職人は、特殊な技術を持ち、伝統工芸などに従事する人のことですが、日本には伝統工芸の産地が今でも300か所ほどもあり、世界的に見ても驚くべき数だそうです。
つまり日本は「工芸大国」と言っても過言ではないのですが、その伝統工芸が1980年代頃から衰退の危機に晒されているのです。

今回は職人、特に工芸職人の働き方に焦点を当てながら、工芸職人がどのような変遷を経て今日に至り、今後どのような働き方の選択肢があるのかを見ていきたいと思います。

江戸時代の職人

古文書「職人尽歌合」(国立国会図書館デジタルコレクション)は江戸時代の職人の様子を絵で表したものですが、これを見ると、江戸時代には、たくさんの職人のタイプが存在していたことがわかります。
機械が発達していなかった時代で、どんなものも工具や簡単な装置を使って作り出さなければならなかったわけですから、たくさんの職人がいたこともうなずけます。

職種としては、下級武士たちが副業でやっていたような傘張りや提灯造りなどの簡単なものから、もっと高い技術を必要とした鍛冶屋、大工、そして陶芸などの伝統工芸までいろいろでした。
こうした職人たちは、当時の武士の清貧主義の影響を受け、職人の間にはお金儲けよりも出来上がったものの質を重視する働き方の気風が生まれました。これが「職人気質(かたぎ)」の始まりです。

日本の伝統工芸を支える職人気質

職人気質はその後も受け継がれましたが、「職人」という言葉には、「質素な生活をする人」のイメージがあるように、生活は困難な場合が多かったようです。にもかかわらず、日本では職人の間には「良いものを作り後世に残す」、「いい物を作っていればやっていける」という考え方が浸透し、家業として、親から子供へと受け継がれて行きました。職人気質の精神は、良い品を作ろうとする現代の物造り(製造業)のバックボーンにもなっています。

もし職人気質がなかったら、今まで受け継がれてきた人間味のある伝統工芸は、明治の産業革命や昭和の高度経済成長の時に、すべて合理化され機械化され消滅してしまっていたでしょう。
そこが日本の伝統工芸が他国と違う所で、今なお日本全国で300か所ほどの伝統工芸の産地が残っている理由だと思います。

450年の歴史を持つ伝統工芸「樂焼」

伝統工芸の特徴は受け継がれていくことです。例えば、「樂焼(らくやき)」という言葉を聞いたことはあると思いますが、この楽焼が450年の歴史を持った家業であり、今まだ継承されているということはあまり知られていないのではないでしょうか。
樂焼きは、豊臣秀吉に仕えた茶の湯の大成者「千利休」が愛した茶器としても有名です。初代は長次郎と言う名の陶芸家でしたが、その後「樂」という家名をもらい、以後、樂焼きとしてその伝統を今日まで15代に渡って継承してきました。

現在の当主16代目の樂篤人(あつんど)氏は、東京造形大学を卒業しイギリスにも留学したことのある現代人ですが、樂焼きを絶やないよう家業を受け継いでいます。
京都にある樂家の工房には「樂焼御ちゃわん屋」と書かれた暖簾が掛けられていますが、これは代が替わるたびに、当主のビジョンを反映するような暖簾に架け替えられるそうです。

その他の伝統工芸

伝統工芸の中には、家業としてでなく、弟子や見習いを受け入れることで伝承してきたものもあります。京都・奈良と並んで、伝統工芸の多いのが東京です。長く続いた江戸文化の影響を受けており、現在まで東京都により指定された伝統工芸は江戸打刃物、銅おろし金、江戸切子、東京三味線、江戸型彫、東京手描友禅、伊勢形紙、銅版仏画など40に上っています。

ただ、こうした伝統工芸はそれを継承してくれる人がだんだん減ってきているのが現状です。そこで、例えば葛飾区では、今年2017年の活動の一つとして、伝統工芸職人の弟子入りを支援する事業を立上げ、講習生を広く日本全国から募集する、という対応策を取っています。

新しい働き方としての「伝統工芸職人」

実際、現在の20代〜30代といった若い世代の人の中には、働き方の一つとして、会社という組織に縛られない、職人という働き方を選択しようとする人も増えているようです。

ただ、職人の問題は、報酬があまりにも少ないことです。仮に、東京・葛飾区が始めた弟子入り支援のような対策を実施しても、一時的な試みで終わってしまう場合が多く技術を活かす場がありません。また、身に付けた技術を生涯に渡って活かすためには、持続できるだけの十分な生活費を得ることも必要になります。
こうした問題に注目し、対応策を提案したのが、奈良に基盤を持ち奈良の伝統工芸品「奈良晒」やその他の工芸品を扱っている「中川正七商店」の中川正七氏です。

工芸大国日本を救う動き

中川氏は、日本の伝統工芸品が世界的に高い地位を獲得していないのは、その高い質に対しブランディングが弱いせいだと考え、この問題を解決するために今年3月に「日本工芸産地協会」を立ち上げました。

彼は『東洋経済」の中で、次のように述べています。
「工芸品の職人を希望する若者は少なくありません。しかし、その報酬の額を聞くと二の足を踏んでしまう。修業の名目の下に、将来設計が描けないほどの額しかもらえないケースが珍しくないから当然です。・・・フランスやイタリアに負けないブランド力を築いて、良心のある作り手が誇りを持って仕事に取り組める環境が整えば、エルメスなどと比肩する工芸品ブランドが日本から生まれても何の不思議もありません」
これを実現するために、日本工芸産地協会では、勉強会やコンフェランス(会議)を開いてコンサルティングを提供し、伝統工芸のビジネス面をサポートしようとしています。

まとめ

日本の武士の清貧精神に影響を受けて生まれた「職人気質」。日本の伝統工芸は、その職人気質に支えられ、産業革命や高度経済成長時代にも生き延びてきました。
けれども、伝統工芸は高い質を誇りながら、ビジネス面の対応が遅れているため、生活が苦しく、受け継ぐ人が少なくなり消滅の危機に瀕しています。
ただ、近年になり、一つの新しい働き方として、職人としての働き方が若い世代の心をつかみつつあります。今後、伝統工芸職人を支援する動きがさらに活発化することに期待を寄せたいと思います。

記事制作/setsukotruong

ノマドジャーナル編集部
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