2842万人。日本の人口の約1/4にあたるこの数字は、現在の女性労働人を示しています(厚生労働省「働く女性に関する対策の概況(平成15年1月~12月) http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/dl/15b.pdf)。みなさんもご承知の通り、ひと昔前まで、女性は家に入って家事や子育てをする役割を担っていました。しかし現代は、女性が社会で活躍することが当たり前になっています。それでは、現在に至るまで、女性はどのように社会へ進出してきたのでしょうか。今回からスタートする連載企画「働き方×女性」の第一回は、女性の社会進出の経緯についてご紹介したいと思います。

戦後の復興とともに、女性の社会進出が進む

日本において女性の社会進出が進むようになったのは、太平洋戦争で敗戦した後からです。アメリカによる法律の整備が進み、男性を長とする「家制度」が崩壊。男女平等を唱う民主主義国家へと転換しました。1945年には女性が参政権を獲得し、教育においても男女共学が実現。その後は戦後復興を目指し、日本人は猛烈に働く時代へ進んでいきます。

 

次の変化は1950年、隣国の朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発したことから起こります。アメリカから軍資の大量注文を受けたことをきっかけに、日本は高度経済成長へと突入。この頃「金の卵」と呼ばれる、中学校を卒業した男女が集団就職で上京しました。これが原動力となり、労働力が一段と押し上げられ、後の高度経済成長へと繋がることになります。これと並行して、徐々に技術革新が進みコンピュータを導入する企業が増えたり、好景気が続いたことからスーパーや飲食店などのサービス業の店舗数が伸び続けたことで、女性の雇用の需要が拡大していきました。

 

また戦前の女性は大学に入ることすらできませんでしたが、新制女子大学や女子短期大学が創設されたり、男女共学大学制が実施されたことで、次第に女性の進学率が上がっていきます。こうして大学を卒業した彼女たちは企業へ就職しますが、当時は結婚や出産を理由に退職する人が大多数。このことにより子育てを終えた後にパートで再び働き始める、またはフルタイムで働くという2つのパターンが出現することとなりました。

男女雇用機会均等法の成立で、総合職への道が開かれる

日本で高度経済成長が落ち着きはじめた1975年、世界では国際連合による「国際婦人年会議」が開催され、「女性の平等と発展と平和への貢献に関するメキシコ宣言」と、国際婦人年の目標達成のための世界行動計画を採択しました。
これを受けて日本国内でも行動計画を策定。男女平等を基本とするあらゆる文化への女性の参加促進、地位向上など5つの基本方針をもとに、教育、雇用、育児、家庭、老後など11に渡る重点項目をまとめ、取り組みを始めることとなりました。

 

中でも大きな転機となったのが、1985年に成立した「男女雇用機会均等法」。募集・採用時における男女の均等取り扱い、昇進、教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇などについて、女性労働者であることを理由に男性労働者と差別することを禁止することが法律で定められました。

 

折しも当時は、「バブル景気」の真っ只中。景気の上昇とともに仕事に就く女性が増えたことで、料理を作ったり食事にかける時間が大幅に減少。そこで、少ない手間とコストで作れるインスタント食品が注目を集めるようになりました。これを機に企業は、女性向けの商品やサービスを開発を開始。市場や社会において、ここからどんどん女性の影響力が増していきました。

IT技術の発達により、場所に縛られない働き方が可能に

その後1991年にバブルが崩壊すると、「失われた20年」と呼ばれる長い不況が押し寄せてきました。リストラによる解雇で契約社員やアルバイトとして働かざるを得なくなるなど、夫だけの収入では家計の維持が難しくなり、共働きで生計を立てる家庭が増加。一方企業側では、保険料や長期雇用といったリスクの少ないアルバイトの雇用が望まれるようになり、双方にメリットがあることとして、女性の活用が期待されるようになりました。

 

さらにこの時期、出生率が1.75にまで下がっていることを受け、1975年の「育児休業法」が改正されます。ここで画期的だったのが、男女ともに子どもが1歳になるまで育児休業を取得できることが定められたこと。今だに男性の育児休業取得率は一桁ではあるものの、”イクメン”という言葉に代表されるような育児に積極的に参加する男性が増える足掛かりとなりました。

 

2000年代に入ると、インターネットなど情報通信技術の発達によりオフィス以外の場所でも仕事をすることが可能となり、在宅勤務を導入する企業も増え始めました。さらに、インターネット上で情報共有ができるクラウドの普及が、時間・場所にとらわれない働き方を後押しし、子どもがいる女性の中にはフリーランスという働き方を選ぶ方も増えてきているようです。

女性の活躍を後押しする政策も続々登場

では最後に、女性の活躍に関する国の政策をみてみることにしましょう。2008年の1億2808万人をピークに日本の人口は減少しており、出生率も1.43(2013年)と下がったまま。このままいくと間違いなく、労働人口は減少していきます。出生率を上げる努力はすべきですが、労働力を損なわないためには、まずは目の前にある資源、つまり人材を活かすことが先決。2016年9月よりスタートした働き方改革会議で挙げられた9つのテーマの中でも、シニアや外国人労働者とともに、女性の活用が盛り込まれています。

 

ここで、いくつかデータを見てみましょう。
・女性の管理職比率は1割程度(国際的にみてかなり低い水準)
・第一子出産後の女性の離職率は6割
・出産、育児後に再就職する場合に、パートやアルバイトになる人が6割弱

 

このように、日本の現状は女性が活躍しているとは言えない状況。そこで国は、2016年に「女性活躍推進法」(正式名称は、女性の職業生活における活躍の推進に関する法律)を施行。女性が働きやすく、活躍しやすい環境の実現を目指すための法律で、企業には自社の女性活躍の状況把握・課題の分析から行動計画の実施に至るまでの4つのステップに取り組むことが求められるようになりました。

 

さらに昨年末に決定した平成29年度税制改正大網では、現在、配偶者の年収が103万円以下の家庭に適用されている配偶者控除の額を、2018年の1月から150万円以下に引き上げられます。こうなると、今よりも47万円分多い150万円分まで働いた方が妻自身や家庭にとってメリットが大きくなります。つまり、パートでも働く時間を増やしたり、フルタイムでの就業・復職をするなど、女性の就労促進の効果が期待できるというわけです。

 

こうした国の取り組みにより、女性が社会復帰をしやすくなる環境がますます整いつつあります。今後の働き方改革が、女性たちの生き方をどのように変えるのか、一つひとつの企業・団体の取り組みにかかってくるでしょう。

ライター:平賀 妙子

1989年、三重県生まれ。広告代理店勤務を経て、ライターへ転身。
企業のPRライティングやビジネス書の編集、IT企業のオウンドメディアの執筆などに携わっている。
普段は当たり前すぎて見逃されていることにスポットを当てて、
その魅力を伝える文章を書いていきたい。