2016年7月に行われた参議院議員選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選を果たした朝日健太郎氏。1990年代後半から2000年代前半にかけて全日本男子バレーボールの中心選手として活躍し、その後はビーチバレー選手として二度のオリンピックに出場したトップアスリートでもあります。

 

現役引退後はNPO法人理事長を経て政界へ。さまざまなフィールドへ活躍の場を広げることができた理由はどこにあるのでしょうか。その歩みには、アスリートのセカンドキャリアを考える上での貴重なヒントが隠されていました。

 

インタビュー前編となる本稿では、政治家・朝日健太郎としての現在の思いを伺います。

政治家へのキャリアチェンジは「超前向きな選択」

Q:今年7月の参議院議員選挙からまだ数カ月ですが、さっそくリオ・オリンピックの視察に向かわれるなど、多忙な日々をお過ごしかと思います。政治家になった実感は湧いていますか?

朝日健太郎氏(以下、朝日):

議員になるまでの準備期間が短かったこともあり、個人的には急な転身でもありました。実際に当選することができ、立場が大きく変わってから、当初1、2カ月は自分自身を新たな環境に適応させるための時間を過ごしていましたね。

 

ここ数年は「スポーツと港湾」を軸に、私が携わってきたビーチバレーの世界から日本の海岸線を活性化するという活動をずっと続けてきたので、政界でもぶれることなくこのテーマを追いかけていきたいと思っています。

Q:今後のキャリアとして政界に行こうと考えたのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

朝日:

私がプロアスリートとしての競技人生を引退したのは2012年です。その後は港湾振興に取り組むNPO法人の理事長という大役を任されました。ビーチスポーツを入り口に、海岸の活性化に向けたプロジェクトを動かしていく仕事です。政界や行政にも関わる立場でここ数年間を過ごしてきました。

 

最初に国政へ挑戦しないかという話をいただいたとき、これは自分でも意外だったのですが、咀嚼するのにはあまり時間がかからなかったんです。自分自身のキャリアチェンジという意味では、とても前向きにとらえることができました。

 

ビーチバレー選手時代から港湾振興に関わり、それと並行して、子どもたちの教育にスポーツを通して貢献してきました。そうした活動を突き詰めていくと、政治という側に回って物事を動かしていくことの価値や、自分自身のやりがいを強く感じたんですよ。もともと考え方が前向きなので、「とても価値のあることにチャレンジできるのではないか」と時間をかけずに決断できました。

十数年前には何もなかった海岸が、今では観光資源に

Q:港湾振興に向けた取り組みについては、これまでどのように関わってきたのですか?

朝日:

ビーチバレー選手として全国の海岸に出向いてきた中で感じたのは、「ビーチバレーのコートをもっと増やしたい」という素直な思いでした。そこで最初は純粋に運動施設を増やしたいという観点で活動していましたが、少しずつ流れができていくうちに、より海岸が利便性の高い場所となることに気づきました。十数年前には何もなかったような海辺にコートが立って、それが活発に利用されるようになると駐車場ができて、トイレなどのインフラも整備されて……。それがここ5、6年の流れですね。これを、さらに幅広く利用される資源とするためにさまざまなコンテンツをはめ込み、より良い場所にするという活動をNPOで展開してきたんです。

 

今では、海外から訪れる観光客にも日本の海岸資源としてアピールできるものにしていきたいという声が上がっています。最初は単純にビーチバレーのコートを立てることから始まったものが、ここまで広がってきました。政治家視点でこの価値をさらに掘り下げていきたいですね。

Q:いわゆる「箱モノ」を増やしてスポーツ振興を進める取り組みは多いと思いますが、ビーチにもまだまだ可能性があるのですね。

朝日:

最近はアリーナスポーツがすごく活発になっていますね。スタジアムとかアリーナといったスポーツ施設でお金を生むという発想は、ここ数年でどんどん広がってきました。ビーチ資源もしっかり後追いをしていきたいと考えています。

 

かつての港湾振興はコンクリートで固めて、物流の活性化を狙うものがほとんどでした。「もっと健康増進に貢献し、人々のライフスタイルに寄り添う形で港湾を活用できないか」という発想でビーチバレーを生かしたんです。観光資源としてはもちろん、これからは教育資源としても、非常に価値のあるコンテンツだと思います。

すべての海水浴場を「ビーチ」へ変えたい

Q:ビーチバレーというキャリアがあったからこそ、今につながる活動の広がりが生まれているということでしょうか?

朝日:

はい。現役を引退した直後は国会議員になるとは思ってもいませんでしたが、NPOの理事長としていちばん実現したかった思いは、今も持ち続けています。日本の津々浦々に「海水浴場」と呼ばれる場所がありますよね? その呼称を、地図の表記をすべて「ビーチ」に変えたほうが、人が集まると思うんですよ。海水浴場と書いてあったら、夏しか来ないじゃないですか。

 

国会議員としてこのテーマに取り組むからには、海水浴場という呼称をビーチに変える法律を作るところまで行けたら面白いですね。すでに呼称を変更してイメージアップにつなげ、成功した例も出てきているので。

Q:NPOに関わる方をはじめ周囲の期待も大きかったと思いますが、むしろご自身で積極的に決断したという流れだったのですね。

朝日:

はい。もちろん当選できるかどうかは自分の力だけでは結果が見えませんので、立候補するという決断はとても大きなものでした。そのときにキャリアを振り返り、自分自身の人生観とは何かを考えてみたんです。これまでと「180度」とまでは言わないものの、大きく方向転換するのは割と好きなほうだったんですよね。私がバレーボールを始めた理由も、実は消去法でした。

 

中編へ続く)

 

取材・記事作成:多田 慎介

専門家:朝日 健太郎

1975年、熊本県生まれ。身長199cm。
法政大学時代にはバレーボール全日本大学選手権で優勝を経験し、
在学中に全日本代表に選出される。卒業後はサントリーに所属し、Vリーグ3連覇に貢献。
2002年にインドアからビーチバレーに転向。2004年にTOKYOオープンで悲願の初優勝を遂げ、2005年2月にはジャパンツアーで年間優勝を果たす。白鳥勝浩選手とのペアでは前人未到の国内大会9連覇を成し遂げた。2008年の北京オリンピックに日本人男子として12年振りに出場し、日本ビーチバレーにとって歴史的な五輪初勝利を上げ、9位に輝く。
2012年のロンドン五輪への出場を果たした後、現役引退を表明。その後は日本のビーチバレーや港湾振興を支援するビーチ文化振興協会理事長に就任。
2016年7月の第24回参議院議員選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選。