「派遣」という言葉には、あまり良い響きがありません。それは2008年頃から始まった「派遣切り」や「派遣村」の設立などで、「派遣」=「不安定な仕事」という印象が根付いてしまったからかもしれません。
今回は「派遣」という言葉に焦点を当て、派遣された人々が歴史の中でどのような仕事をしてきたのかを探ってみたいと思います。
「派遣」という言葉の意味
「派遣」の意味を調べてみると、「派」は「さしむける」と言う意味で、「遣」は「遣(つか)わす」という丁寧語で表わされるように「使いとしておもむかせる」という意味になります。
つまり「派遣」には、人材をただ提供するだけではなく、「大事な人を大事な目的のために差し向ける」という意味合いが含まれているのです。
日本では、古くは遣隋使や遣唐使の派遣、近年では海外に進出した企業による人材派遣など、まさに「大事な人を大事な目的のために差し向け」てきました。
遣唐使として派遣された阿倍仲麻呂
奈良時代の貴族の一人「阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)」という人物をご存知でしょうか。
阿倍仲麻呂は百人一首の名歌「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」の作者なのですが、中国が唐時代だった時に当時の都であった西安に派遣された遣唐使でもありました。
遣唐使の派遣は、近年の人材派遣における派遣の目的とは異なり、派遣先で政治や文化を学びそれを日本に持ち帰ることでしたが、「差し向けられた」ことでは同じです。
命がけの派遣
阿倍仲麻呂が派遣されたのは、19歳の時でしたが、頭脳明晰で才能が豊かだったため、当時中国で一番難しいと言われていた国家試験「科挙」に合格し、唐の玄宗皇帝に唐王朝の官吏として起用され、35年もの長い間日本に帰ることができませんでした。また、中国の有名な詩人李白などとも交流があったことがわかっています。
35年目にやっと帰国のチャンスが巡って来たのですが、船で日本に向かう途中、嵐に会い遭難しました。幸い命は助かったのですが、また西安に戻ってしまいました。結局、阿倍仲麻呂は帰国できないまま中国で一生を終えました。遣唐使の派遣は命がけの派遣だったのです。
海外工場支援のための派遣
長く平和な江戸時代から二度の大戦を経て1980年代になると、日本の製造業は大きく発展していくことになります。市場を海外に求め急速な勢いで進出していき、海外に多くの工場を作りました。その先駆けとなったのが自動車製造業や自動車関連の製造業です。
アメリカやオーストラリアなどに生産工場を作り、そこでの生産の指導のために日本から多くの従業員を派遣しました。3年ほどその国に住みながら指導するために派遣される人は「駐在員」や「出向員」と呼ばれ、プロジェクトなどで1~3か月の短期間派遣される人は「支援者」と呼ばれました。
近年では東南アジアへの進出が目立つようになりましたが、それだけでなくヨーロッパや中南米など、世界各地に様々な企業の従業員が派遣員として送られ、日本の技術や生産方式を伝えてたのです。
近年の派遣
前述の2つの歴史事項における「派遣」は積極的な意味合いを持っていますが、一方で、現在使われている「派遣」には「正規ではない」というネガティブな意味が含まれています。それはなぜなのでしょうか。
人を労働のために売買したり、人材を斡旋したりする仲買人の仕事は、江戸時代からあったことが分かっています。そうした風習は江戸以降も存在し、人権を無視した劣悪な雇用形態が浮上するようになりました。職業安定法により表面上は禁止されていましたが、現実の雇用状況がなかなか改善されなかったため、1986年に「労働者派遣法」が制定されました。
劣悪な人身売買を救った労働派遣法
「労働者派遣法」というと、「派遣切り」などのイメージがあるため、悪法と思われがちですが、実際には、派遣労働者の権利を守るために制定された法律だったのです。
労働者派遣法は、1986年に制定されて以来、最も新しいところで、2015年に改訂されるまで、約20年間に8回も改訂されました。それだけ日本の労働市場を取り巻く環境が激しく変化したことを物語っています。
改訂されるたびに派遣できる業務が増え、最初は13業務だったのが現在では28業務、そして派遣期間も全業務3年と統一されました。更にキャリアアップやコンサルティングが義務づけられ、これまで、スキル面や知識面で弱かった派遣労働者の質の向上も図られることになりました。
派遣の本来の意味に近づく働き方
派遣は一つの会社に捕らわれず、自由な働き方ができるというメリットがあります。けれども、これまでは、その自由さに甘んじ、自分磨きをあまりせず、結局、足りない労力の穴埋めのような存在として取り扱われたこともありました。
2015年に改訂された「派遣法」のキャリアアップの義務付けを機に、「大事な人材を大事な目的のために差し向ける」という派遣本来の意に沿うよう、自分の能力やスキルを磨き大事な人=必要とされる人材になれば、引く手あまたとなり、大事な目的のために差し向けられるチャンスも増えるのではないでしょうか。
まとめ
日本の歴史を見てみると、遣唐使や海外の工場へ派遣された社員など、派遣された人は、常に大事な任務を背負って、時には命がけで派遣先に出かけてきました。
近年になり、経済を取り巻く環境が激しく変化し、自由な雇用形態としての「人材派遣」が定着してきましたが、2015年の改定では、キャリアアップが義務付けられています。
派遣の特徴の一つである「自由な雇用形態」に甘んじることなく、「派遣」本来の意味の持つ「大事な人」になるよう自分磨きを続けていく、そんな働き方を期待したいと思います。
記事制作/setsukotruong
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