医師から市長へという異色のキャリア。現在は、行政改革のプロフェッショナルとして活動を開始した前松阪市長山中氏に、「非常に斬新な取組」といわれる当時の松阪市の行政改革の様子を伺いました。
「市民自身が役割と責任を持つ、そんな街づくりをしましょうよ」
Q:当時33歳の最年少市長として全国から注目を集めましたが、どのようなお気持ちで松阪市政に入られたのでしょうか。
山中光茂さん(以下山中):
「自分一人では何もできない」と思うようにしていました。30代前半、人生経験も短い人間です。そんな若造が、行政のプロが1000人以上いる組織に入るわけですから、組織を動かそうなんて思わないでおこう、思い上がらないでおこうと、自分に言い聞かせていました。
もし、市民が、行政経験の豊富な市長を求めていたのであれば、自分は選ばれなかったはずです。それでも、市民は、現職市長より若い自分を選んだ。それは「ちゃんと市民の声を聞きなさい」という市民からのメッセージだったと思うのです。行政の現場で、真摯に市民と向き合って仕事をする姿勢を買われたからこそ市民票だけで当選したのであって、誰も若造の独りよがりな価値観や政策を押し付けられることは望んでいなかったはずです。
選挙中によく「市長、何がしたいの?」と、市民に聞かれました。「市長、駅前にもっと大きなビルを建てましょうよ」「文化財を買い取って大きな文化事業をやりましょうよ」と、声をかけてくださる市民もいました。でも、私は就任直後から「市民の皆さんも役割を責任を持ってください」と、言い続けていました。主役は市民の皆さんです。市長である私が「これがやりたい」とトップダウンするのではなく、何をすることが自分達にとって良いことなのか、市民の皆さんも一緒に考えていきましょうよ、と。市長として何がしたいかの前に、市民と直接対話をして、現場の課題を正確に捉えることを大切にしようと考えていました。
市民と行政が、地域の在り方について意見を交わせる場をつくる。
Q:具体的にはどのような改革をされたのでしょうか。
山中:
1つは、シンポジウムシステムを取り入れたことです。制度や政策の方向性を決める際、シンポジウム形式で、毎回、市民の声を聞くのです。オープンディスカッションで物事を進める分、周知や準備に始まり、市民の意見をまとめるまでには大変な労力がかかりますし、他の自治体に比べて政策決定までに時間もかかります。しかし、合意形成ができれば、市民の納得感は高い。決定事項がそのままスムーズに市民に受け入れられることが大きな利点です。これは大事なことです。他の自治体では、市民との意見交換をおざなりにしたまま進めてしまい、政策決定後に市民の反対運動が起こったり、住民投票がなされたりということをよく耳にします。
私が着任する前の松阪市も、何かを決める際には、市民と行政の間に何度も大きな対立がありました。しかし、私がいた約7年間は、政策や方向性を市民と議論をして決めた後に、その政策について市民と揉めるといったことはまったくなくなっていきました。介護保険料を決める、駅前活性化の施策を決める、新しく大きな総合運動公園をつくる、風車事業を検討する、何か決める際には、毎週末のように、市民との対話を根気強く続けました。この姿勢は、松阪市政を育てるにあたり、非常に大事な要素だったと思います。
他にも利点がありました。オープンディスカッションの場づくりに行政職員が関わることで、職員自身の能力も育成されるのです。最初は、現場に出たら、市民に何を言われるのかと尻込みしていた職員もいました。でも、お互いが少しずつ歩み寄り、話し合う中で、行政職員としてのプロ意識も育ちましたし、市民の声を聞くことの大切さも理解できたようです。「誰のために働いているのか」という点において、職員の意識が明確になったのは大変良いことだったと思います。
Q:市民と行政の間に信頼関係が生まれたのですね。
山中:
そうです。そして、このような取り組みをするとメディアもその場に入ります。こういった議論の機会がメディアに取り上げられ、そこに参加できなかった市民にも、場の存在が認知されるという好循環が生まれたのも良いことでした。
住民協議会に役割と責任を委譲し、交付金を分配する。
Q:他にはどのような改革をされたのでしょうか。
山中:
はい。2つめに、住民協議会のお話をさせてください。まず松阪市を43地区に分け、住民協議会というものを設置しました。小学校区単位のような区分けです。そして、これまで行政が一括して持っていた活動交付金を各住民協議会に分配しました。
松阪市は、活動交付金としておよそ1億円の予算をもっています。それまでは敬老事業の運営補助費、体育会祭の運営補助費など、具体的な費目に応じて交付していました。費目を決めて予算をおろすということは、行政側で、交付金の使い道を決めているということ。でも、本来、地域によって必要とする使い道は異なるはずです。そのため、43地区に
活動交付金を割り当て、市民が自分達の役割と責任のもと、お金の使い道を話し合いながら決められる仕組に変えたのです。もちろん、行政職員が各地域に入って、話し合いの場を支援します。
また「地域計画」というものを各地域ごとに作成しました。自分たちの地域で自分たちでできること、行政と地域でできること、または行政がその地域にして欲しいこと。その3つを盛り込んで、各住民協議会と行政で共有します。行政側はそれを見ながら、市政の全体像に反映することで、各地域と松阪市全体の動きにずれが出ないよう配慮していました。
ただ、43の区分けを決めるのは結構大変でしたよ。毎晩のように各地域に入らせていただき、この地域は1つでやるべきなのかとか、2つに割るべきかとか、仲が悪いので分けた方がいいとか、そんなところまで細かくやったりしました。そりゃあもう、いろいろ出るわけです(笑)。
Q:お話を伺いするだけでも、ご苦労の大きさが想像されます。
そして、企業と地域のビジネス連携も、自らご支援されたのですね。
山中:
はい。私自身、企業との交渉も相当やりました。「地域づくりスポンサー賞」というものを設けて、地域や地域NPOに企業スポンサーをつける動きもしました。また、マックスバリュさんと契約して、店舗で購入した金額の1%を、買い物客が住むそれぞれの地域に還元してもらうという仕組もつくりました。マックスバリュさんの店舗に設置された所定の場所に、地域ごとにレシートを入れるのです。各地域で「この日はマックスバリュでお買い物しましょう」というPRを実施してもらえるのでマックスバリュさんにもメリットが生まれます。
その他、積極的に活動を重ねる住民協議会に対しては、加算金として給付を上乗せする仕組もつくりました。あと、松阪市はケーブルテレビを持っているので、それぞれの地域の取り組みや議論の様子を全市に放映したりもしていました。公共の広報機能です。そういった地域単位のビジネスモデルを1つ1つ組み立てつつ、市民の主体性を促しながら行政システムの全体の転換を図りました。
Q:行政がコンサルティングに入るかたちで企業と地域連動型のビジネスモデルを構築されたのですね。改革にあたり、参考にした事例などはあるのでしょうか。
山中:
いえ、何もないです。本当にアイディアベースでやっていました。「住民協議会」という呼称は全国にあるのですが、このようなシステムで運営しているところは他にないですね。他市の講演会や行政職員研修などで、松阪市の事例をお話しさせてただくと、非常に斬新であると興味を持っていただけることが多いです。
ただですね、学生さんにはよく「政治に興味を持たなくていいですよ」と、お話しています。今年の1月に早稲田大学で講演をさせていただいた時にも、その話をしました。会場が一瞬「え、この人、元市長でしょ?何言ってるの?」という空気になりました(笑)。ほら、政治って、よく腐ってるとか、変わらなければいけないとか言われますよね。でも、何が腐っていて、何が変わらなければいけないのか、実はよくわからない。献金がどうのとか、そういった話は本質ではないのです。
本来は、現実があって、政治があるべきです。ですから、政治そのものに関心を持つよりも「現実の課題に関心を持った上で政治を見ることが大切だ」と、若い方にはよく言わせてもらっています。まあ、私のように周りの政党・団体全てを敵にまわして、県議会議員を辞して無所属で市長選に出るという人間も珍しいですけどね(笑)。
(中編に続きます)
取材・記事作成:伊藤 梓
撮影/加藤 静
医療法人SIRIUS いしが在宅ケアクリニック 医師
三重県松阪市 元市長
1976年 三重県松阪市生まれ。1994年 慶應義塾大学法学部入学後、外交官の学科試験合格を辞退し、1998年 群馬大学医学部に編入学。医師国家資格取得。アフリカに渡りエイズ対策に関するNPO活動に取り組む。その後、無投票続きで40年間に三度しか市民投票がなかった三重県松阪市において、2009年 自民党・民主党・業界団体・労働組合が連携推薦した現職市長を約8,000票差で破り、33歳で全国最年少市長として就任。2015年 松阪市長辞職。2016年1月以降は、いしが在宅クリニックに医師として勤務しながら全国各所で行政改革のコンサルティングや講演活動を行う。
著書『巻き込み型リーダーの改革-独裁型では変わらない』日経BP社
専門家と1時間相談できるサービスOpen Researchを介して、企業の課題を手軽に解決します。業界リサーチから経営相談、新規事業のブレストまで幅広い形の事例を情報発信していきます。