前回の記事では俸給生活者について執筆しましたが、その俸給生活者と反対の立場にあるのが起業家です。起業家が多く出現し「起業ブーム」という言葉がマスコミで盛んに取り上げられるようになったのは平成に入ってからですが、実際には「起業」は新しいものではなく、すでに明治のころからあったものです。
では明治、大正、昭和と、起業ブームはどのように生まれ、働き方や経済にどのような影響を与えてきたのでしょうか。そして今後、起業はどのように展開していくのでしょうか。
世界的に低い日本人の起業活動指数
2000年代に起きたIT革命に伴って発生した起業ブーム。それ以降は誰しもが知っているとおり、ネット上で数え切れないほどのショップやサービスが立ち上がりました。
これは日本だけでなく世界的な現象ですが、日本の起業事情を世界の起業事情と比べた興味深い報告書があります。
2015年に経済産業省が委託した調査「起業・ベンチャー支援に関する調査 起業家精神に関する調査」によると、日本人の起業意欲は世界的に見ると大変低いという調査結果になっています。
61か国を対象に総合起業活動指数(TEA:成人(18-64歳)人口100人に対して、実際に起業準備中の人と起業後3年半未満の人の合計が何人であるかという指標)を使って比べたもので、日本の総合企業活動指数は4.8%と低く、61か国中57位と不名誉な結果が出ています。
日本人の起業活動指数が低い理由は?
また同報告書は、日本の総合起業活動指数が低い背景には日本の文化が起業と言うものを尊重せず、また日本人の失敗を恐れる気持ちが起業に対し消極的に作用してしまうからではないかと分析しています。
けれども、日本では本当に起業というものが尊重されず、日本人は失敗を恐れる気持ちを持った国民なのでしょうか。このことを知るために、明治時代に戻って起業ブームがどうのようにして発生してきたのかを探ってみたいと思います。
3つの段階に分かれていた明治の起業ブーム
江戸時代が終わり明治時代になると、西洋文化が急激に入ってくるようになりました。そこで明治政府は「殖産興業」のスローガンを打ち立て、そのスローガンのもと、西洋に追いつけ追い越せと煽り、前代未聞の起業ブームが訪れました。この起業ブームは大きく分けると3つの段階に分けられます。
1886~1889 産業革命の始まり
民間企業がどのように設立されて行ったのかは興味深いところですが、明治政府には「政商」と呼ばれる政府に直轄した商人がいました。明治政府の大蔵大臣を務めた松形正義(まつかたまさよし)は日本銀行の開設など、いくつかの財政改革をした人ですが、改革の一つは、政府が管理していた事業を政商に払い下げたことです。この払い下げにより、政商は民間企業を形成していきました。こうした企業は「財閥」として長く存続し、現在では三井、住友、三菱などの大企業に発展しています。
1890年代 産業革命の進展時代
この時期は、日清戦争の勝利により得た賠償金を使うことで経済が確立されていきました。政府は主に軽工業に力を入れ、紡績業、製糸業が発達しました。特に紡績業では、それまで手で紡いでいた作業を機械化し、製糸業でも座繰器と呼ばれる簡単な道具を使ったやり方から機械を使った手法に変わっていきました。
また、この頃には鉄道業も発展し日本各地に鉄道が敷かれるようになりました。鉄道は、JRを昔は「国鉄」と言っていたことから官営だと思われがちですが、当時、官営だったのは東海道本線だけで、ほかの線は一般の企業により運営されていました。
1900年代 重工業化時代
1904年に日露戦争が勃発したことを受け、明治政府は重工業に力を入れるようになりました。特に力を入れたのが鉱業と鉄鋼業です。鉱業では、日本各地で鉱山が活発化され主に石炭を採掘しました。鉄鋼業では、八幡製鉄所を官営として運営し、また民間企業としては池貝鉄工所や日本製鋼所が作られました。
更に、織物業では、豊田佐吉が動力織機を発明し、1926年に豊田自動織機製作所を創設しました。この企業は後にトヨタ自動車に発展しています。
また、鉄道業では、1906年に鉄道国有法が交付され、全国的な鉄道網を官設鉄道に一元化するため、私鉄を国有化することが決められ、1906年から1907年に掛けてすべての鉄道を民間から買収し、国営化しました。
大正から昭和中期は動乱の時代だった
大正から昭和中期に掛けては、世界的、社会的、そして経済的に様々な出来事が起きています。世界的には2つの世界大戦、そしてその大戦に付随した諸々の事件が勃発しました。こうした動きに合わせるかのように、社会的には、労働運動や社会主義運動の高揚、そして経済的には大恐慌が全世界を襲うなど、波乱と動乱に満ちた時代だったことがわかります。
このような動乱の時代にあっても起業熱は収まることがなく、この時代には、松下電工、日立製作所、トヨタ自動車、日産、キヤノンなど、現在でも日本経済の主幹を占める企業が、数多く生まれています。
戦後起きた起業ブーム
動乱の時代を経て、第2次世界大戦も終わり、ようやく平和が訪れましたが、戦争のせいで日本の国土は荒れ果て、人々の心はすさんでいたと言われています。ただ、戦いに敗れた日本にとって幸いだったことは、アメリカにより民主化され、たくさんの資本が入ってきたことです。こうした方策により、社会が安定し、経済も順調に回復。戦後の不安定期が過ぎて10年ほど経った頃には、高度経済成長が始まりました。
高度経済成長については、これまでの記事の中でもなんどか触れているので、詳細は省きますが、この高度経済成長時代が明治の次に起きた「起業ブーム」と言えます。明治時代の起業ブームと異なるのは、家庭を対象とした製品の製造業、つまり家電やカメラ、自動車などの耐久消費財を生産するなどの製造会社が多数生まれたことです。戦前から存在していた松下、日立、キャノン、トヨタ、日産などの企業に加え、ホンダ、ソニー、デンソー、オリックス、京セラなどのB to Cの新しい企業が続々と創設されました。
日本の起業家にはいつも「ビジョン」があった
こうして、明治から現代までの歴史を辿ってみると、日本人がいかに活発に起業活動に携わって来たかがわかります。明治のころは「西洋に追いつきたい」というビジョン、そして戦後は「戦後の痛手から復活して豊かになりたい」というビジョン。そんなビジョンが日本の起業家を舞妓してきたように思います。
では今の日本の起業活動指数が低いのは、なぜなのでしょうか。それは昔の起業家が持っていた「ビジョン」が現代人には持てなくなっているからではないかと思います。
平和で経済力もある程度安定した現在では、何を目標に起業するのかが分からなくなっているように思われます。けれどもここに一つの見通しがあります。それは新しい技術革新の出現の予感です。この新しい技術革新こそが新しいビジョンを造り出してくれる糧であることを期待したいと思います。
記事制作/setsukotruong
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