わたしは日本の大学に在学中、ドイツに留学しました。留学先には日本語を勉強している学生も多かったので、ワーキングホリデーや留学などで来日した友人も少なくありません。

外国人労働者について考えるとき、「受け入れ側」に立つことが多いかと思います。ですがそこには、「働く側」の人もいるのです。受け入れる側だけの考えでなく、働く側の人たちの考え方にも触れなければ、外国人労働者への理解は進みません。

本連載では統計データを引用することが多かったのですが、今回は趣向を変えて、日本で働いたドイツ人の友人たちの体験談をご紹介します。

住むには最高の日本、働くには?

よく、「日本は住むには最高の国だ」と言われます。治安がよく、コンビニもあり、サービスの質が高く、電車も時間通りに来ます。とても便利で快適な国であることは、まちがいありません。ですがこの言葉には、「ただし、働かなければね」という言葉が続きます。

日本が美しく伝統がある国であること、日本人がマジメで礼儀正しいことは、広く知られています。それと同時に、「劣悪な労働環境である」こともまた、広く知れ渡ってしまっています。

つまり、日本で働く決断をした外国人は、「日本の労働環境を知ってもなお日本で働きたい理由」があるのです。多くの場合が就労機会や賃金目当てですが、ドイツで知り合ったわたしの友人たちは、「日本が好きだから」という理由で、日本で働くことを選びました。

ではその友人たちは、日本で働いてみて、どのような経験をしたのでしょうか。何人かの体験談を紹介しようと思います。

ガイジンというレッテルに苦しむ人も

就労許可がすでにある外国人の場合、外国人向けの求職枠に応募することもできますし、日本人と同じように職探しをすることもできます。

前者の場合、配属される部署は外国人ばかりで公用語が英語、ということが多いようです。後者の場合、仕事で困らないレベルの日本語能力や日本文化への適応が強く求められるでしょう。

とあるドイツ出身の友人は、顔を見なければ外国人だと気づかないほどの日本語能力を持っていました。彼はワーキングホリデービザで来日し、日本語の履歴書や面接で採用され、都内の高級ショップで店員として働き始めました。

多くの同僚や顧客は彼に好意的であったものの、一部の人からは「外国人」という色眼鏡で見られたそうです。接客中、「日本人に交代して」とお客さんに言われたことや、先輩に「外国人には鍵は預けない」と言われたことを話してくれました。

もちろん、それはごく一部の人間でしょう。ですがこういった体験談を耳にすることは多く、旅行で来日した友人たちも、「じろじろ見られてばかりだった」「日本語で話しかけても『英語が話せないから』と拒絶された」などの体験談を語っていました。

日本語を話すことができ、日本を好きな外国人にとって、露骨な外国人扱いは相手を傷つけることにもなるのです。

日本文化を強要するのは「当然」?

「郷に入っては郷に従え」という慣用句があるように、外国にいる場合、その国の価値観や伝統を尊重するのは当然のマナーです。ですが日本では、その期待度が高すぎるように思えます。

日本で働くことを決めた人たちの多くは、「日本を理解して日本に適応したい」と思っています。ですが、だからといって、「日本のやり方がすべて正しい」と思っているわけでもなければ、「日本人のように振る舞う」必要はありません。

以前日本で働いていたメキシコ出身の友人は、「日本に合わせるのは当然だけど、日本が常に正しいと思っているのはちがう」と言っていました。

世界的に見れば、日本の「常識」は世界の「非常識」と言われます。日本は特別なしきたりや価値観が根付いています。それが日本の魅力でもありますが、外国人に押し付けるのは、「相手の文化や価値観を尊重しない失礼な人」に当たります。

メキシコ出身のその友人は、サービス残業に異議を唱えたときは「日本では当然」、後輩だからと押し付けられた雑用を拒否したときは「伝統だからやれ」と言われたそうです。

たしかに、「なぜサービス残業をするのか」「後輩が雑用をするのか」と聞かれたら、「日本ではそれが普通だから」という答えになるでしょう。ですがそれを外国人に押し付けるのは、相手の考えを尊重しないワガママではないでしょうか。

外国人が少ない日本では、「日本文化の押し付けは、日本にいるのだから正当化される」と思っている人が少なくありません。これでは、外国人労働者は息苦しいでしょう。

外国人も人間であるという理解

外国人だから冷たくされたり、逆に妙に優しくされたり、理解してもらえなかったり、理解できなかったり。多少ならばどの国にいてもあるでしょうが、外国人と接し慣れていない日本人は、特に外国人を特別扱いするように思えます。

外国人も、当然ながら同じ人間です。背が高くても低くても、目が良くても悪くても同じ人間であるように、外国人も特別な存在ではありません。あなただって、日本を出たら外国人なのですから。

物理的には外国人が身近になっても、精神的にはまだ溝があります。すぐにその溝を埋められるわけではないですし、なにがなんでも外国人を理解する必要があるわけでもありません。

ですが、その溝を渡る橋のありか、つまりどうやったらお互いを理解できるのか、歩み寄れるのかを理解しておくことは大切です。

外国人労働者の受け入れを積極的に行うのであれば、日本では「外国人は特殊な存在ではない」という、当たり前の国際教育をしていく必要があるでしょう。

取材・記事制作/雨宮 紫苑

ノマドジャーナル編集部
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