人口はいつの時代も問題になってきました。人口過剰、人口過少、ベビーブーム、少子化など、時代によって捉え方が違い、多すぎても問題、少なすぎても問題と、いったいどのくらいの人口なら良いのだろうかと人口批評に疑問詞を投げかけたい気持ちになります。
今回は、人口に関わる歴史を振り返りながら、これから先の人口の変化に合わせてどんな働き方が求められていくのかを考えてみたいと思います。

楢山節考(ならやまぶしこう)

「楢山節考」という映画を見たことはありますか。これは深沢七郎の短編小説を基に1958年に制作された映画ですが、日本古来から伝わる「姨捨山(うばすてやま)」の風習を物語にしたものです。はっきり言ってかなり衝撃的な映画です。

舞台は江戸時代の貧しい山間部の農村。70歳になる母親を背負って近くの楢山まで登り、そこに置き去りにするという話です。江戸時代は今よりもずっと人口が少なかったのに、貧しさのため、食料が十分になく、生まれてくる世代を救うために、老人は70歳になると山に捨てられる決まりになっていたのです。つまり、今よりもずっと人口の少なかった江戸時代でも「人口過剰」と考えられていたのです。それにしても、なんとも悲しく恐ろしい風習ですね。

ブラジルやハワイへの移民

同様に人口過剰と考えられていた明治時代から大正時代にかけては、活路を求めて、日本人も海外に移住するようになりました。最初のころは米国に移民する人が多かったのですが、人種差別により迫害されたため、米国への移民は中断されました。代わって日本政府に移民の要請をしてきたのがブラジルとハワイでした。ブラジルはコーヒー農園の労働力として、ハワイはサトウキビ畑の働き手として海外からの移民を必要としていました。

日本政府はこうした要請に応える形で日本各地から移民を募り、結果として、ブラジルには1908年から100年間で13万人が、ハワイには1868 年から1924年に排日移民法が制定されるまでの56年の間に22万人の日本人が移民として海外に渡ったのです。
ここでも、当時の人口は今とは比べ物にならないほど少なかったのに(※)、人口増加が問題視されていたのは不思議な気がします。
※明治初期で約3,000万人、1910年の統計では約5,100万人

昭和の「産めよ増やせよ」政策

江戸から明治時代にかけて過剰とされてきた人口ですが、大正・昭和の時代で大きな転換点を迎えます。2つの世界大戦での日本の犠牲者は300万人と推定され、ここで失った人口を挽回するために「産めよ増やせよ」の時代が到来しました。この時代は、産業が機械化され経済も発達し、生活も戦前よりずっと豊かになっていましたから、人口が急激に増えたことはかえって、経済にとって有利でした。その後、団塊の世代と呼ばれる人たちが生まれた1950年代には人口増加はピークに達し(1950年の前年比増減率は+15.6%で最多)、その頃から高度経済成長の時代が始まりました。

このように見ていくと、人口が過剰か過少かということは、絶対的な人の数ではなく、経済と深くかかわっていることがわかります。絶対的な人口が少なかった江戸時代でも、経済がまだ十分発展しておらず、食料や生活必需品が不足している場合は、人口過剰と考えられましたが、高度経済成長時代のように経済がうまく回っていれば、ベビーブームで人口が急に増えても人口過剰とはみなされないということになります。

少子化とAI化の関係

さて、平成に入ると今度は、「少子化」が問題視されるようになりました。第9回の「消えた昭和の仕事が示唆する今後の働き方とは」でも触れましたが、2015年に野村総合研究所から発表された内容によると、「国内労働人口の49%にあたる職業が人工知能やロボットで代替される可能性が高い」そうです。

だとすれば、「少子化」で人口が減った方が、人工知能化の傾向にマッチしているということにはならないでしょうか。つまり、少子化で人口が減る傾向であっても、AI化で人間のする仕事も減っていく傾向にあるのですから、労働人口は過剰にも過少にもならず、ぴったりと符合することになります。

高齢者のケアにおける人手不足を解消するには

上述のように、少子化が労働市場の上では問題ではないとしても、実際には困ったこともあります。それは高齢者のケアです。特に日本は世界一の高齢化社会と言われているように、2013年のデータでは65歳以上の人口は約3,000万人にもなります。これは全人口の25%に当たる数です。つまり、2人の働き手が一人の高齢者と一人の未成年者を養っていく計算になります。しかも高齢化はますます加速する一方で、政府も方策に頭を抱えているようです。

そこで最近になって提言され始めたのが、高齢者ケアにAIつまりロボットを使うことです。たとえば、「人口と日本経済」の著者である吉川洋氏も次のように述べています。

日本の経済の「成長」については、『人口減少ペシミズム』が行き過ぎている。人口が減っていく日本経済に未来はない、といった議論が盛んになされるが、これは間違っている。先進国の経済成長は基本的に過剰人口ではなく、イノベーション(技術革新)によって生み出されるものだからである。
さらに、高齢化社会である日本には新たな技術革新を生み出すチャンスがたくさん転がっているとも言っているのです。

人口増加と環境の問題

今回は、歴史的な事実に基づきながら、人口と経済の関係性、そして、働き方を見てきました。経済だけを考えると、絶対的な人口の多い・少ないが問題なのではなく、その時のテクノロジーが人間の要求にどれほど応えうるかということが問題であることがわかりました。

しかし、考えなければならないのはこれだけではありません。もう一つ「環境」という問題があります。環境にとっては、人口は少ない方が良いのですが、どんなに技術革新を起こして、経済を発展させ、人口問題を解決できても、こうしたすべてのことが環境に悪い影響を与えていれば、何の意味もなくなってしまいます。ですから、技術革新は環境をまず第一に考慮したものでなくてはならないのです。ここに、今後の働き方を考えていく鍵が隠されているように思います。

まとめ

「人口問題」と一口に言っても、その時代における技術の進化や、経済状態そして環境とも深いかかわり合いを持っています。歴史を見ても、活路を求めて「姨捨山」などの残酷な風習が存在したり、遠くの異国に移民したりと、人口問題は単なる数の問題ではないことが分かります。そして、今後は高齢化に伴い、高齢者を支える働き手の世代が技術革新を通して新しい働き方を模索する時代が来ようとしているのです。

記事制作/setsukotruong

ノマドジャーナル編集部
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