人命を救った弱いAI
前回、私たちの身の回りにあるさまざまな製品やサービスで、すでに多くの人工知能が使われていることを紹介しました。実はそのほとんどが、「弱いAI」なのです。ただ、弱いと言っても、機能が低いとか、脆弱なわけではありません。音声認識や自然言語処理など、限定された分野において、能力を発揮するAIのことを「弱い」あるいは「特化型人工知能」と言うのです。
話をわかりやすくするために、IBMが開発した人工知能「ワトソン」を例に出してみましょう。ワトソンは2011年、アメリカの早押しクイズ番組「ジョパディ!」で、チャンピオンに勝利しました。2014年には「シェフ・ワトソン」として、9000種類のレシピをもとに、全く新しいレシピを考案します。同年、みずほ銀行と三井住友銀行は、コールセンター業務にワトソンを導入。顧客とオペレーターの会話を分析し、最適な回答を導き出すことで、対応時間の短縮に繋げています。
また、人の命を救った例もあります。東京大学医科学研究所に導入されているワトソンは、2000万件ものがん研究の論文を読み取り、正確な診断や治療に役立てる臨床研究に使われています。実際に、診断が難しい白血病にかかっている60代の女性患者の、正確な病名をわずか10分で診断。適切な治療法を医師に伝えたことで、患者はたちまち回復し、無事に退院しました。
弱いAIは思考を持たない
このように、あらゆる場面で、人間と同等あるいはそれ以上の活躍を見せているワトソンですが、なぜ「弱いAI」とカテゴライズされるのか。それは、人間によってプログラミングされたこと以外はできないからです。例えばクイズに関しては、膨大なデータの中から統計を取り、正解に近いと思われる答えを選んでいるだけ。問題の意味も理解していなければ、自ら考えて回答しているわけでもないのです。
ちなみに、第3次人工知能ブームを巻き起こし、50年来のブレークスルーと言われる「ディープラーニング(深層学習)」も、くくりとしては「弱いAI」です。特定の処理においては高い性能を発揮しますが、役割としてはあくまで、人間が行う作業の代替や補完といった位置づけなのです。ビジネスや社会に大きく貢献しているにも関わらず、「弱い」というのは少々違和感もありますが、米哲学者のジョン・サールが用いて以来、今ではこの呼び方が定着しています。
強いAIの正体はドラえもん?
では、「強いAI」とは何でしょうか。それは人間のように思考し、物事を認識・理解し、意思決定できるAIのことです。強いAIはAGI(Artificial General Intelligence)、汎用人工知能と言います。まさにドラえもんのような、心を持ったコンピュータなのです。自ら思考するわけですから、人間から指示を与えられる必要がありません。
例えばビジネスシーンでは、課題を発見し、解決のためにどうすればいいか考え、対策を練ることができます。データを分析し、最適な戦略や組織形態も瞬時に導き出すでしょうし、新しい技術やサービスも生み出すでしょう。AGIは、超優秀なビジネスパーソンのような働きをするのです。
その一方で、解明されていない難解な法則や理論を解いたり、小説や詩の創作などクリエイティブ分野でも活躍したりするのでは、と予想されています。
AGIは間違いなく社会を変える
人工知能の研究が始まった当初、研究者たちは、このAGIを容易に開発できるものと考えていました。そこから冬の時代が到来したのは、前回書いた通りです。近年は神経科学などの観点から、人間の脳の機能を工学的に再現する、「全脳アーキテクチャ」という研究が進んでいます。しかしAIにおいては、認識や認知といった、人間の脳の機能のごく一部しか再現できていないのが現状です。
脳にはほかにも、記憶や意識を司る海馬、独創性を生み出す前頭葉、さまざまな感情を呼び起こす脳内物質など、重要な役割を持つ機能がたくさんあります。研究やテクノロジーが進むにつれ、人間の脳がすべて再現されて、AGIが誕生する日は来るのでしょうか。この辺りは研究者たちの間でも議論が分かれていますが、経済学から見た人工知能研究の第一人者・井上智洋氏は、2030年には実現するだろうと予測しています。
もし実現すれば、社会への影響は避けられないでしょう。
人間を超える頭脳を持ったコンピュータが普及し、しかも不眠不休で働き続けるわけですから、我々の出番や役割などなくなってしまうかもしれません。この辺りが、AIは人間にとって脅威なのか、と議論される所以でもあるのです。私たちがドラえもんに会える日はいつなのか、そしてどのような暮らしが待っているのか、まだ誰にも分かりません。
参考:
「人工知能は人間を超えるか(松尾豊)」
「AIの衝撃(小林雅一)」
「人工知能と経済の未来(井上智洋)」
「2045年問題 コンピュータが人類を超える日(松田卓也)」
ライター: 肥沼 和之
大学中退後、大手広告代理店へ入社。その後、フリーライターとしての活動を経て、2014年に株式会社月に吠えるを設立。編集プロダクションとして、主にビジネス系やノンフィクションの記事制作を行っている。
著書に「究極の愛について語るときに僕たちの語ること(青月社)」
「フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。(実務教育出版)」