前回の記事では、1980年~1990年代に掛けて中国や東南アジアの国の安い労働市場が進出し、オーストラリアの製造業に大きな打撃を与えたことをお伝えしましたが、皮肉なことに2000年代に入ると、こうした新興国が今度は資源ブームを造り出し、オーストラリもその恩恵に預かることになったのです。

西オーストラリアへ休暇に出発

オーストラリアでの資源ブームがピークの時期、2009年に、オーストラリアで最も資源が豊かな西オーストラリアを旅するチャンスがありました。といってもこの旅は、もともとただの休暇で出かけたものだったのですが、最後に訪れたポートヘッドランドで、当時の資源ブームの様子をみることができたのです。今回はその時のことをお話したいと思います。

 

旅の出発点は西オーストラリアの州都パースでしたが、在住のメルボルンからパースまでは飛行機で飛びました。パースから車で海岸に沿って北上すると、やがて土が少しずつ赤くなっていくのがわかりました。世界遺産の「エアーズロック」に見られるあの赤色です。この赤色は土の中に含まれている酸化鉄が作り出している色で、酸化鉄は鉄鉱石の主成分です。更に車を進めていくと、丘を切り崩して作った道路に出ました。その切り口が鉄鉱石の層を見事に示していたので、鉱山地帯に入ったのが分かりました。

赤いポートヘッドランド

宿泊したのはポートヘッドランドというところでしたが、宿を予約するときに驚いたことがあります。それは、宿泊料金がやたらと高いことでした。普通は郊外に行けば行くほど宿泊料金は安くなるのですが、ポートヘッドランドは西オーストラリアではある意味「僻地」。その僻地のホテル代が高いというのはどうしたことかと不思議に思いながらも予約したのですが、その理由は後でわかることになります。

 

さて、ポートヘッドランドに着いてまず気づいたことが、どこもかしこも赤いということでした。もちろん地面は赤いのですが、まわりにも赤い土ぼこりがうっすらと積もっていました。それもそのはず、西オーストラリアでは、鉄鉱石の採掘は露天掘りですから、風が吹くと赤土が土煙となり、街全体が「赤」というイメージになってしまうのです。植物もあまりなく、「こんな所にはとても住めない」と思ったものでした。

街の中央には「ビリトン」という大きな鉱山会社の建物が見え、そのすぐ近くにちょっとした商店街がありました。スーパーマーケットに入り買い物をし支払いをするときにレジの女性に「ここでの生活はどうですか」と聞いてみると、不機嫌そうな顔をして「あまり良くないけど夫が鉱山で働いているから仕方ない」という返事が返ってきました。

鉱山列車と中国の船

スーパーでの買い物も終わったので街の中を見学することにし車を進めると、線路が見え、向こうから貨物列車がやってきました。長い長い列車でした。そしてそこに積んであったもの、それは鉄鉱石でした。考えてみれば鉱山の町、当たり前のことだったのかもしれません。でも始めてみた鉱山列車の光景になぜが圧倒され、列車がどこまで行くのか線路伝いに列車の後を追いかけました。

行きついたところはポートヘッドランドの港でした。そしてそこにしばらくいると、湾のかなたから大きな船がやって来るのが見えたのです。近づいてきたのでよく見ると船体に中国語が書かれていました。これで、先ほど見た鉄鉱石がこの船に積まれて中国まで持っていかれることが分かりました。ちょっとしたドラマでしたが、オーストラリアの資源ブームの様子が良く分かりました。

鉱山の町で生活するということは?

さて、船の見学も終わり、近くの公園で休んでいると、若いオーストラリア人のグループがピクニックをしていて、その中の一人が話しかけてきました。クィーンズランドから来て鉱山で働いているということでした。労働条件は素晴らしく良いと言っていました。2週間働くと4日間クィーンズランドに帰してくれ、ポートヘッドランドにいるときの週末はバリ島に気晴らしに行けるそうで、費用はすべて会社持ち。でも、どこか寂しそうで「連れがいないからね」と言っていました。

 

このオーストラリア人によると、彼の宿泊先はホテルで、これも会社が出してくれているとのことでした。ホテルの話が出たので、高かったホテルの宿泊料の話をすると、家やアパートはすでに空きがなく、溢れた鉱山労働者はホテル住まいを強いられているとのこと。つまり資源ブームで宿泊施設が足りない状態だったのです。予約したホテルの宿泊料が高かったのは、ホテル側がこうした機に乗じて値段を釣り上げていたからでした。

 

西オーストラリアの旅は単なる休暇で出かけた旅だったのですが、ポートヘッドランドでこのような社会勉強ができたのはボーナスでした。

多くの鉄鉱石を積んで走る鉱山列車、それを積んで海を渡る中国の貨物船。確かにポートヘッドランドの町自体には活気がありましたが、そこで働く人々の表情は必ずしもハッピーには見えませんでした。どんなものでも、産業がブームになると、どこかにしわ寄せがやって来るということを目のあたりにした体験でした。

 

記事制作/setsukotruong