身体が痛くなってしまうような寝心地ですが、夜空の星がプラネタリウムよりも多く綺麗です。そんな環境の中に身を置いていると、豊かさとはなんだろう?とすごく考えます。

自分の思っていることを行動にできていること。嘘がないこと。良い仲間たちと繋がっていること。そういったことが人生的な豊かさなのではというのが、今辿り着いている答えです。

山崎:現代は、自分自身の意味を失っている人がすごく多いのではないでしょうか。ただ僕たちは、僕たちがつくっているバッグにはすべて意味があると思っている。きちんと自分の存在意義を信じられる。それはコミュニケーションでもあるし、人と人との繋がりでもある。ものづくりを通してそんな豊かさを実現できているのではと思います。

久保田:時代によって豊かさの概念も変わってきていますよね。これまではモノが足りない、食べるものがないという時代だったのが、現代は最低限のものはベースとして揃っているという形になりつつある。ワークライフバランスを求める時代を迎えていて、今日のような心の芯に響く話しもなかなか聞けなくなっている中で、自分が信じているものを軸として一本持っている、そしてそれを徹底的に実行できている人は強い。そういう人は何があってもブレることはないし、豊かであると感じます。

では、パネルディスカッションはここで終了とさせていただきます。お二人とも、ありがとうございました。

パネルディスカッションを終えて