ビジネスノマドジャーナルは成長志向のビジネスパーソン、経営者の方々に向けたキャリアに役立つコンテンツを配信します。専門領域で激動のビジネス人生を生きる先輩から、キャリアのハイライト、多大な苦労や契機となったエピソードを語り尽していただきます。彼らの知見や経験を、次世代の羅針盤としてお届けします。
今回はファミリーマート元専務取締役 宮本芳樹氏に登場いただきます。
迷っていても、動いていけ。
-就職なさった商社での新人時代は、戸惑いが多かったですか。
宮本 芳樹氏(以下、宮本):
ゼミの教授が、勉強する人としない人に分けて就職先を割り振るという、今では考えられないシステムによって(笑) 、伊藤忠商事に入りました。どんな会社か満足に知らず、配属先も営業ではなく大阪本社の繊維経理の部署です。面接時に、経理や人事は勘弁してほしいと申し出たら、まさにその経理部署に配属された。当時の伊藤忠は、そういう発言をするとまさにその避けたかった部署に配属する方針だったようです。苦手ならやってみろということでしょうか。
最初の2年間はさして責任のある仕事もありませんでしたが、時代は1970年代半ば、経済は右肩上がり。人事から、「外国へいくならどこがいい」と聞かれてブラジルと答え、第2の希望国を決めかねていたら、どこでもいいらしいと判断され、研修生としてインドネシア派遣が決まりました。ところが、1年くらいビザが下りない。仕事の引き継ぎもとっくに終えていたのに、私はただ一人取り残されたままです。その時に人事から示された選択肢は2つ。新たな経理研修生制度にのってニューヨークへ行くか、あと10日ビザを待つか。迷い考えていると、なんとビザが下りた(笑) 。
新人の時代は、自分に何が向いているか、何が出来るかなんて本当に分からないのです。だから、周囲が与えてくれるチャンスには必ず応えていこうと思っていましたね。
-海外研修後は、どんな変化が起きましたか。
宮本:
インドネシアでは2年間、言語を学んで帰国しましたが、また配属先は経理でした。どこかで異動を期待もしていたのですが、ここで踏ん張らなければ何も得られないと気付きました。現在の若い人の多くが3年で辞めるというデータもありますが、私の経験から10年は耐えるべきだとハッキリ言えます。なぜなら、その耐力こそキャリアの土台になるから。10年は腰を据えなければ本当の力はつかないです。
企業内プロフェッショナルとして、覚悟する
-当初から、ご自身で選んだキャリアではない経理畑を歩まれています。そのお仕事に強く情熱を感じられたご体験は何でしょうか。
宮本:
どんな仕事でも真摯に取り組めば、その面白さや、企業の中での重要な役割が分かってくるものです。危機に面しても踏ん張り、会社を守るにはすべての仕事が必要だからですね。
私の場合は、入社後20年余りが過ぎた1997年から1998年にかけて経済を揺るがした「不動産バブルの崩壊に伴う金融危機」「アジア通貨危機」をまっただ中で体験して痛感しました。伊藤忠商事の株価は150円に迫り、まさに倒産の危機が現実感を持って迫ってきました。週末も出勤して緻密なプロジェクトを実行し、仕事以外は考えられない日々が続きました。長い時間でしたし、体も精神面も厳しかった。
-企業の背骨は、経理と実感なさった?
宮本:
経理を続けていながら、納得したことがあるのです。会社内で何年経理を担当しても、国家資格である公認会計士の知識には勝てるわけもない。でも、我が社のことについて自分は何を知りたいのか。問題点は何かをプロに問い、自分の事として腹に落ちるかどうか。つまり、公認会計士の知識を使いこなせせるかどうか。企業内のプロフェッショナルはそれで十分であり、逆に言えばだからこそ必要なのですね。
会社が危ないという時に、私はそれを体験しました。自分に強みがあるとしたら、経験でしか判断を出せないポジションにあって、公認会計士から返ってくる答えを咀嚼し、我社で納得できる活かし方に出来たことです。この時に共に闘った仕事仲間は、みな耐える力が強かった。そして自分一人で抱えきれないと、さらけ出して助けを求めた。会社は覚悟の集合体なんですね。
商社から、180度異次元のコンビニも面白い
-30年以上商社で活躍され、機械カンパニーCFOを経て、2005年には意外にもグループ企業のファミリーマートへ。業態の違いに驚きますが、どのように取り組まれましたか。
宮本:
その辞令には、私も本当に驚きましたよ。ショックだったので10日間ほどかみさんには言えませんでした(笑) 。商社のダイナミックな仕事が好きでしたし、もっとここで仕事をしたいと願っていましたから、正直に言えば「格下の仕事に追いやられたんだ」と意気消沈してしまった。
勘違いしてしまうんですね。例えば、機械カンパニーCFOとして取り扱っているプラントビジネスと、ファミリーマートで扱う商品の価格が7桁違う。扱い額が異なると、なぜか仕事が小さくなったような気がしてしまったのです。
でも、よく考えれば店舗が国内外合わせて1万7千店以上、ご来店者が国内だけで一日500万人としてお一人が100円の商品をお買い上げくださったら、さらに桁が違う。商社はカッコイイけれど、流通もまた面白いものだと痛感しました。今は楽しくて仕方がない。
-10年後はどのようなキャリア社会になっているでしょうか。生涯を通して自己成長できる仕事を続けるために、若い人に伝えたいことは何でしょうか。
宮本:
大切なことを2つお伝えしたい。まず、自分の会社へのロイヤリティを持つということ。10年、20年と勤務して初めて、優れた企業の文化を会得できます。それは年収で選んでいる仕事では身につかない企業風土が深い判断力を育てるからです。そして、この企業文化を持っている会社は、10年後も屋台骨が変わらない。
2番めは複数の軸を持つこと。語学でも、資格でも、海外の知見でもいい。先日、フィリピンに英語留学してくる人が多いと聞きましたが、なかでも韓国では母が子の語学留学についてきて、父親は自国から送金するケースが当たり前になっているそうです。日本は国民性が優しく、人に抜きん出ようとはしませんね。しかし、海外を相手に仕事をした私の経験では、いつからでも遅くはないから日本の他に海外にもう一つ軸を確立してほしいと思います。
-宮本さんが10年後に働きたいのは、どんな企業ですか。そこでどのような仕事をなさりたいですか。
宮本:
私はやはり、社員が自分で仕事を作ってくるような、アグレッシブな企業が伸びると思いますし、それは商社のように汗臭く、泥臭い企業かもしれません。そこで、問題を見つけ解決する仕事を目指したいですね。
1973年 名古屋大学経済学部卒業。同年 伊藤忠入社。大阪本社経理部を経て、ジャカルタ、ロサンゼルス、ニューヨークに駐在。2002年 業務部長代行、04年 機械カンパ二ーCFO、05年 ファミリーマート入社後、取締役執行役員、専務取締役を歴任。
編集部コメント:
30年に亘る商社勤めから、グループ企業の役員へ。教授による就職先の割り振り、経理配属、インドネシアへの派遣、突然の辞令でグループ会社役員へ、古き良き時代が垣間見えます。
終身雇用が終焉を迎えたといわれる昨今、「島耕作」を地で行く、時代を生きた方々が、どのような経験をされていたのか、大変興味深いです。
このような方々の一貫したサラリーマン人生の中で培われた知見・経験を、世の中に還元いただければと考えています。
「会社は覚悟の集合体」とおっしゃる宮本氏の言葉は、ベンチャーから大企業まで通じる真理なのかもしれません。
ノマドジャーナル編集部
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