オーストラリア政府の厚生福利機関の報告によると、オーストラリアの65歳以上の高齢者の72%は自分のことを元気だと思っているとのことです。実際には太って不健康に見える人も結構いるのですが、自分のことを「元気だ」と言えるその背景や理由を、日本の場合と比べながら模索してみたいと思います。
「フィートアップ」
オーストラリアには最高にリラックスした状態を示す言葉の一つに「フィートアップ(Feet up)」という言葉があります。フィートアップの本来の意味は、居間に置いてあるソファーに座ってソファーの前に置かれたテーブルに足をのせることです。「テーブルに足を乗せるなんて」と、日本の習慣から考えると少し行儀が悪く見えるかもしれませんが、そこは習慣の違い。とにかく、仕事から帰ってゆったりソファーに座りテーブルに足を投げ出す。それはちょうど飛行機のビジネスクラスの席に座っているときのような感覚だと思いますが、オーストラリアではこの「フィートアップ」がリラックスの代名詞になっているのです。
この30年間で退職者に見られる変化
前置きが長くなりましたが、30年程前までは、退職する人にこれからどう過ごすのかと聞くと、まず「フィートアップ」して、のんびり過ごしたいと言う人が多かったのです。これは、オーストラリアの歴史を辿るとわかるように強い労働組合の影響で「働く=搾取」という考え方が主流を占めていたため、「退職=束縛からの解放」ということで、とにかくのんびり過ごそうとする人がたくさんいました。
ただ、最近では少し状況が変わってきています。退職して久しぶりに会った人に「どうしてる?」と聞くと、「1年目は良かったけど、2年目からは退屈して再就職した」という答えが返ってきました。またこれから退職する人に「退職後はどうするのか」と質問すると、ただ単にのんびりするのではなく、「これと、これと、これをする」といった具合に退職後の計画を説明してくれる人が出てきたのです。
寿命の延びとグローバル化
このような違いが出てきたのには、平均寿命が延びて老後が長くなったことが一つの理由だと考えられます。実際、30年前の1987年のオーストラリア人の平均寿命は76.15歳でしたが、2015年には82.45歳まで延びています。つまり寿命はこの30年間で約6年ほど延びたわけですから、ただのんびりと暮らすだけでは退屈してしまうのは当然かもしれません。
退職後の生活に計画を持つようになったもう一つの理由は、インターネットの普及とグローバル化によって世界が小さくなり、旅行やレジャーなど、楽しみ方の選択肢が増えたことが挙げられます。もちろんこのトレンドは世界中に影響を与えているわけですが、それでも日本には特殊な面が見られます。
日本では退職後も働く人が多い
その一つが日本では65歳を過ぎても働いている人が多いことです。シニア用の情報サイト「シニアガイド」によると65歳以上では21.2%の人が働いているとのことです。この割合をオーストラリアと比べると13%とかなり少なくなっています。ここで注意したいのが、オーストラリアには定年制度がなく何歳になっても働くことができるという条件があるにも関わらず、働く人の率が日本よりも低いことです。
もちろん中には70歳を過ぎても働く人もいますが、これは特殊な場合で、ほとんどの人が65歳前後で退職します。その反対に、日本では60歳が定年で、その後高齢者の就職はかなり厳しい状態にあるにもかかわらず、働いている人が21.2%と高くなっているのです。
財政的な理由で働く
日本で退職後にも働く人が多いのは、一つには財政の問題があると思います。つまり、生きていくために働かなければいけない人がいることです。
オーストラリアでは「スーパーアニュエーション」といって、積立式の年金に加盟することが義務付けられています。この強制的年金制度は1992年に時の政府が将来の高齢化社会を見越して導入したものです。積立て制とは、雇用側と従業員とが両方で積み立てていくもので、雇用側の積立て金は一定ですが、従業員は余裕があればより多くの額を積み立てることができます。
そして、積立てたお金は、民間の年金管理会社が株などに投資し、配当金の一部を積立てた人に還元します。この配当金の還元が退職者の年金になるわけです。積立て式の年金と並行して政府が供給する年金もあります。ただし政府の年金は弱者のためのもので、収入や財産がある一定の基準を越えると適用されなくなります。今のところ、オーストラリアで退職後に働く人が少ないのは、現在の年金制度が功を奏しているからだと考えられます。
これに対し、日本の年金制度について、ライフネット生命保険の出口治明さんはその著書「人生100年時代のお金の不安がなくなる話」の中で、日本の年金制度は「小負担で中福祉」だとし、国民の負担が少ないのに政府が年金の大部分を負担しており、しかも経済的に余裕のある人にまで供給しているため、本当に必要とされる人に届かないことが問題だと言っています。
本当にやりたいことがないので働く?
日本で65歳を過ぎても働く人が多いもう一つの理由は、日本では働くこと自体を生きがいにしている人が多いことです。もう少し突っ込んだ言い方をすれば、会社での仕事以外のことに関心や興味を持たない人が多いということになると思います。
会社一本やりで60歳まで生きて来た人にとって退職するということは、人生における生きがいがなくなってしまうことを意味します。そのために、パートでもよい、アルバイトでもよいのでなんらかの仕事を見つけて働くことになります。働くことを罪悪視したくありませんが、心を伴わないでただ時間潰しのために働くのであれば、それは人生を無駄に過ごすことになります。
オーストラリア人が日本人と違うことは、前回の「『趣味はゴルフ』は危険な兆候、オーストラリア人に見る「遊び方」の極意〜新しい働き方はどのように生まれた? -海外編 第15回」でも触れたように、働いているときから自分が好きな物を見つけて楽しむ習慣ができているので、退職しても何をするかが分かっている人が多いことです。
「働き方改革」の大きな柱である「ライフワークバランス」を考えるとき、ただ単に働く時間を短くしても新しく生み出された時間で何をするかが分かっていなければ、結局は家でだらだらとテレビを見て終わってしまうのではないかいう懸念があります。
意味のある人生を過ごすためには、仕事でも、趣味でも、ボランティアでも良いので、心の底から本当に好きだと言えることが自分でわかっていて、それを実現できることそれが本当の意味での「ライフワークバランス」の「ライフ」になるのではないかと思います。
記事制作/setsukotruong