「フリーランス・ライター」として生きている実体験をもとにこの連載を書いているからには、現在までに味わったリアルな苦労も告白しなければならないだろう。フリーランスとしての活動期間はまだ2年ばかりなので、苦労話としては大したレベルではないかもしれない。それでも当時は「この先、いったいどうなるのだろう」と途方に暮れたものだった。

 

そもそも僕がライターになりたいと考えるようになったのは10代の頃だった。小・中・高校と学校生活を送る中で「自分は文章を書くのが得意だ」ということを何となく認識し、いずれはそれを仕事にしたいと思うようになっていた。

 

大学を辞めて何のあてもない状態で上京したのが20歳のとき。いくつかの編集プロダクションに志望理由だけを延々と書き殴った履歴書を送ったのだが、一つも返信はなかった。これはきっと、僕などがくぐることはできない狭き門なのだ。そう思って、少しでも文章を書く仕事に近づくために選んだのが求人広告の仕事だった(もう少しの根気と覚悟さえあれば、あの当時でも編集プロダクションに潜り込むことはできたかもしれない)。

 

20代で身につけた力がライター業に生かされている

結果的に、求人広告の仕事はたくさんのことを教えてくれた。世の中にあるほぼすべての業種が営業対象なので、必然的に世間というものを学ぶことができる。働く人の思いや現実を知ることもできる。大手から中小まで、さまざまな企業の経営者と会える。その一方で開業医や建設業界の一人親方と話す機会も豊富にある。高い目標を背負った営業職としての日々で、プレッシャーやストレスへの耐性も身につけた。

 

20歳から31歳まで、10年半にわたりその仕事を続けた。結果的に僕は初対面の、それなりに社会的ステータスの高い人を相手にしても物怖じしない人間になり、取材活動を糧にして生きるライターとしての基盤を作ることができたのだと思う。そして運良く中途採用で編集プロダクションに入ることができ、文章を書く仕事の基礎を学んだ。

 

そして半年後に会社を辞め、フリーランスに。勢いと成り行きで始めたようなものだった。家に帰れば1歳半の子どもがいる。妻の顔は、大げさでなく青ざめていた。

 

「嫁ブロック」をクリアするための2つの約束

前回の稿で詳しく書いたのだが、フリーランス・ライターとしての活動を始めるにあたり、僕は「求人広告とメディア」の二本柱で仕事をしていくと決めていた。ところが、独立当初に取引していたのは求人広告関係の1社だけ。今では信じられないことだが、その頃は1社との取引に専念しても十分な稼ぎが得られると思っていたのだ。もしタイム・マシンがあるなら、全力で当時の自分を説得しに行きたい。「せめてあと2〜3社は取引先を作るべきだ」と。

 

どんな業種であれ、正社員で働いているうちは最低限の固定給がある。それをかなぐり捨てようというのだから、当然妻からは大反対された。「正社員で転職してもやりたい仕事はできるんじゃないか」「毎月収入が変わるなんて無理」。僕が興味を持ちそうな企業の採用情報をリンクに貼って、毎日LINEで送ってくれた。

 

よく「嫁ブロック」などと言われるが、至極まっとうな反応だと思う。これからどんどん家計の生活費や教育費がかさんでいくというのに、好きこのんで不安定な道を選ぶとは……。それでも僕は頑固にフリーランスの道を選んでしまった。編集プロダクション時代に多くのフリーランス・ライターと付き合う中で、「フリーになればやりたいジャンルの仕事に集中できる」「やりようによっては会社員よりもずっと稼げる」ということを発見していたからだ。要は、極めてポジティブなロールモデルだけを見ていたのだった。

 

最終的に、フリーランスになることを妻に了承してもらうため、2つのことを約束した。1つは「売上目標を立てて進捗管理すること」。もう1つは「半年後にその目標をクリアできていなければ、業種を選ばずに即正社員になること」。この約束をしていなければ、今僕はこの原稿を書いていなかっただろう。

 

「月の売上5万円」という絶望的な状況に

そんな風にして博打に挑むかのようにスタートした半年間は、案の定苦戦した。唯一の取引先はちょうど新しいメディアを立ち上げるタイミングだったこともあり、ローンチまでの当初の2カ月は豊富に仕事があったのだが、それ以降は急減した。書いてしまうとあまりにも詮無い話になってしまうが、月の売上が5万円ということもあった。

 

営業努力はいろいろとやった。少ないながらも、単発で仕事を発注してくれるクライアントもいた。クラウドソーシングにも登録してみたが、取材仕事をやりたいという思いがあって今一つ踏み切れなかった(当時、「医療系記事、1本500円〜」のような仕事が大量に見つかったのだが……。今思えばやらなくて正解だったのかもしれない)。

 

気づけば、「2週間先まで何もスケジュールがない」という状態になっていた。いくら何でもこれはまずい。生まれて初めて派遣会社に登録し、工場のラインに入ってお菓子の袋詰めをする日払いの仕事に挑戦してみたが、手先が不器用なので叱られてばかりだった。「人には向き不向きがある」と思って、今度はコールセンターに行った。長らく営業の仕事をしていたので、ここではインバウンドもアウトバウンドもそつなくこなすことができた。「あなたの電話対応は素晴らしい」と褒められることさえあった。

 

稼働分の給与申請をすれば、2日後には口座に振り込まれる。これを続けていけば最低限の収入は得られるかもしれないが……。「何のためにフリーランスになったんだ?」と、ため息をつかずにはいられなかった。

ライター:多田 慎介

フリーランス・ライター。1983年、石川県金沢市生まれ。大学中退後に求人広告代理店へアルバイトとして入社し、転職サイトなどを扱う法人営業職や営業マネジャー職に従事。編集プロダクション勤務を経て、2015年よりフリーランスとして活動。個人の働き方やキャリア形成、企業の採用コンテンツ、マーケティング手法などをテーマに取材・執筆を重ねている。