「遠い存在だ」「自分とはちがう」。そう思われがちな、海外フリーランスという働き方。でも本当に、海外フリーランスは特別なのでしょうか?

海外フリーランサーが実際どんなふうに仕事をしてどんなふうに生活しているのか、月一度のインタビューを通してお伝えしていきます。

第5回目のインタビューに応じてくださったのは、ニュージーランドのパン屋で働きながらフリーランスとしても活動しているマーディーさんです。

お話をうかがった方:マーディー(井上龍馬)さん

北海道出身。大学在学中に1年間のイギリス留学を経験。大学卒業後、ニュージーランド出身の彼女を追いかけて移住。パン屋でバリスタとして働きながら、フリーランサーとして翻訳や通訳を請け負っている。

「海外」を特別に感じない幼少期

小学校のとなりに、国際協力機関のJICAがあったんです。月に1、2度、アフリカ人が学校に来て、文化交流をしていました。お互い言葉はわからないけど、なんだか仲良くなって一緒に家に帰ることもありました。いま思えば、これが最初の国際交流かもしれません。

そういえば、サッポロドームでサッカーの試合を見に行った父親が、2人のアルゼンチン人を家に連れてきたこともありました(笑)

父親は英語話せないし、向こうも日本語が話せないのに、なぜかうちに泊まる話になってたんです。父親が陽気に人と関わるタイプで。

あと、親に言われて、小学5年生からは英会話教室に通っていました。

「国際的」っていうわけじゃないんですけど、海外を特別に感じないような環境ではありましたね。

教師とケンカして英語を勉強するように

高校には「他クラスに入っちゃいけない」っていうルールがあったです。でも親指のつま先が他クラスのドアのレールを超えてたらしくて、英語の先生に怒られました。僕は冗談だと思って、本気にしなかったんですよ。そしたら相手は本気だったみたいで。

そこからはその英語の先生に目をつけられて、授業ではやたら当てられるし、嫌味を言われるし、さんざんでした。僕も言い返しちゃうし(笑)

初めての期末テストで、「ふだん調子に乗ってるのにこんなかんたんなテストもできないの?」なんて言われました。平均点よりも点数が高かったはずなのに。

そういういざこざがあって、その先生に文句を言われないように、英語を勉強するようになりました。

生物の教師という夢を諦め英文科に進学

僕、生物の先生になりたかったんです。でも高3の秋、先生から「色弱は生物の先生になれないよ」って言われました。それは昔の話で、いまは研究職とかでなければ就けるらしいんですけどね。

でも、高3の秋にそう言われても困るじゃないですか。どうしようかなぁ、テストでいい点をとってた英語系にしようかなぁって思って、進路を変えました。

そうはいっても、それまで理系だったから、国語の受験勉強をしていなかったんです。

4年制大学の英文科は無理でも2年制のコースなら英語だけで入学できるし、4年制に編入もできるから、とりあえずっていう感じで2年制の英文科に入りました。

文献を中心に勉強する4年制とはちがって、しゃべるのに特化していた2年制のコースが魅力的にうつったのも理由のひとつです。

イギリスで一目ぼれをきっかけに英語を猛勉強

マーディー(井上龍馬)1
Photo by おがた

短大のクラスメイトは英語を話せる人ばかりで、英語を話せないのはたった2、3人。授業で英語を読んだり会話したりするとき、とにかく恥ずかしくて。劣等感がすごかったですね、そのときは。

英語を話せるようになりたかったし、先生から勧められたのもあって、イギリスに留学することにしました。イギリスを選んだのは、単にブリティッシュイングリッシュがかっこよかったから。アメリカ英語とのちがいもわかんないくせにね(笑)

留学したときは、TOEIC450点くらいの英語力でした。文法や単語は大丈夫だったんですけど、リスニングと長文読解が苦手で、そんなに上手ではなかったですね。

でもイギリスに留学して、日本嫌いなポーランド人の女の子に一目ぼれしたんです。

そこからはもう必死!英語を猛勉強しました。留学から戻ってきたときは、TOEIC800点くらいになっていたかな。

大学4年生で就職活動を辞めることを決意

その後4年制の心理学部に編入して、まわりと同じように就活をはじめました。でも僕が働きたい会社は東京か大阪に集中していたから、就活するだけでお金がかかるんです。それに僕、あんまり働きたくなかったんですよ。とにかくイギリスに戻りたかった。

だから、かたちとしては就活していても気持ち的には就職したくない、みたいな感じで。

いくつかの会社で面接を受けたんですけど、落ちちゃったのもあって、就活を辞めることにしました。

自分の英語がうまいとは思っていなかったから、英語のスペシャリストになろうとは考えませんでしたね。英語を使う仕事っていっても、英語の先生くらいしか思い浮かばなかったし。

ニュージーランド出身の彼女に一目ぼれ

将来どうしようかなぁって思っていたときに、友だちと行ったパブで、すごくきれいな人を見かけました。それが人生2度目の一目ぼれです。

彼女と連絡先を交換してからは、札幌から車で片道3時間かけて、高速代6000円払って彼女に会いに行っていました。それで、たしか大学4年の9月かな? その彼女と、付き合うことになったんです。

彼女はALTとして日本で働いていたんですけど、契約期限が1年後の2016年の9月までで、そのあとニュージーランドに帰る予定でした。お互い遠距離は続かないと思っていたから、「じゃあ俺がニュージーランドに行こう」って決めました。

付き合ってあんまり時間が経ってないから不安はあったけど、別れたらそれはそれかなって。行かなかったら後悔するし、自分自身もニュージーランドに行きたい気持ちもあったし。

「海外に行く」って決めたら就職しなくてもいいっていう下心もありましたね。

ワーホリビザでニュージーランドへ移住

マーディー(井上龍馬)2
Photo by Yoshi_Travel

大学を卒業してから半年はバイトでお金を貯めて、2016年の9月、ワーホリビザでニュージーランドに行きました。

日本人オーナーがやっているカフェで働き始めて、オーナーの夫がやっているツアーガイドやコーディネーターの仕事も手伝うことになりました。

たとえば、カメラのプロモーションに夏の画がほしいという企業の人のために車を手配して、運転して、通訳してっていう感じです。ニュージーランドは、日本と季節が反対なので。

行ったことがないうえまったく話せないフランス語が公用語のニューカレドニアで現地コーディネートしたり、雑誌の撮影のコーディネートをしたり……。

カフェで働きながらそういったお仕事をしていたんですけど、給料のトラブルがあったり、ミスを僕のせいにされたりして、結局辞めることにしました。それで、カフェの仕事も辞めました。

実はそのとき、すでにちがうパン屋で働き始めていたんです。もともと彼女が働いていた場所で、人手が足りなくて「働かないか」って言われていたので。

そこで働きながら、クラウドソーシングを使って翻訳やライティングの仕事をしはじめました。ニュージーランドでの第2ステージが始まったって感じですね。

パン屋×フリーランサーのワーク・ライフ・バランス

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Photo by Yoshi_Travel

いまもそのパン屋で、週5回、平日は朝6時から12時、土曜日は6時から14時のシフトで働いています。

そのパン屋では、お客さんがいないとき、なにをしててもいいんです。コーヒーを飲んでパンを食べながら語学の勉強をしたり、翻訳の仕事をしたり、本を読んだりしてても大丈夫。

パン屋で働いて家に帰ったら、あとは自由時間です。フリーの仕事をしたり、友だちと遊んだり……。

フリーランスとしては、翻訳業を中心にしています。いまは4社から翻訳のお仕事をいただいていて、2社がコンスタントでもう2社は依頼がきたらって感じなので、波がありますね。

あとは、IDEAS FOR GOODというメディアで記事を書いています。ライティング業はまだはじめたばかりなんですけど。

もし、フリーランスとしてもっと稼いでいたら、フリーランス一本も考えたかもしれません。

でも僕、いまだに自分の英語に劣等感があるんです。カフェはいろんな人と話すいい特訓になるし、お客さんはみんないい人だから、わざわざその環境を捨てるのはもったいないと思ってて。自分的に、パン屋の仕事はベーシックインカムなんです。

パン屋で働きながら、自由な時間もあって、フリーランスとしても活動できる。このワーク・ライフ・バランスが、ちょうどいいですね。

ストリートアートに目覚め広がる夢

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Photo by Yoshi_Travel

ストリートアートのカメラマンをしている友だちの運転手と通訳をやったことから、ストリートアートに興味を持つようになりました。

僕自身はクリエイティブな人間じゃないってわかってるんで、作品を通じて人と人をつなげる役割をしたい。そして、作品の裏にあるメッセージを伝えたい。これが、最近思ってることです。

たとえば、僕の出身である北海道には先住民のアイヌいて、ニュージーランドにも先住民のマオリがいます。

この2つは共通点が多くて、自分たちの文化を残すために協力しているんです。北海道に住んでいてもアイヌのことを知らない人も多いので、そういうこととストリートアートを関連付けられたらいいなって。

日本はまだアートが仕事になりづらくて、ストリートアートは落書きだと思われがちですよね。

その現状を変えるために情報発信をしたいし、アーティストを呼んで日本でイベントをしたい。

そういう目標のために日本に戻る可能性はあるけど、いまの生活が充実しているから、それは将来的な話ですね。僕はストレスを感じず、「生きてる!」って実感できるニュージーランドが好きですし。

だから、将来に向けて準備をする期間として、パン屋とフリーランスという生活を、もう少しここニュージーランドで続けていきたいと思っています。

――ありがとうございました!

お話をうかがった方:マーディー(井上龍馬)さん

取材・記事制作/雨宮 紫苑