商社、特に総合商社は、「ラーメンから航空機まで」の言葉のとおり、外国との貿易において、多種多様な商品を取り扱う仲介人の役割を果たしてきました。
島国で鎖国だった明治前の日本にとって貿易は皆無に等しかったのですが、開国と同時に日本経済の発展になくてはならないものになりました。

日本の経済を支えてきた貿易、そして商社は、どのような変遷を経てきたのでしょうか。そしてそこで働く人々は、どのような働き方をしてきたのでしょうか。

開国当時の貿易

1858年、開国により、長崎、横浜、函館などが正式に開港されました。この中で最も発展したのが横浜でした。横浜の港町には外国人居住地区があり、外国人はこの地区の中だけで生活し、取引もこの居住区内のみで行われました。

貿易の相手国としては、イギリスが主要で、特にイギリスで起こった産業革命により、機械で生産した織物が安い値段で入ってきました。その代りに、イギリスは生糸や緑茶を買っていきました。横浜港が発展したのも、関東、甲信などの生糸産地や製茶業の盛んな静岡に近かったことが大きな要因です。

これらの地域の生糸生産は、農家が担当しましたが、専業である米・麦などの耕作の副業として行われました。生産した生糸は生糸回収商人に引き取られ、港で生糸売り込み商人に引き渡され、そこから買い手であるイギリスの貿易業者に販売されたのです。

海運業の発達により活発化した貿易

開国当時は、外国船が日本の港にやってきて、外国人居住地区内だけで取引をする形態でしたが、やがて、日本人自らが船を使って物資の取引を行う海運業が発達するようになりました。その基礎を築いたのが坂本龍馬が創立した「亀山社中(かめやましゃちゅう)」で、これが貿易会社の始まりだと言われています。

その後1871年に政商(政府に直接雇われ物資を取引する商人)だった岩崎弥太郎が貿易・海運会社「三菱商会」を設立し、台湾の出兵を機に利益をあげました。後に、三菱商会は、政府の介入により、競争相手であった共同運輸会社と合併し、日本郵船会社となりました。

日本郵船会社は1893年に、日本にとっての初めての遠洋定期航路である「ボンベイ航路」を開設し、インドの綿などの輸入を活発に行いました。こうして日本の海運業が本格的に稼働し始めたのです。ただしこの頃は、商社と言う言葉はまだ一般的に使われておらず、現在商社が担当している商業的な役割は海運業者の業務の一部でしかありませんでした。

商社の本格的な活躍時代

日本には総合商社と呼ばれる会社が7つあります。「三菱商事」「三井物産」「丸紅」「伊藤忠商事」「豊田通商」「住友商事」「双日」です。これらの商社の創立時期や創立の過程は様々ですが、共通していることは、昭和の高度経済成長時代に大活躍したことです。

高度経済成長時代には、機械製品、家電製品、自動車など日本から輸出するものが急速に増えました。そして、日本でつくった製品を作るための資源の輸入も多種多様になりました。取り扱う量や種類が急激に増えただけでなく、複雑な構成を持った製品を外国とやり取りする中で、相手国の法律に適い、価格が物価レベルに合い、輸送上のリスクを管理する仕事が必要になりました。そこに仲介人の差し渡し(商社)が必要となったのです。特に商社で海外とのやり取りを直接担当する人には、高い語学力が要求され、世界を股にかけてビジネスをする「商社マン」は高給取りでもあり、人気のある仕事の一つになりました。

商社マンの働き方

商社マンは、買い手と売り手の間に入り、両者が満足いくような取引ができるよう交渉します。通常は日本側の企業と交渉する商社マンと、海外の企業と交渉する商社マンとに分かれ、日本と海外に2つのオフィスを持ち、その2つのオフィス間でコミュニケーションを図り契約に導きます。ある国に取引の多い企業がたくさん存在する場合は、その国に長期的に派遣され駐在することになります。需要の変動に応じ、国から国へと転勤することが多いのも商社マンの仕事の特徴です。

商社マンの働き方のもう一つの特徴は、交渉が、接待へと展開し、プライべーとな時間も仕事の一部として取られてしまう傾向があることです。ゴルフや会食などがその良い例です。独身である場合は、身動きが簡単ですが、家庭を持っている場合は、家族と過ごすための時間が、接待に置き換わってしまうため、家族への影響が大きくなります。
一見華やかに見える商社マンの仕事も、以上のような苦労が多いことは、あまり知られていないかもしれません。

情報革命による試練

平成に入り情報革命が起き、情報の入手や情報伝達が簡単になり、グローバル化により外国語を話せる人が増えると、商社を通さず、各企業内の調達・販売部門が直接外国の企業と交渉する傾向が出てきました。商社がそれまで果たしてきた仲介人の役割がだんだん見えなくなってきたわけです。

このような傾向を危機と感じ取った商社は、資源の開発などに自ら投資するなど、経済の流れに合わせて資産構成の変更を実施してきました。商社の強みは、これまで培ってきたグローバル的なネットワークを持っていることです。そのメリットを活かして、新しいサービスの提供などを創造していこうとする動きが見られます。

まとめ

貿易業は、幕末の開国以来、日本の経済の発展に大事な役割を果たしてきました。そこで働く人々の働き方も時代と共に変わりました。貿易はこれからも、世界中の国々が発展し続ける限り、ますます活発化し、重要な役割を果たしていくことでしょう。そして、貿易の取引の役割を担ってきた商社には、新しい価値を発揮してくれることを期待したいと思います。

記事制作/setsukotruong

ノマドジャーナル編集部
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