1980年代~1990年代は世界的にグローバル化が始まった時期でした。まず日本の産業が発達し企業が海外に進出しました。次いで中国、そして東南アジアの国々が安い労働力を提供したため、ご存知のように2000年に入ると日本では競争力が低下し派遣切りが問題になりました。

 

この時期、グローバル化の影響を受けたはオーストラリアでは、派遣切りどころではなく、企業そのものが中国や東南アジアなどに移設する現象(オフショア)が起き、オーストラリアの製造業は抜本的な改革を迫られた時期でもありました。

押し寄せるグローバル化の波

日本の働き方の変遷を見ると、長時間の低賃金労働から始まり、労働運動を通して段々と労働条件が良くなりましたが、オーストラリアの場合は、最初から良い労働条件が整い、長い間、競争のほとんどない経済体制が続いていました。ですから、グローバル化の波が押し寄せて来た時には、その打撃は日本よりもずっと大きかったのです。

 

具体的に言えば、グローバル化が始まる前、オーストラリアでは、政府が保護政策をとり、輸入品に25%という高い関税をかけていたため、外国の製品は簡単には入って来れませんでした。そのため、ある意味、そうした保護政策を良いことに労働者は思うがままと言っても良いほどの怠慢な態度で仕事をしていたわけです。筆者が今の職場に入社したころはそうした労働運動の最盛期だったと思います。

 

ところが、中国や東南アジアから安い労働力が津波のように押し寄せてきたのですから、時の政府は早急にオーストラリアの産業に競争力を付ける必要性に迫られたのです。

保護政策から荒波に押し出す政策へ

対策として政府がまずやったことは、それまでの保護政策を強化することではなく、反対に関税などを徐々に引き下げ、安い輸入品を国内に受け入れることにより、国民を厳しい現実に直面させ、競争精神を養わせることでした。これは「親心」のようなものですが、失敗すれば国民はさらに苦しむことになるのですから勇気のある決断だったと思います。

 

更に政府は、各産業の代表と話し合い、経営の再構築化を促していきました。再構築の具体的な内容は、一つの産業分野に複数あった会社を合併させたり、製品の種類を少なくさせたりする方策でした。またセンサーや機械などのテクノロジーを積極的に導入し不良品や機械故障を低減させ生産性をあげることでした。と同時に高いレベルの安全法規を制定し、製造現場で起こる災害を減らすことによって、人の命を守ると同時に災害から発生する損失も低減できるようになりました。

合理化によるオフショア現象

つまり、資本主義の社会であれば当然やっていた合理化や生産性向上ということを、オーストラリアではたったの30年ほど前になって初めてやるようになったわけです。ただオーストラリアにとってラッキーだったのは、その頃になると、世界にはすでに様々なテクノロジーが産み出されていたため、そうしたテクノロジーを製造、梱包、輸送、品質管理などの分野で取り入れ、比較的簡単に合理化を図ることができたことです。

 

けれどもこうした合理化には当然ながら負の面がありました。それは競争が激しくなったため、多くの企業、特に中小企業は経営不振に陥り、操業を停止したり生産の場を中国や東南アジアに移すオフショア現象が生まれました。また、かろうじてオーストラリアに残った企業でも早期希望退職者を募って、従業員を減らすところが増えたのです。「Manufacturer’s Monthly」に寄ると、1980~1990年代に何度か起こった不景気の時期には、職を失った人の数は時期毎に平均すると12万人にものぼったそうですが、このことがオーストラリアの労働組合の体質を大きく変えることになりました。

グローバル化により変化したオーストラリア人の働き方

それまで頑なに会社側に反発していた組合の幹部も、会社と協力しなければグローバル化した社会で生き残っていけないことがわかったのです。そのため、頻繁に起きていたストライキが激減しました。数でみると、1980年代の終わりには全国で年間1,500件も起きていたストライキが、2007年には135件に減りました。また、働き方の形態も以前は完全雇用だけでしたが、この頃から契約労働やパートタイム労働も出現し、その後更に増える傾向が続いています。

 

以上のように、1980~1990年代は、オーストラリアの経済にとって困難な時期でしたが、グローバル化という急激な変化に対する早急の対策が功を奏し、また、前回レポートしたように、1996年に11年間という長期に渡る自由党のハワード政権が誕生したことにより、オーストラリアはこの不安定な経済状態から抜け出し、その後今年になるまで25年間、GDPが右肩上がりで伸びるという好景気を達成してきました。次回からは、この25年間にどのようなことが起きたのか、またどのようなことが行われてきたのかを見ていきたいと思います。

 

記事制作/setsukotruong