一般的にサラリーマンやビジネスマンと呼ばれている「俸給生活者」。俸給生活者は、企業や団体に雇われ働くことにより、定期的に給料をもらって生活する人のことですが、現在では、日本に限らず、世界のどの国においても最も一般的な雇用形態になっています。では俸給生活者はどのように生まれ、どのような働き方をしてきたのでしょうか。そして今後どのように変わっていくのでしょうか。

俸給生活者の始まりはいつ?

現在、大抵の人は毎日会社に通い給料をもらって生活しています。俸給生活者はサラリーマン、ビジネスマン、OLなどの言葉でも表現され、なんだか近代になって始まった雇用形態のように思われがちですが、起源を辿ると、江戸時代の武士に行きつきます。

江戸時代は日本の歴史の中で、もっとも長く安定した時代で、300年近くも続きましたが、その安定ぶりを支えたのが、綿密に確立された政治体制でした。そして安定した政治体制を支えていたのが、「俸禄(ほうろく)」という給料をもらっていた武士でした。武士の職業については、「副業の歴史、タブーの解禁」の記事でも触れているので、ここでは詳細を省きますが、江戸時代の政治体制には、俸給制度だけでなく単身赴任や上司への挨拶など、現代の企業体制につながるものがたくさん見られます。

明治時代に創出された事務職

明治維新が起こり明治時代が始まると、それまで幕府から俸禄をもらう俸給生活者だった武士は失業し、転業を強いられました。このことについては「武士の転業」の中で詳しく説明していますが、転業に苦労していた士族(元武士は明治時代になると士族と呼ばれた)にも就業の機会がやってきました。それは産業革命に伴って誕生した、たくさんの企業の事務職です。

士族はもともと学問に長じたインテリ層でしたから、事務職に就くのは適任で、また明治政府の官員、学校の教員、巡査や銀行員などに転職した士族もいました。こうした士族は「士族サラリーマン」とも呼ばれています。

事務系の俸給生活者に女性が多いのは?

一方、女性の俸給生活者としては、明治27年(1894)、三井銀行の大阪支店に採用された女性事務員が日本で最初の事務員と言われていますが、もう一つの説は1901年に現在の三越の前身である三井呉服店に雇われた3人の女性正社員が日本初という記録もあります。
いずれにしても、明治の終わりごろから女性も俸給生活者として雇われるようになったわけで、このころから、事務のような細かい仕事では、女性の能力の優位性が認められるようになったのです。

「サラリーマン」と呼ばれるようになったのは?

では、俸給生活者がサラリーマンと呼ばれるようになったのはいつごろからでしょうか。
1919.6.29(大正8)の「大阪毎日新聞 」は、「S・M・Uサラリー・メンズ・ユニオン産声を上げる」のニュースを伝えています。明治時代に事務職として形成された俸給生活者はその後数を増して、大正時代には労働組合を作るまでになったわけです。

この大正時代の「サラリー・メン」が現代における「サラリーマン」になり、いまでは「サラリーマン」は和製英語として、世界的にも広く知られるようになりました。
※サラリーマンの語源には他にも、塩を意味するラテン語「salarium」から貴重な塩を支給する意味合いがある、英語「salaried man」がもとになっているなど、諸説あるようです

高度経済成長時代を風靡したサラリーマン

「ドント節」という歌を聞いたことがありますか。植木等をボーカルとするクレージー・キャッツというグループが高度経済成長の最盛期1962年に出した歌で大ヒットしました。歌詞の主要部を書き出してみると次のようになります。

サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ
二日酔いでも寝ぼけていても
タイムレコーダーがちゃんと押せば
どうにか恰好がつくものさ

社長や部長にはなれそうもないが
定年なんてのはまだ先のこと
競輪競馬にパチンコマージャン
負けりゃやけ酒、また借金

この歌、リズムも歌詞もかなり調子のいい歌なのですが、歌詞を見るとサラリーマンへの羨望と皮肉が混ざっていますね。高度経済成長時代のサラリーマンはその時代の花形でしたが、その一方で、その働き方が批判の対象にもなっていました。

英語で紹介されたサラリーマンとは

高度経済成長が進むにつれて、花形だったサラリーマンの働きぶりにも恐ろしいものに変化していきました。Wikipediaの英語版で紹介されているサラリーマンの記述が当時のサラリーマンの猛烈ぶりを表現しています。その内容を和訳すると次のような内容になります。

まず、「Salarymanは特に日本のホワイトカラーまたはビジネスマンを意味する」と前置きした上で、次のように説明しています。

「日本の社会は国民を、基本的には、個人のためでなく社会全体のために働くよう育成しますが、サラリーマンはそうした社会の一部です。サラリーマンは長時間労働や付加的な残業を強いられ、仕事の後でも同僚との飲み会やバーなどへの参加を求められるなど、他のどんなことよりの仕事に価値を見出すことを期待されています。」

脱サラに転向した俸給生活者

高度経済成長時代に一世を風靡したサラリーマンも昭和時代の後半から平成に掛けて、その働き方に疲れを感じるようになりました。その頃に見られた傾向が「脱サラ」です。
日本国内での脱サラブームは少し時を待たなければいけませんでしたが、サラリーマン生活に疲れた人々の中には海外に移住して脱サラを果たした人も少なくありません。筆者が在住しているオーストラリアでも脱サラした日本人が何人もいました。

たとえば、ある商社に勤めていたHさん。海外駐在の経歴が長く、駐在先のオーストラリアで知り合いも増え、時期を見計らって会社を辞め、日本食のレストランを開業しました。また、貿易会社のサラリーマンで、オーストラリアに派遣されていたAさんも、会社を辞め、駐在員時代に築き上げた伝手を使って自分の貿易会社を立ち上げました。

日本で起こった脱サラ、そして今後の進む道は?

日本国内で起こった脱サラは、平成になってから、起業ブームへと生まれ変わり、再燃しました。起業ブームの引き金となったのは、経済の浮き沈みにより調整用として雇われていた派遣員が大量に解雇されたことではないでしょうか。このことは、サラリーマンだったら安定しているという神話を覆すことになり、人々の中に企業に雇われることに対する不安が生まれました。
解決策として生まれたのが、会社を辞め起業することで、一つのブームになり、このブームは今でも続いているように思われます。

起業ブームについては、別の回で取り上げたいと思いますが、現在では、テクノロジーの発展に伴い、これまでできなかったような仕事も増えました。しかし同時に、テクノロジーに取って代わられるようになった仕事もあります。起業ブームは、こうしたテクノロジーの発展の波に乗ったものだということができます。

まとめ

俸給生活者の仕事を、江戸時代の武士から現代の脱サラに至るまでの変遷を見てきました。一番安定しているように見える俸給生活者ですが、いつの時代にもその存在を脅かす要素が存在していました。
今後は、更なるテクノロジーの発展により、俸給生活者の代表である事務職のほとんどが消えていくことが予想されています。俸給生活者の働き方の今後の動向を見守りたいと思います。

記事制作/setsukotruong

ノマドジャーナル編集部
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