流行や天候など外部要因によって売り上げが左右されやすいアパレル業界。有名ブランドであっても、経営に苦労するアパレル企業は少なくありません。今後、特に中小のアパレル企業が発展していくためには、何をすべきなのでしょうか?
今回はアパレル業界専門のコンサルタントである、株式会社レバレッジラボ-研究所 代表取締役・山口 貴光さんにお話しをお伺いしました。山口さんは20年に渡り大手アパレル企業を4社経験してきたプロフェッショナルです。前編では、これまでに携わってきた新規事業開発や事業再構築など、多彩なご経験について聞いていきます。
公務員志望から方向転換。真逆なアパレルの世界へ
Q:山口さんがアパレル業界に入ったきっかけは何だったのでしょうか?
山口貴光氏(以下、山口):
好きが高じて、というのが一番大きな理由ですね。大学生の頃、最初は公務員を目指していたのですが、途中で方向転換したんです。当時はセレクトショップが全盛期の時で、洋服がフォーカスされている時代でしたし、自分を表現するのに一番良いのは洋服かな、とも思っていました。CoSTUME Homme(コスチュームオム)というブランドが好きで、「ここだ!」という勢いで願書を出したのが、株式会社ジュンのADAM ET ROPE’ (アダム・エ・ロペ)でした。
Q:入社後は、どんなお仕事をされていたのでしょうか?
山口:
ショップでの販売職からスタートして、そこから店長になり、晴れて本部へ異動となりました。異動後は、生産管理の仕事を3年ほど経験しました。今でこそSPA(製造小売:specialty store retailer of Private label Apparel=小売業が製造の分野まで踏み込み、自社のオリジナル商品の開発を行い、自社で販売する方法)が業界の成功事例のように語られて久しくなりますが、その当時から素材の調達から販売までのスケジュール立て、工場のセッティング、製造価格の決定や交渉、生地やボタンなど細かいパーツを仕入れて縫製にまわすなど、マルチタスクで進めていく商流を学びました。そこで身につけたスケジューリングのスキルは今でも活かせていますね。
その後はMD(マーチャンダイザー)として、全ての部署を連動し指揮をとる、商品政策全般を任される立場になりました。MDの仕事は、年間スケジュールの中でどの商品を販売するのかを決め、デザイナーやお店との打ち合わせ、市場リサーチや商品開発などを行う、ブランドの要となるポジションです。MDは5年ほど経験しました。
アパレル業界の”巨匠”との新規ブランドの立ち上げで、ひと回り大きく成長できた
Q:順風満帆のように見えますが、なぜ転職されたのでしょうか?
山口:
携わっていたのが、入社当初はまだ立ち上がって間もないブランドだったのですが、店舗も30店ほどに増やすことができ、自分の中でやりきった感があったんです。「新しいことにチャレンジしたい」と考えていた時に、知人を通じて株式会社ワールドから「新規ブランドの立ち上げをお願いしたいんだけど」ということで、声をかけていただいて。40ct&525という、菊池武夫さんがプロデュースしたブランドに、プロジェクトリーダーとして入社しました。
Q:ご自身のキャリアップに繋がることを考えての転職だったのですね。デザイナーとして世界的に有名な方と一緒にお仕事をするのは、苦労された面もあったのではないでしょうか?
山口:
そうですね。まだ30代前半だった自分が「菊池武夫の世界観をどう表現するか」というのはもちろん、業界内でも注目されているプロジェクトだった為、やりがい半分、「失敗できない」というプレッシャーは相当ありましたね。
なぜこんな大役に抜擢されたかというと、当時のアパレルは新しいお店がどんどんできる成長期で、若手にもポジションが与えられるケースも多かったんですよ。今じゃ考えられないかもしれませんけどね。自分のジャッジ一つで何十億円も動くような仕事を任されていました。
僕自身、若さゆえにこうと決めたらこう!という性格だったので、よくタケ先生から「猪突猛進」「もっとこんな考え方もしてみよう」ということをよく言われていましたね。今でも気にかけて頂き、たまに連絡をいただきます。自分が言うのも大変恐縮ですが、本当素晴らしい人柄で、誰もが先生の役に立ちたいと思わせる魅力が、タケ先生にはあります。今でも尊敬する人生の師ですね。
Q:株式会社ワールドで得た経験で、一番大きかったものは何でしょうか?
山口:
当時のワールドという会社は、SPAのビジネスモデルを確立した会社でもあります。MDの5的(敵品、適所、適量、適価、敵時)といった商品化政策を、仕組み化したんですね。ファッションビジネスで重要な「感性」と「ロジック」のバランスを、今までのスキルにプラスしてブラッシュアップできたことは強みになりました。
ただ、立ち上げから3年間は、想定以上の結果をあげられず、大変苦戦しました。今だからこそ言えますが、失敗から学ぶべきことも多かったですね。
「なぜ売れたか」を徹底検証して事業再構築につなげる
Q:3社目のキャンデラインターナショナル株式会社では、また新たなポジションで転職されたのでしょうか?
山口:
事業統括部長として入社し、マネジメント全般を担当していました。当時、事業が厳しいというのもあり、ワールドでのロジックを生かして「MD改革による事業の再構築をしてもらいたい」というお話だったんです。これは面白そうな仕事だと思い、転職することにしました。
Q:事業再構築となると、かなり難しいイメージがありますが、具体的にどのような手法をとられたのでしょうか?
山口:
まずは会社が今までやってきたやり方をヒアリングし、ウィークポイントを探すところから始めました。全部変えていくのでは切りがないので、課題に対する優先順位と期限を決め、段階立てたものをチームに共有・実行していきました。
アパレル業界は感性で商売をしていると思われがちですが、感性だけではなく、ロジックを併せていくことで最適化されていくんです。中小企業は、まだまだそういった面が弱いのが現状です。”なぜ売れたのか””なぜ売れなかったのか”、課題エリアを事前に特定し、仮設と検証を繰り返していきました。検証結果をセグメントしてストックしていけば、売れる商品の傾向が見えきます。得られたデータは商品開発にも活かせますし、関連したブランディング要素へ広げていくこともできます。売れた商品を点として散らばすのではなく、線でつなげていくような仕組みをつくったんです。
そうすることで、コンセプトを尖らせることができますし、他社との差別化にもなりますよね。お客さんに「あのお店にいけば、ああいう商品がある」と印象を持ってもらうのにも、感性とロジックのバランスは重要なんです。
Q:これだけのことをしていたということは、かなりの裁量があったんですね。逆に、会社から与えられたミッションもあったのでしょうか?
山口:
1年間で売上前年比110%という、ものすごく高いミッションがありました。結果として115%以上達成することができましたが、やはり大変でしたね(笑)。何がかというと、一番は「人」でした。感性はずば抜けてすごいけど数字が弱い、又はその逆パターンという人材がほとんどでした。今までのやり方がありますが、上手くいっていないのであれば何かを、強引にでも削ったり、新しいやり方を試さなければならない。”なぜそうしたのか?”納得してもらえるように話をして、共通認識を持たせるのに苦労しましたね。
ただその分、マネジメントスキルの向上には繋がったと思います。結果的には、売上のミッションを達成することができたので、区切りをつけて次にチャレンジすることにしました。
1年間ひたすら一人でビジネスプランを作成。百貨店自主編集売り場のプロデュースが大成功
Q:見事に事業を復活させたのですね。次の株式会社ムーンバットでは、どのような役割を担っていたのでしょうか?
山口:
百貨店への卸がメインの会社だったのですが、ちょうどその頃に『小売ビジネスを本格的に展開したいという』プロジェクトが立ち上がりつつあって。なんだかすごくおもしろそうだと思って入社しました。ですが当初、こういった企画を考えて推進する部門には僕一人しかいなかったんです。まさに孤独でしたね(笑)。
それで、入社から1年間はひたすらビジネスプランを作っていました。業界動向のリサーチから、商品分析、ビジネスモデルの提案などなど、プレゼン資料を山のようにつくって、経営陣に提案。この繰り返しでした。
今となれば、この経験が戦略コンサルタントとしての土台となった時期だったと思います。
Q:その中で、実行された提案はどのようなものだったのでしょうか?
山口:
商品としては傘がメインの会社ですが、帽子やストールといった小物全般、あとはライセンスブランドも扱っていました。第一印象は『大きな風呂敷を広げるだけ広げて、収集つかない状態』という感じでしたね。
直営店を作りたいとも考えたのですが、単に直営店をつくっても、商品軸だけでは売れないな、と思って。そうであれば、百貨店に卸だけでなく「売り場のトータルプロデュースを自分たちでやれば良いのでは?」と思いついたんです。
百貨店では、靴売り場のようにさまざまなブランドが置かれている”平場”というものがあります。ですが、単一ブランドの店舗に比べて平場はコンセプトがなく、商品の見え方も良くない。そこに目をつけて「うちがプロデュースするから、商品を並べるだけでなく”ライフスタイルをイメージできる売り場”にしていきましょう」という提案を百貨店にしたんです。
その先駆けとして、西武そごう東戸塚店にテストマーケティング的なショップを作りました。ターゲットのライフスタイルに合わせた日常シーンやお出かけシーン、旅行やパーティーなど、セグメントを考えて、そこに商品を当て込んでいく感じですね。もちろん商品を並べるだけではお客さんもイメージが湧かないので、たとえば、いつも過ごしている部屋みたいにしたり、お出かけのシーンではベンチを置いて休めるようにしたり。店内をそれぞれのシーンに合わせて割っていったんです。
Q:お客さんが楽しめる店舗作りですね。その時に何か工夫されたことはありますか?
山口:
自分たちで装飾品を作ったり飾り付けたりして、あまり予算をかけずにやりましたね。やっている自分たちも、本当に楽しかったですよ(笑)。あとは百貨店という利点を生かして、違うフロアのワイン屋さんからワインをもらってきて、ディスプレイさせてもらう代わりにワイン屋さんのフライヤーを置いたりもしていました。今でいう「共創」という概念をアイデアベースだけでやっていましたね。
Q:まさにギブ&テイクの発想ですね。ムーンバット自体の売上にはつながったのでしょうか?
山口:
平場は本来、メーカー同士の場所の取り合いなんですよ。それが、全部自社の商品になったので、商品を置ける面積が増えた分、売上も大幅に上がりましたね。前年比で200%を超えていたと思います。西武百貨店からも好評で、その後、松坂屋や京王百貨店にも展開していきました。ムーンバットでも、最終的には店舗開発チームが作られることになって、会社の次なる武器として成果をだせたと思います。
(後編へ続く)
取材・記事制作/浅野智恵美
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