前回の記事でお伝えしたように、日系企業がオーストラリアに進出したころ、オーストラリアは労働者の天国でした。その労働者の天国がやがて、経済的にもう少し安定した国に変化していく過程には、自由党による政治があったことも忘れてはいけません。
今回はオーストラリアの労働組合運動がオーストラリア人の考え方や働き方に与えた影響と自由党が社会に与えた影響について見ていきたいと思います。
オーストラリア人気質
オーストラリアでは、オーストラリア人とアメリカ人をよく比較の対象にします。それは、両国とも昔はイギリスの植民地であり民主主義の発展した国でありながら、「気質」となるとかなり違っているためです。
アメリカ人は競争が好きで常に他の人よりも上になりたいと考えていますが、オーストラリア人は気さくで、威張っている人が嫌いです。そのため階級制度がゆるく、仲間意識が強く困った人がいると見返りを期待しないで助けようとします。また「平等」という考え方もしっかりしており、例えば、公衆トイレでは、いくつトイレの個室があっても一列に並び空いた個室から順番に入って行きます。
オーストラリア人気質を生み出した労働運動
こうした「気質」がどこから来たのかと言えば、まぎれもなくオーストラリアの労働組合運動のバックボーンになっている社会主義的な考え方が大元になっています。ただ社会主義と一口に言っても世界的に見ると様々なパターンがあるため、ここではあえて「オーストラリア的な社会主義」と表現したいと思います。
このオーストラリア的社会主義の考え方は筆者が入社した会社の従業員にも見られました。優越感を持った人や威張る人への反発、すべての人が平等に取り扱われるような配慮、そして困った労働者仲間を助けようとする仲間意識など、はっきりとした「姿勢」を感じさせたのです。その一方で、「会社から搾取されたくない」という思いがストライキに入ったり、不真面目な働き方をしたりと負の部分につながってしまっていました。そしてそうした組合の力があまりにも強かったため、当時のオーストラリアは労働者の天国だったのですが、同時に経済的に不安定な社会でした。
社会・経済を引き締める自由党の誕生
こうした不安定な社会にくぎを刺したのが自由党のハワード首相による長期政権の誕生だったのです。この政権は1996年から2007年まで11年間、4期続きました。自由党の歴史は労働党と比べるとずっと短く、自由党が誕生したのは今から74年前の1943年で、最初の党首はメンジーズでした。メンジーズは1949年~1966年まで自由党の党首として首相を務めました。メンジーズが自由党を形成するに至った経過には、当時の世界情勢が大きく関与しています。当時は共産主義のソビエト連邦と中華人民共和国が誕生し、これに対するアメリカやイギリスなどの自由世界との間でイデオロギーの闘争が起こり冷戦が続いていました。そしてオーストラリアでは社会・共産主義の思想を持った労働党が勢力を付けていたのです。この労働党の勢力を懸念して立ち上がったのがメンジーズでした。
そのため、メンジースは、常にアメリカ、イギリスと強い関係を持ち「反共主義」を政策の根幹とし労働党を圧迫することに集中しました。その結果、労働党の力は一時的に弱まることになったのですが、1972年にウィットラムが再度労働党の党首として政権を握り、それ以降オーストラリアの政治は連邦政府及び州政府において労働党と自由党の2大政党が勢力を占めるようになりました。その後、現在にいたるまでの選挙では、労働党と自由党が1~2期で政権を交代する傾向が続いています。
近年の自由党、ハワード政権
さて、話をハワード政権に戻しますが、ハワードは首相になると、それまで続いていた赤字財政に着目し、国営であった郵便、空港、鉄道、通信、電気、水道、病院などの公共サービス機関を民営化していきました。ただ民営と言っても売却するのではなく、経営をリース化する貸出制度にしたのです。また、消費税であるGSTを導入しました。こうした政策の甲斐あって、オーストラリア政府の赤字は低減し経済は安定していったのですが、それに並行して労働運動は弱まっていきました。それはストライキの数が激減したことでも良く分かります。
また、筆者が入社したころは労働組合に加盟することは強制的でしたが、ハワード政権の下では選択制に変わっていきました。そんな中、4期続いたハワード政権は4期目の終わりごろに「ワークチョイス」という新しい労使政策を発表しました。これは労働者が組合を通して雇用側と交渉する権利を縮小したもので、国民の不安を助長することとなり5期目の選挙で敗北し再び労働党が政権を握りました。
2大政党政治がオーストラリアのバランスを保つ
このようにオーストラリアでは、「2大政党政治」が行われているのですが、近代になってからのこの2つの政党の違いは、イデオロギーではなく、社会福祉と経済政策に現れています。労働党は労働者や庶民の厚生福祉を重視し、自由党は経済発展を重視します。そのため、労働党が政権を握ると国民の生活は良くなるのですが、経済が落ち込みやすくなり、反対に自由党が政権を握ると国民の生活にしわ寄せが来ますが、経済は活発化するのです。
国民の生活も経済もどちらも大切な要素なため、国民はそのどちらかが傾いてくると反対の政党に投票し、それによってバランスが取れるようになるというのがオーストラリアの政治形態になっています。これがもし労働党だけとか自由党だけだとすると、アンバランスな社会になっていくことは目に見えています。そういう意味では、オーストラリアの政治体制は、今までのところうまく作用しており、国民も特定の政党に固着することなく、選挙でも柔軟に対応していることが良く分かります。
記事制作/setsukotruong