【第2回】
今、日本の「教育」が行き詰まっている。日本の高度成長を支えた、「正解」をいかに早く覚え、再現するかという従来の教育は、「答えのない時代」を迎えた今、うまくいかなくなった。日本の国際競争力を高める人材を育成する上で、障害となっているものは何か。21世紀の教育が目指すべき方向は何か。本連載では、世界からトップクラスの人材が集まる米国、職業訓練を重視したドイツ、フィンランドの「考える教育」など、特色ある教育制度を取り入れている先進国の最新動向から、日本の教育改革の方向性を導き出す。
*本連載では書籍『大前研一 日本の未来を考える6つの特別講義』(2016年6月発行)より、国際競争力を高める人材を育成するための日本の教育改革について解説します(本記事の解説は2013年6月の大前研一さんの経営セミナー「世界の教育トレンド」より編集部にて再編集・収録しました)。
大前研一 日本の未来を考える6つの特別講義
¥2,200
大前研一が主宰する企業経営者向け講義を約400ページというボリュームで書籍化。経営層のみが参加できる特別な講義で語った、「人口減少」「地方消滅」「エネルギー戦略」「教育」…という避けて通れない「問題」とその「解決策」に迫る。各種メディア・シンクタンクによる調査データに加え、自身の海外視察を含めた独自ソースから読み解く「日本の問題」とは何か?
平均的な人材より、抜きん出た個人を育てる
図-1を見ていただきたい。日本の教育の限界と今後の方向性について、分かりやすく図示したものです。
前述のように、従来の工業化社会・加工貿易立国モデルは完全に行き詰まっています。21世紀、答えのない時代の教育は、突出した能力を持つ個人の育成を目標にしなければならない。「米国、欧州、世界中どこを探しても、あんなすごいやつはいない」と言われるくらいの人材を、それぞれの分野で育てる必要があります。
その個人が付加価値を創り出し、1人につき10万人を食べさせていく、今はそういう時代です。平均的なレベルを上げても、物量で新興国にはかないませんから。国際競争力を発揮するために、教育の目標も大きく舵を切る必要があります。
日本の教育は「答えがある」ことが前提
日本の教育は、初等・中等教育から、すべての質問に答えがあることが前提になっています。
授業内容は学習指導要領からあまり逸脱してはいけない。「総合的な学習の時間 」という、各学校が学習テーマを決めることのできる時間が週に数時間ありますけれども、それ以外に先生の裁量で使うことのできる時間はほとんどありません。
学習指導要領に書かれている「答え」を覚えたかどうか、最終的に試験でチェックします。試験が終われば、一夜漬けで覚えた内容は端から忘れてしまいますし、そもそも、最初から答えが分かっていることは、今はスマートフォン1台あれば大抵のことは調べられる時代ですから、ほとんど意味がないのです。
日本人のアンビションを奪ってきた「偏差値」
偏差値が日本を萎縮させる
それからもう一つ、日本の教育改革における最大の障壁は「偏差値」です。この偏差値というものが、日本人をアンビション(野心、大志)のない国民にしてしまった。
そもそも、なぜ偏差値が導入されたのかと言えば、学生運動の象徴とされる東大の安田講堂事件の後、政府が強い危機感を持ったことに端を発しています。
当時の世界は東西冷戦の最中です。米国に逆らってロシアや中国と結託し、政府を転覆させようと革命を企てる輩がいる。政府に逆らうような資質をあらかじめ封じようということで、「あなたは偏差値57」「あなたはもう少し上の偏差値63」というように、その人間の可能性をあらかじめ決めてしまった。若いうちに、人間にたがをはめてしまうのです。
この偏差値の存在が、今の日本の若者、ひいては日本全体を萎縮させています。
偏差値が生む「あきらめ」
明治以降の日本がここまで成長したのは、日本人がアンビションを持っていたからです。
しかし、偏差値は、このアンビションを封じてしまう。偏差値によって自分の分際、身のほどが分かったような気になると、それ以上期待しない、文句を言わない人間になります。「俺たちのクラスで一番偏差値が高かった人間が官僚になっているから、彼らが間違えるわけがない。任せておけば安心だ」と考えるようになる。
一方、偏差値が高い人間にも問題が生じます。「自分はできる、このままでいい」と思っているので、それ以上勉強しなくなり、新しいものを取り入れない。
偏差値が高くても低くても、両側で問題が起こるわけです。今の日本が変化できないのは、かつての日本と違い、偏差値教育の下で育った人間が圧倒的なマジョリティになっているからです。
実務で役に立たない大学教育
日本の大学教授は欧米の輸入学者
第二次世界大戦では、産・官・軍の共同体が日本を悪くしたということで、まず大学教授がアンビションを持たないように、戦後、進駐軍は大学をアカデミックに改造しました。つまり実務から離れ、学問を追究していればいいという方向に持っていってしまったのです。
このアカデミックというものが、今でも教授会の防波堤になって、何か新しいことをやろうとしても改革に反対する風潮につながっています。大学という場所からアンビションが失われているのですね。
「アカデミック」と言っても、日本の大学教授は、欧米の学者の理論を解釈して学生に伝える、いわば輸入学者にすぎません。学生にとっては新しいかもしれないが、教育自身は30年も同じ講義を繰り返しているという状況です。
大卒・院卒は実務で役に立たない?
高等教育がこのような状況ですから、大学を卒業して企業に入っても、実務ではまるで役に立たない。
前述のように保守的な教授が教えていることに加え、できのいい学生は「君、よくできるから大学院に行きなさい」と言われるわけです。大学院に通い始めると、今度は「研究室に残らないか」ということになる。大学が、次の教授をつくるための装置になっているのです。
私に言わせれば、できのいい人間は早く世の中に出た方がいい。大学や大学院で、実務で役に立たないことばかり学んできた学生を受け入れる企業は大変です。入社した人間を一から鍛え直さなければならない。
大学を出て一度就職した後、専門学校に入り直す人が増えているのも、大学の教育が実務とかけ離れている証拠でしょう。
国立大学は時代遅れの官僚養成学校
国立大学(旧帝国大学)は、もともと官僚養成学校としてスタートしています。
決まった仕事を手際よくこなす「能吏 」を養成することを目標にしており、もはや時代遅れで役目を終えています。
小泉純一郎首相(当時)が国立大学の民営化を提案 したのですが、文科省の強い抵抗にあって実現できず、「国立大学法人」として、中身をほとんど変えないまま存続することになりました。
本来は職業訓練学校として機能すべきところ、その役割を担うことなく中途半端にアカデミックな教育を続けているので、国立大学を卒業しても、企業では即戦力として使えない。
次回以降の本連載ではドイツやスイスの職業訓練の例を説明しますが、日本とはまるで違うシステムです。日本の場合、「この学校を卒業すれば明日から実務をこなすことができる」という人材を育てる組織がないために、きわめて効率が悪い。その点が、日本の高等教育の構造的な問題なのです。
(次回へ続く)
大前研一
株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長/ビジネス・ブレークスルー大学学長1943年福岡県生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号、マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、常務会メンバー、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。以後も世界の大企業、国家レベルのアドバイザーとして活躍するかたわら、グローバルな視点と大胆な発想による活発な提言を続けている。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長及びビジネス・ブレークスルー大学大学院学長(2005年4月に本邦初の遠隔教育法によるMBAプログラムとして開講)。2010年4月にはビジネス・ブレークスルー大学が開校、学長に就任。日本の将来を担う人材の育成に力を注いでいる。
◎本稿は、書籍編集者が目利きした連載で楽しむ読み物サイトBiblionの提供記事です。
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