「遠い存在だ」「自分とはちがう」。そう思われがちな、海外フリーランスという働き方。でも本当に、海外フリーランスは特別なのでしょうか?

海外フリーランサーが実際どんなふうに仕事をしてどんなふうに生活しているのか、月一度のインタビューを通してお伝えしていきます。

第8回目のインタビューに応じてくださったのは、ベルリン在住のイラストレーター、高田ゲンキさんです。

お話をうかがった方:高田ゲンキさん

高田ゲンキ(たかた・げんき)。ベルリン在住のイラストレーター/漫画家。1976年生、神奈川出身。2004年にフリーランスとして活動開始。以来、フルデジタルの制作環境を活かして場所や業界慣習に囚われない自由なワークスタイルを確立。2012年に夫婦でドイツ移住。一児の父。

漫画家からミュージシャンという夢へ

小学1年生のとき漫画を描くのが上手なKくんを見て、「自分にもできそうな気がする」と思って漫画を描き始めました。

「漫画家になりたい」と言ってもほぼ全ての大人から「とりあえず進学したほうがいい」と反対されていたんですけど、ひたすら漫画家を目指していましたね。

でも高校2年の秋にアコースティックギターをはじめて、音楽に夢中になったんです。

当時イジメを受けていて「漫画を描いててオタクっぽいからかな……」と考えたり、「音楽のほうがモテそうだな……」と思ったり。そんな不純な動機で、あっさりと漫画から音楽に転向しました(笑)

Macに出会い、独学で猛勉強する毎日

ゲンキさんのイラスト by twitter Genki119
ゲンキさんのイラスト by twitter @Genki119

大学在学中にバンド活動をはじめ、大学を卒業してからも、バイトとバンド活動の日々でした。そんなとき、師事していたギタリストの濱中さんに「これからはアレンジやレコーディングのためにMacのスキルが必要になる」と言われたんです。

正直最初は、「なんで自分が裏方の仕事をしなきゃいけないんだろう」と思いましたね。当時はパソコン1台でなんでもできるわけではなかったので、機材をそろえて全部勉強しないといけないし……。

それでもアドバイスにしたがって、2000年、23歳のときに、バイトの給料を全部機材につぎ込んでMacや機材を買いました。

当時はWindows最盛期だったのですが、Macは画面の色やフォントがWindowsとはまったくちがうんです。「これを使ってなにかを作りたい!」とMacに夢中になって、IllustratorやPhotoshopなどのグラフィックソフトの独学を始めました。

深夜までバイトして、それが終わってからはMacでデザインやイラストの勉強。わからないことがあれば車で隣町の24時間営業の書店まで行って、立ち読みして脳に焼き付けて急いで帰って再現する。

当時はネットでなんでも調べられる時代ではないし、お金もなかったから、そうやって勉強していました。

後輩のボーナス額を知って自分を奮い立たせる

ゲンキさんのイラスト〜後輩にボーナスの額を知らされる〜 by twitter Genki119
ゲンキさんのイラスト by twitter @Genki119

バンドが活動休止になってしまったことをきっかけに、就職活動をはじめました。

でも初めて採用された会社では、希望していたデザイナーではなく営業に配属されてしまったんです。しかもすごいブラック労働だったので、1ヶ月半で辞めましたね。

退職したと同時に音楽活動を再開して、音楽活動のかたわら、今度は広告会社でデザイナーとして働きはじめました。

実はこの会社で働き始めたとき、音楽事務所に入らないかという誘いを受けたんです。でも事務所と合わず、音楽活動からは足を洗いました。

僕の仕事はIllustratorとPhotoshopを使ってタウン誌やチラシ広告、会社案内などの印刷物を作ること。まさにやりたかったことで、会社員生活は充実していましたね。

でもある日大学の後輩と話していたとき、後輩が僕の3倍のボーナスをもらっていることを知ったんです。そこで自分が上昇志向を失っていたことに気付いて、フリーランスのイラストレーターになることを決意しました。

迎えた転機、フリーランスへ転身

地元平塚の海で photo by ヒロタ ケンジ
地元平塚の海で photo by ヒロタ ケンジ

そんな僕の背中を押してくれたのは、先輩イラストレーターの大寺聡さんです。

初めて大寺さんのイラストを見たときにすごい衝撃を受けて、それからはとにかく夢中でした。大寺さんが鹿児島で個展を開くと知って、鹿児島まで飛んで行ったほどです。大寺さんは個展に在廊していて、なんと、家にまで案内してくださいました。

そこで大寺さんの豊かなライフスタイルに圧倒されて、「こんな生活を送れるように、僕もフリーランスのイラストレーターになろう!」という強い決意が生まれました。これは、人生において最大級の転機です。

そして2004年1月末日で仕事を辞めて、2月からフリーランスのイラストレーターとして独立しました。27歳のときです。

会社員時代の給料を上回るも思わぬ落とし穴

フリーランスになったはいいものの、当時は必死で営業していないのになんとなく食べていけている人が格好いいと思っていて、営業をしなかったんですよ。でも3ヶ月経っても全然仕事がなくて、心を入れ替えて営業をはじめることにしました。

出版社やデザイン事務所に電話をして、「自分のイラストは必ずマッチします」とプレゼンすると、意外と多くの人が会ってくれました。そこでイラストを見せて、うまくいけば後日連絡が来て仕事をもらう、という流れです。

この営業のおかげで、独立2年目にして収入が会社員時代を超えました。

でもその後、美術系の学校を出ていないというコンプレックスや、「商業的なイラストばかり描いてていいのか」という迷いから、個展に挑戦したんですね。

個展の準備のために時間とお金を使い、仕事の依頼も断りました。そのせいで個展の後は貯金がなくなり、仕事も減るという危機的状況に……。

常に一緒のフリーランス夫婦の生活

ゲンキさんのふだんの仕事環境
ふだんの仕事環境

僕が結婚したのは、ちょうどそんなときです。結婚を機にふたたび本格的な営業活動をして、数ヶ月後には二人で生活をできるくらいの収入を得られるようになりました。

2008年からは妻もフリーのイラストレーターとして活動をはじめたので、現在はフリーランス夫婦です。

同業者ならではのマニアックな言い争いが原因で深刻なケンカになることもありますが、それも含めて、フリーランス夫婦は最高ですね。

お互い言いたいこと言い合ってケンカもして、それでもそのたびに仲直りして一緒に歩み続けられる。常にアップデートしていける関係です。

お互いフリーランスで一日中家で顔を突き合わせて生活しているので、そういう関係で良かったと思います。

震災を機に大阪へ移住、そしてベルリンへ

2011年の震災後の余震により、妻のメニエール病(めまいの病気)がひどくなってしまったので、揺れない場所への移住を考え始めました。選んだ移住先は、知人経由で家を見つけた大阪です。

この移住は、「多くのクライアントがいる東京から離れたら仕事にどんな影響があるのか?」という実験でもありました。

いざ大阪に移住してみると、大阪のデザイン事務所や制作会社とつながりができて、これまで以上の仕事を受注することができたんです。

物理的にクライアントと距離があっても仕事ができるとわかったし、もともと妻とは「いつか海外に住みたい」という話をしていたので、本格的に海外に移住するための準備をはじめました。

実際に移住したのは2012年。ベルリンを選んだのは、ドイツはフリーランスのクリエイターがビザを取得しやすいうえ、ベルリンはITスタートアップがさかんで注目されていたからです。

僕は日本で構築した仕事環境やクライアントさんとのワークフローを、ほぼそのままドイツの生活に持ち込みました。移住先で就職活動したり言語をストイックにやらなくても生活ができる、インターネットが可能にした新しい移住のスタイルですね。

ただこういう移住スタイルには賛否両論あって、現地の社会にコミットする必要性が低くなり、語学習得や現地社会へのインテグレーションが遅いというデメリットもあります。

クリエイティブなベルリンに感化される

ゲンキさんのベルリンでノマドワーク
ベルリンでノマドワーク

ベルリンに移住してから、考え方や感覚がだいぶ変わりました。「ベルリンという街によって変えられた」と言ったほうが正しいかもしれません。

日本にいたときは「仕事を通して評価されたい」「たくさん稼ぎたい」と考えていたんですが、ベルリンの人たちが豊かに人生を楽しんでいるのを見て、「何のためにそんな頑張ってたんだろう?」ってなって。まだワーカホリックなところもありますが(笑)

あと、多様性豊かでクリエイティブなベルリンの雰囲気に刺激を受けて、創作意欲が増しましたね。

ベルリンの街の人たちは、「自分たちで街を作る」っていう意識が強いんです。そういう意識があるから、クリエイターにシンパシーを感じる人が多く、クリエイティブな雰囲気になっているのかもしれません。

育児を見据えたフリーランスの仕事方法

育児中心の生活を送るゲンキさん
育児中心の生活を送るゲンキさん

仕事は主に、雑誌・書籍・広告・教科書・webなどに使うイラストを、日本のクライアントから月に10件前後受けていました。いまは、育児中心の生活です。

フリーランスは働いたぶんしかお金を得られないので、育児期間のように働けないとき、どうやって生活すべきかを考えておく必要があります。

僕の場合は子どもができるまで夫婦二人がかなりストイックに働いたし、フリーランスのキャリアも10年を超えてそれなりに貯金ができていたうえ、二次使用料や印税やブログなどの不労所得もそれなりに入るフローを作っておけました。

フリーランス同士の夫婦で海外に住んでいる親というと、普通に考えたら大変なことのほうが多いと思います。でも僕たちは、そういった準備のおかげでいまあまり苦労せずに済んでいます。

叶った夢、そして後輩にバトンを繋ぐ使命

ゲンキさんの著書『フリーランスで行こう!』
著書『フリーランスで行こう!』

僕はフリーランスの働き方が本当に気に入っているので、就職は考えたことがありません。日本帰国もいまのところ予定はありませんが、常に「帰国したほうがよければいつ帰国してもいいや」くらいの気持ちでいます。

フリーランスになった理由や営業の方法、著作権トラブルなどを描いた『ライフハックで行こう!』という連載は、おかげさまで多くの人に読んでもらえました。

僕自身が先輩フリーランサーたちの発信によって今の生き方を形成できたので、今度はそのバトンを若い世代に繋ぐために、僕の生き方や働き方を発信していきたいです。

短期的な目標としては、8月22日に『フリーランスで行こう!』という初のマンガ書籍を出版するので、これをたくさん売りたいですね。「社会を良くするための使命」と「僕の自己実現」が最高の形で合成できた作品だと自負していますから(笑)

中期的には海外のクライアントとイラストの仕事をもっと増やしたいし、長期的にはまだ発信できていない思想をマンガやイラストをまじえながら形にしたい。

そういうことをしつつ、家族と楽しい時間をたくさん過ごして、日々成長する息子といろんなことを一緒にしたいです。それを自分の判断でできるのもまた、フリーランスならではだと思いますね。

――ありがとうございました!

お話をうかがった方:高田ゲンキさん

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