2016年7月に行われた参議院議員選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選を果たした朝日健太郎氏。1990年代後半から2000年代前半にかけて全日本男子バレーボールの中心選手として活躍し、その後はビーチバレー選手として二度のオリンピックに出場したトップアスリートでもあります。

 

大学時代に全日本代表に選ばれ、順調にスター選手への道を歩んでいたかのように見えた朝日氏を襲ったのは、巨大なプレッシャーでした。「突然のビーチバレー転向」を宣言し、アスリートとしてのモチベーションを取り戻してからは前人未到の国内大会9連覇、二度のオリンピック出場を達成。ビーチバレー選手としての港湾への思いは、その後のNPO法人、そして政界へと、幅広い活動につながっていきます。

 

インタビュー最終回となる後編では、朝日氏の考える「アスリートのセカンドキャリア」への思いをじっくりと伺いました。

大きな決断で「自分に火をつけられる」場所へ

Q:2002年当時、全日本の中心的な選手だった朝日さんが突然ビーチバレーに転向したことでメディアが騒然としていたことを記憶しています。ここでは「大胆なキャリアチェンジ」が自分を救うことにつながったのですね。

朝日健太郎氏(以下、朝日):

ある意味、失敗といえば失敗です。でも、この違和感を拭い去れなかったら摩耗してそのまま終わっていたかもしれない。将来に向けた違和感があるときは、とにかく自分にとって最も収まりがいいように、環境を変えていくべきなのかもしれません。

 

無理をして自分を合わせるのではなく、自分が頑張れるように周りをいじる。変えられるものを変えていく。そうすることで得体の知れない違和感や負の感情が消え、新しい挑戦を始めることができました。

Q:人間的な強さを感じるエピソードですが、数多くの人の期待がある中での大きなキャリアチェンジには、別の形でのプレッシャーがあったのではないでしょうか。

朝日:

もちろん。

Q:それを乗り越えるのも、またストレスになるような気がします。

朝日:

それこそ、今回の出馬のほうが周囲に迷惑をかけたと思いますよ。周りの声が自分にとってのノイズのように聞こえることもあります。それでも、突き抜けてしまえば結果的に皆を納得させられるし、ハッピーにできると信じて動きました。大きな決断をするときは、まず自分で自分を納得させますね。周りはなかなか納得してくれませんが、「とりあえず見ていてください。やらせてください」と言い切れる強さは必要です。

Q:ご自身のことを俯瞰して、冷静に見ているのですね。

朝日:

どうでしょうか。「自分のやりたいことしかやっていない」とも言えますね(笑)。とにかくまずは、自分が躍動するための環境を整えていくんです。「やる気」とか「目標設定」が先にくる人もいると思うのですが、私の場合は、「自分はこうしたい、こうなりたい」という信念が自然と沸き立つような場所に身を置いて、熱が上がるように自身を変化させていく感じです。

 

今回、国会議員という重大な役割を担うようになったことも、私の選択としてはとても自然なことです。政治家として、自分の持っている強みで勝負したい。自分がやれることはたくさんありそうだ。そんな風に火がついたんです。

専門分野で、民間の声を吸い上げられる政治を

Q:その火は今後、どのように広がっていきそうですか?

朝日:

実戦のシミュレーションは、正直まだまだこれからです。スポーツの場合は、国際試合などの場でも対戦相手のレベルを見ればある程度予測できる部分があります。金メダルを取るために相手の戦歴を見たり、データを可視化したりする。それに対して政治はとても範囲が広いので、自分がどこで、どのように輝くべきなのか、手探りで進んでいる状況です。

 

ただ、チームで動かなければ成立しない世界だということは先輩方に教えてもらっています。ワンマンプレーヤーではダメなんだ、と。そう考えると、余計に楽しくなってきますね。

Q:新人議員という立場では、実際にどのようなことを感じるものなのでしょうか? 特に朝日さんはアスリートとしての知名度が武器になっている面もありますが……。

朝日:

必要とあらば上手に利用されるような振る舞いをしようと思っています。知名度が先行していることは認識していますので。しかし、政治家としての能力は着実に身につけていきたいですね。

Q:1期目の6年間には、東京オリンピックも開催されますね。

朝日:

国会議員としても、アスリート出身者としても、オリンピックには積極的に関わっていきたいですね。投票していただき選ばれた立場としては、民間の声をしっかりと吸い上げていくことが特に重要な役割だと思っています。その中でも特にスポーツとは近い立場にいると思うので、バレーボールをはじめとしたスポーツ界の声をいかに吸い上げられるか、それを国の方針にどうつなげていくのかという責任を感じています。

 

どのような立場であれ、「あれもこれも」と欲張っていては何も成し遂げられないでしょう。そういう意味でも、私の手が届く専門分野としてのスポーツ振興、そしてライフワークでもある港湾振興を軸に活動していきたいと思っています。

ミスを恐れず、リスクを取ってアクションし続ける

Q:最後にもう一つ伺いたいことがあります。アスリート出身の方々には、現役引退後のセカンドキャリア形成に苦戦している方も多いと思うのです。朝日さんが周囲を見ていて感じること、アドバイスできることがあれば、ぜひ教えてください。

朝日:

未知の可能性を追求する若い時期に、あれもこれも追いかける必要はないと思います。しかしそれ以降は、スポーツに特化するべき時期と、スポーツにとどまらない広い範囲へアンテナを張る時期を分けて持つべきではないでしょうか。ピーターパンのように夢だけを追い続けて、気付けば世の中に取り残されてしまっていることが、いちばんの課題です。

 

とはいえ、競技人生の中で何か別のことを平行してやっていくのは難しい。器用にこなせる人もいれば、そうでない人もいます。今は他人の知識や知見を集めやすい時代なので、例えばこうした記事を読むとか、身近で手頃な範囲でも構わないので、何かしらの情報にアクセスしておくことが重要なのだと思います。

Q:朝日さん自身も、苦しい時期を乗り越えるために強みを本当に生かせる場所を探し、積極的に情報を集めてきたということですね。

朝日:

そうですね……。「リスク」と「挑戦」をどうとらえるのか、ということが大切なんだと思います。私は今バレーチームの監督も務めていますが、何かに挑戦しない限り、個人やチームの前進はあり得ないとつくづく感じているんです。

 

特にバレーボール選手は、保守的な人が多い傾向にあるのかもしれない。バレーボールではミスがチームの失点に直結するので、リスクを非常に恐れるんです。その姿勢のままだと何が起きるか。「何もしない、リスクを負わない、立ち止まっておくのがいちばん」という考えになってしまいます。

 

もちろんその状態でも勝つことはあるでしょう。でもそれでは、やる意味がない。私自身、「いかに勇気を出してリスクを取りにいけるか」ということを常に考えていたいですね。セカンドキャリアを形にするためには、そうしたアクションが欠かせないのだと思います。

 

取材・記事作成:多田 慎介

専門家:朝日 健太郎

1975年、熊本県生まれ。身長199cm。
法政大学時代にはバレーボール全日本大学選手権で優勝を経験し、
在学中に全日本代表に選出される。卒業後はサントリーに所属し、Vリーグ3連覇に貢献。
2002年にインドアからビーチバレーに転向。2004年にTOKYOオープンで悲願の初優勝を遂げ、2005年2月にはジャパンツアーで年間優勝を果たす。白鳥勝浩選手とのペアでは前人未到の国内大会9連覇を成し遂げた。2008年の北京オリンピックに日本人男子として12年振りに出場し、日本ビーチバレーにとって歴史的な五輪初勝利を上げ、9位に輝く。
2012年のロンドン五輪への出場を果たした後、現役引退を表明。その後は日本のビーチバレーや港湾振興を支援するビーチ文化振興協会理事長に就任。
2016年7月の第24回参議院議員選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選。