経営人材として複数の企業に関わり、自身の価値を最大限に発揮していきたい――。そんなキャリアプランを描く人が増えています。しかし現実には、「自分の経験やスキルをどう生かしていけばいいのか分からない」「複数企業に関わるチャンスがない」といった壁にぶつかっている人も多いのではないでしょうか。
今回インタビューをさせていただいた川越貴博さん(TESIC株式会社 CEO)は、そうした壁を乗り越え、さまざまな業界に経営的観点から関わっています。そのキャリアは異色と言えるかもしれません。高卒入社したトヨタ自動車を経て無名の中小工場を立て直し、その後はAmazonやスタートアップを経て独立。机上のコンサルティングにとどまらない「現場へ入り込んで企業を変革していく」スタイルは、貪欲に切り拓いてきたキャリアによって得られたものだと語ります。
業界・業種の枠にとらわれない経営人材となるためのヒントをうかがいました。
【プロフィール】川越貴博さん
TESIC株式会社 CEO。1996年にトヨタ自動車へ入社し、自動車部品製造やさまざまな「カイゼン」活動に従事。その知見を生かして食品メーカーへ転職し、倒産寸前の状況からのV字回復を成し遂げる。AmazonでのFCマネジメントを経験した後、スタートアップ2社で取締役としてマーケティングや財務、人事・労務、広報・PRなどを担当。2018年、「企業改革アドバイザー」を目指してTESICを設立。
違和感を見逃さず、常に対策を考える。トヨタで身につけた「カイゼン」の習慣
──川越さんの社会人キャリアのスタートは、高校卒業後に入社したトヨタ自動車だとうかがいました。
幼少期から野球をやっていて、山梨県の日本航空高校へ特待生として進んだんです。プロ野球選手を目指していましたが、体格的にそこまで恵まれていないこともあって、高校で断念しました。学校では主に機械関連を学び、飛行機のエンジンを整備したり、ヘリコプターに乗ったりという経験もしました。
大学へ行くことも視野に入れていたんですが、実家が裕福ではなかったこともあり、高校卒業後は働くことにしました。トヨタ自動車に入ったのは親の強い勧めがあったからです。愛知県みよし市の工場に配属されました。今から20年ほど前、トヨタがまさに世界へ出ていこうとしていたタイミングで、マークⅡやカローラといったセダン系車種が人気の頃でした。
──入社後はどのような仕事を担当していたのですか?
大型のプレス機を使って金属を切断し、ボルトを作るという仕事をしていました。タイヤのハブや、エンジンのつなぎ目に使うようなボルトですね。機械操作の習得には結構時間がかかります。ネジを切る工程もあるのですが、作り手の技量によって「ネジの入り込みがスムーズかどうか」という微妙な完成度の違いが出るんです。
その生産現場では、スピードと品質へのこだわりが半端ではありませんでした。
──トヨタの生産現場と言えば、世界的に知られる「カイゼン」の印象がとても強いです。
入社して5年くらいは、とてもしんどかったのを覚えています。周りの先輩たちはしっかりと教育されているので、カイゼンが身についている。新人とはケタが違うスピードでカイゼンを実施し、検証するんです。PDCAのスピードがまるで違うので、ついていくだけで必死でした。
トヨタでは、職域やキャリアに関係なく自己啓発とカイゼンを繰り返します。その中でも面白い取り組みがあって、自身が実行したことをA4の紙1枚にまとめ、提出することで、1枚につき500円もらえるんですよ。小遣い稼ぎの手段としても最適でした(笑)。私は月に100枚出したこともあります。
こうしてレポートを作成するために考え続けた経験は、今にもつながっていますね。身の回りの風景を見て、「なんでだろう」と違和感を感じることがあったら、その理由を探し求めたり、仮説を立てたりしています。違和感を見逃さず、常にリストアップして対策を考える。そんな習慣が身につきました。
──月に100枚というと、ものすごい数ですね。川越さんがここまでレポート提出に情熱を燃やすことができたのはなぜですか?
最初は本当にお金が理由だったんですよ。「ちょっとでも家賃が浮けばいいな」という感覚でした。ただ、そうやって数をこなしていくうちに、「気づくスピード」や「相手に分かりやすく伝える方法」を知らず知らずのうちに身につけていたのだと思います。入社5年目を迎える頃にはそれを自覚して、お金のためじゃなく、カイゼンを提案すること自体が面白いと感じるようになっていました。
トヨタでは個人だけでなく、グループで行う「QCサークル」という活動もあります。そこで、一から資料を作って大規模なカイゼン提案を行ったんです。それが工場内のコンテストで最優秀賞となり、さらに愛知県のコンテストで他企業の人とも競いながら県知事賞をいただきました。これが「自分の提案はトヨタ以外でも通用するんだ」と気づいたきっかけでしたね。
民事再生中の会社へ転職。「この工場は絶対にカイゼンできる」と確信した
──トヨタ自動車に就職すると長く働き続ける人が多いのではないかと思いますが、川越さんは転職の道を選んでいます。どのような形で転機が訪れたのでしょう?
当時、家庭の事情で東京に出なければならない状況になったんです。東京配属にしてもらえればそのまま働き続けられたのですが、残念ながら東京には本社機能があるだけで工場はありません。自分の経験が生きる部署では働けないので、辞めることを決断しました。
上司には「本当にそれでいいのか」と言われましたね。トヨタを辞めるなんて信じられない、という感じで。確かにトヨタは離職率が極端に低い会社です。特に工場勤務の人は「トヨタを辞めよう」という発想になることはほとんどないでしょう。労働環境的にもさしてきついわけではない。月20時間以上の時間外労働が発生しそうな人は強制的に帰らされるし、120日以上の年間休日に加えて、5年以上勤務している人はさらに年20日の有給休暇を取らなければいけない決まりもあります。お金も休みも恵まれているので、プライベートも充実します。「トヨタの従業員」ということで、ある種の特権的な感覚もある。不満なんて持ちようのない環境が整っているんです。
──「まったく違う部署でもいいからトヨタに残りたい」とは思わなかったのでしょうか?
それは思いませんでした。私は恵まれた環境を享受しながら、「刺激のなさ」も感じていたのだと思います。
トヨタの工場で働いていると、外の世界のことが分かりません。刺激といえば社内の人事の話題くらい。私はどちらかというと、そうした話があまり好きではありませんでした。外に目を向ければ向けるほど、「すごくつまらない世界だ」と感じるようになっていきました。
25歳を過ぎた頃から「もし自分がトヨタの社員じゃなかったら」ということも考えるようになりましたね。工場の仕事には全然関係のないことを勉強して、ファイナンシャルプランナーやメンタルヘルスマネジメント、ビジネス実務法務の資格を取得しました。ビジネスパーソンとして生きていくための力が欲しかったんです。
──そうして転職し、中小規模の工場へ移ったわけですね。
年商で言うと7億円くらい。パン工場を経営する小さな会社でしたが、「生産管理部門を一から作りたい」「ゼロベースで挑戦してくれないか」という話をいただき、転職しました。
ギャップは大きかったですね。トヨタのときは巨大な工場で働き、大企業の歯車の一部という感覚でした。でもその転職先の工場は100坪くらいしかない古い建屋。中に入ってみるとそれはもうひどいもので(笑)、砂糖や小麦粉などの原料が大量に積み上げられていました。しかも会社は民事再生の手続き中という状況。「こんなに在庫がいるのか?」と疑問を持ちつつも、「この工場は絶対にカイゼンできる」と確信したんです。
社長には「役職はいらない。生産管理をするためにまずはターンアラウンドに取り組みたい」と話しました。それまで経験のなかった財務も、このタイミングで猛勉強したんです。経費削減や在庫削減、原材料や包材のリードタイムの見直しを進め、ラインフォーメーションの標準化にも取り組みました。
当時は原価率が95パーセントという驚異的な状態でしたが、ラインの効率化や資材・包材などの品質に影響のない範囲でのカイゼンを繰り返し、初年度で原価率70パーセントくらいまで下げることができました。社内でも原価の考え方などを共有し、全員でカイゼンを意識できる環境に。日々の成績をラインごとに明確にして、目標を達成できたかどうかを人事評価にも反映していきましたね。そうやってフォーメーションを見直すことで、最終的には原価率を60パーセントまで下げ、一般的なメーカーの水準にそろえることができました。
──川越さんはその後Amazonへ移っていますが、これもまた大きな転身ですよね。
もともとファッションやITに興味があったんです。当時はAmazonがファッションにも力を入れようとし始めていた時期で、「Javari」(ジャバリ)という靴専門のウェブサイトを持っていました。何個注文しても、何個返品してもいいというサービスです。こうした海外流の事業も面白そうだと感じたんですよね。
Amazonの倉庫では、実際に出荷やピッキング作業を担当する外部パートナーの方々の管理や、サプライチェーン本部から送られる出荷量の管理を担当しました。
──トヨタや中小企業とはまったく違う企業文化があったと思いますが、特に印象に残っていることは何ですか?
Amazonは、実に特殊な企業だと思います。課題に対してスピーディーに答えを出し、お客さんのニーズに応えることへの執着心が半端ではありません。当然現場で要求されるレベルもスピードもケタ違いでした。
カルチャーショックも少なからずありましたね。トヨタと比べて正反対だと思ったのは、「ただ単に努力しているだけ」では通用しないということです。成果が出ていなければ認められない。変化をいとわずにチャレンジするのはトヨタも同じですが、その変化に対する「個人の責任の重さ」がまったく違うようにも感じました。こういう環境だから事業が伸びているんだ、と。世の中でAmazonが当たり前の存在になっているのは、そうした個の責任感を強く感じている社員の存在が背景にあると思います。
「現地現物」の考え方で、クライアントとともに現場づくり
──川越さんは現在、複数の企業のアドバイザリーボードに加わって活動されています。独立や、複数社への関わりというのは、いつ頃から志向されていたのでしょう?
もともとはトヨタを辞めた頃から、「40歳になるまでには何かしらの形で起業したり、会社の役員として経営に関わったりしたい」と考えていました。そうした思いもあってスタートアップに飛び込み、カスタマーサポートやマーケティング、財務、人事・労務、エクイティの調達、広報・PR、オウンドメディアなど、できることは何でも挑戦しました。
COOとして経営管理に携わっている中では、「上と下のバランスを取る」ことの重要性も感じました。上はベンチャーキャピタルや株主、下というのは要件定義をするためのタクティクスです。そうした仕事がとても楽しくて、「これは製造業や物流業でやり残してきたことかもしれないな」と思うようになったんですよね。
これまでに関わってきた中小企業やスタートアップと同じような悩みを持つ会社はたくさんあるはずなので、どこか1社にフルコミットするのではなく、スポットコンサルのように広くノウハウを伝えていくことも必要なのではないかと考えていました。
──実際に複数の企業と関わるようになったきっかけは?
私には特別なツテがあるわけではなく、営業もそんなに得意なほうではありません(笑)。クライアントを探すために、スポットコンサルの仲介サービスやマッチングアプリなどを活用しました。
こだわっていたのは、現場の視点に立ってカイゼンに協力できる環境です。上からのティーチングで関わるのではなく、現場で同じ目線に立ち、ともに汗を流すコーチングがしたいと思っていました。そんな中で、ミドルレンジで活躍している人が、経営者とプレイヤーのハブになって現場を変えていくサービスがあることを知ったんです。その過程でサーキュレーションさんとも出会いました。
──サーキュレーションの印象はいかがでしたか?
最初の面談でも、その後さまざまな企業のご相談をいただく中でも、サーキュレーションのコンサルタントのみなさんからは「案件ではなく人をしっかりと見て仕事をする」という姿勢を感じています。コンサルタントという仕事が好きで、企業と関わることが好きで、人が好き。そんな人たちが集まっている会社だと思いました。理解力や読解力、分析力がずば抜けていて、クライアント企業との面談の際には私のことを引き立てようとしてくれる。そうした気遣いは他社ではあまり感じたことがありません。
──実際にプロジェクトへ関わってみて、どのようなことを感じていますか?
現在(2017年12月取材当時)は中小企業や中堅企業を中心に4つのプロジェクトに関わっていますが、いずれもトヨタで教えてもらった「現地現物」の考え方を生かせていると思います。真に向き合うべきは経営者でなく、現場で作業をしている人たち。「こんな手法を使えばもっと作業を効率化できる」「こんな手法を使えばもっと頭の中を整理できる」といったことを伝えながら、一緒に現場づくりをしているところです。
そのうちの1社である食品メーカーでは、原価の概念や考え方、管理の仕方などを一緒に見直し、かなり整理されてきたと感じています。原価を役員以外にも共有し、製造現場の状況や在庫の状況を知ってもらうことで、全営業マンが限界販売値まで把握できるようになりました。
製造現場では、「原価をリアルにシミュレートすることが自分たちの成果や給料につながる」という認識が共有されつつあります。現在は生産計画や物流計画につながるようなツールを作って予実管理を強化し、前年比を追いかけています。製造原価率はどんどん低下し、売り上げも伸びているという状況で、新工場の稼働にもつながりました。
──先ほど川越さんがおっしゃったように、同様の悩みを抱える中堅・中小企業は多いと思います。今後はどのように価値提供していくことを考えていますか?
当面は私自身が前線で動きつつ、私の遺伝子を増やしていくことも重要な課題だと思っています。例えば教育事業。私と同じようなレベルでクライアントに関われるような人材を増やす活動ですね。自分自身で手がけながら、サーキュレーションさんに協力をお願いすることもあるかもしれません。
「企業の現場にいる人が集まる場」としても面白いし、私のように「個人として活躍する人を増やす場」にするのも面白い。製造業や物流業に限らず、さまざまな領域で活躍する人材を育てていきたいと考えています。
取材・記事作成:多田 慎介