この連載では「外国人労働者」をテーマにしていますが、外国人労働者の受け入れとはつまり、移民の受け入れにもつながります。

欧米諸国では、労働力不足を補うため、また人道的なことを理由に、多くの外国人労働者を受け入れてきました。結果、彼・彼女たちが移民となって定住し、外国人比率が高い国が多くなっています。

そのケースのひとつとして、わたしが住んでいるドイツという国の現状をお伝えしたいと思います。

日本で「外国人労働者」について議論している人の多くは、移民を多く受け入れた国での海外生活がありません。ニュースや統計でしか「現状」を知らないのであれば、「外国人労働者を多く受け入れたら日本がどうなるか」を現実的に想像するのはむずかしいかもしれません。

外国人を受け入れた結果、ドイツになにが起こったのか。ドイツ在住邦人の声として、現地で体感したことをご紹介します。

 

気づいたら外国人ばかりのドイツ

そもそも、「外国人」とはどういった人のことを指すのでしょうか。日本では主に、「日本国籍ではない人」を指します。ですがドイツでは、この「外国人」という定義が、非常にむずかしいのです。

たとえば、以下の3人がドイツに暮らしていたとします。そのうちだれが、「外国人」でしょうか?

1.両親がトルコ生まれで、本人の国籍もトルコ。でもドイツで育っていて、母国語はドイツ語、トルコ語はほとんど話せない。アイデンティティーはドイツ。

2.両親はベトナム生まれドイツ育ちの、移民の家庭。本人の国籍はドイツだが、家庭内ではベトナム語を使うため、母国語はベトナム語。

3.両親ともドイツ人でドイツ国籍を持っているが、3歳のころから30年間アメリカに住んでいて、2年前からふたたびドイツに住むようになった。

このように、「外国人」の定義がむずかしいほど、ドイツではさまざまな背景を持った人たちが暮らしています。 

bpbの統計によると、2015年のデータで、ドイツの全人口のうち9.5%が「外国人」であり、11.5%が「移民背景を持ったドイツ人」となっています。その2つを合わせると、人口の21%が「なにかしらの移民背景を持っている人」となります。外国人というのはこの場合、国籍がドイツ以外のことを指していると思われます。

移民背景を持っている21%の人口のうち、約3分の2が「自ら移民した」人であり、3分の1はドイツで生まれています。

この統計だけ見てもわかるように、「外国人」といってもさまざまなドイツ。むしろ「純粋なドイツ人」は、なかなかお目にかかれなくなってきています。

ドイツに染まらない移民たち

このように「外国人・移民ばかりのドイツ」になったわけですが、そうすると「ドイツ」はどんな国になるのでしょうか。

みなさんがドイツに来ると、ヒジャブをまとっている女性の多さに驚くでしょう。ヒジャブとは、イスラム圏の女性の服装で、髪や肌を覆うときに使う布のことです。また、ドイツ語以外で会話している人の多さにも驚くかもしれません。

飲食店などではアジア系、アラブ系などの人が多く働いていて、ホワイトカラーの仕事では欧米人と思われる人を多く見かけます。日本の中華街のように、ドイツの各地にトルコ系コミュニティやアメリカ系コミュニティ、ベトナム系コミュニティなどがあり、通りが丸ごとトルコ語、ということもあります。

外国人が多いこと自体は悪いことではありません。ですが外国人が、ドイツでも「自国の言語と文化」を大事にしたらどうなるでしょうか。

宗教の自由や言論の自由を保障している手前、移民に「ドイツ」を押し付けることは、基本的にはできません。つまり彼・彼女たちは、絶対にドイツのやり方に従う必要はないのです。

多くのレストランでイスラム教徒が食べられるベジタリアンメニューを用意し、場合によっては会社内に礼拝できる部屋を設けているところもあります。また、「文化交流」を目的とした、特定の国の文化や食事を紹介するイベントも多く開かれています。

外国人や移民がドイツに合わせるのではなく、ドイツが他国の文化を受け入れるというかたちになっているのです。 

外国人がもたらす摩擦は必然である

そうすると、多くのドイツ人は「ドイツを乗っ取られる」と危機感を持ち、一部の移民を「ドイツに馴染もうとしないよそ者」と思うようになってしまいました。事実、ドイツに何年も住んでいるのに、ドイツ語がまったく話せない人も多くいます。

また、ドイツ人の心の底に、そこには「キリスト教が根幹にあるヨーロッパ」と、「それ以外」という意識もあるのかもしれません。

さらに大きな問題となっているのが、教育です。ドイツにやってきたからといって、移民全員がドイツ語を話せるわけではありません。ドイツ語が話せない両親のもとで、ドイツで育った子どもはどうなるのでしょうか。

子どもたちは、ドイツの教育を受ける義務と権利があります。ですが子どもたちは家庭でドイツ語を話していないので、学校に行っても、ドイツの教育についていけません。両親はドイツで教育を受けていなかったり、ドイツ語が話せなかったりで、十分に子どものサポートが出来ないことも少なくありません。

現在、移民背景のある家庭とドイツ人の家庭の子どもの間で、教育格差が生まれています。また、ドイツ語ができない子どものレベルに合わせ、教育水準が落ちることも懸念されています。

このように、「ちがう言語と文化に身を置いている人」を受け入れると、必ず摩擦が起こるのです。それはアイデンティティーに関わることなので、必然的なものです。

外国人を受け入れるか否かは、あくまで「入口」です。問題は、受け入れると決めた後、共生できるかどうかです。学生でも、転校すること自体はむずかしくありません。ですが転校生といっても、すぐに馴染む人がいれば、ずっと馴染めない人もいます。大事なのは、受け入れた後です。

外国人の受け入れに関して考えるとき、受け入れた人たちの子どもや孫たちの代がどのように日本で生きていくかも、視野に入れていかなくてはいけません。その覚悟がなければ、そもそも受け入れるべきではないのです。

取材・記事制作/雨宮 紫苑

ノマドジャーナル編集部
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