「ゼクシィ」や「ホットペッパー」、「R25」など、新たなマーケットを作る基幹事業を次々と世に送り出してきたリクルートの社内起業提案制度「New-RING」。石川明氏は、長年にわたりその事務局長を務めた社内起業の専門家だ。

多くの企業が新規事業創出に力を入れる昨今、その成否を分けるものは何なのか。前編では、New-RING における石川氏の取り組みや、成功する社内起業のポイントを伺った。

社内TQC活動から発展していったNew-RING

Q:石川さんが長年インキュベータとして関わったリクルートの「New-RING」は、社内起業制度の草分けとして有名ですね。

石川明さん(以下、石川):
New−RINGという名称になったのは私がリクルートに入社した後なんです。その前身である「RING」ではTQC(Total Quality Control)活動のようなことをずっとやっていて、新規事業提案というよりも成果発表や業務改善提案の意味合いが強かったですね。

皆が仮装してプレゼンをするとか、お祭り的なことも長くやっていました。「RING」の他にもマネジャーが参加する「MING」や、新入社員(フレッシュマン)が参加する「FING」など、当時は派生的な取り組みもいろいろと行っていたんですよ。リクルート事件を契機にやり方を見直そうということになり、1990年から現在のNew−RINGという形になりました。ボトムアップで、絶えず社員が何か新しいことを考えるという風土そのものは昔から変わっていないでしょうね。

Q:石川さんご自身も、新規事業への思いを持ってリクルートに入社したのですか?

石川:
はい。「この会社で新しい事業を作ろう」という思いは入社時点から持っていました。周りの社員にも、「既に動いている事業をやりたくて入った」という人は少なかったと思います。

リクルートの採用はそうした部分を重視していますし、昔から新規事業に向けた育成の仕組みや機会を与えることに積極的な会社ですから。

メンバーだけでなく、経営者の視点も研ぎすまされていく制度

Q:当時、新規事業開発の専門部署はどのような思いで活動していたのでしょうか?

石川:
私が1993年から2000年まで在籍した新規事業開発室という専門部署は、少ない時期で7人、多いときには約80人のメンバーがいました。それ以外に事業部ごとにも新規事業の担当者がいましたが、社員誰もが新規事業を起案できる風土だったので、専門部署の自分たちだけがその任を負っているとは思っていなかったかもしれません。

運営していたNew-RINGでは、選考を勝ち抜いた上位10件ぐらいを対象に役員会で議論するので、それまで役員が一度も考えたことがないようなアイデアも経営ボードに上るんですよ。ゲームソフト開発とか、病院経営とか、お墓に関する事業とか。それを毎年繰り返していくうちに、起案する社員の成長はもちろんですが、起案を受ける経営者の視点も広がり鍛えられたという側面もあったと思います。

金儲けだけに主眼を置くのではなく、「リクルートがやるべき事業なのか」「社会倫理的に照らし合わせて健全な事業と言えるのか」を考え、新規事業に対する視点を研ぎすませていく。その議論を支えるのが、新規事業開発室の役割でした。

「新規事業経験者が社内にいない」という課題

Q:リクルートからの独立後も、石川さんはさまざまな企業の新規事業を応援し続けています。どのような課題を解決されているのでしょうか?

石川:
私が独立した2010年はまだリーマン・ショックが尾を引いていて、収益率が悪化している企業が多く、「経営を筋肉質に」「コスト削減を」という話題が多かった。新しい事業を立ち上げるようなムードではなかったんですよね。

その後収益力の回復とともに資金的な余裕が出てきて、M&Aや出資が過熱する時代があって、「自社から新たな事業を立ち上げていくんだ」というムードが出てきたのがここ2年くらいでしょうか。

しかしいざやろうと思っても、「社内に新規事業を経験している人が少ない」という課題にぶつかっている企業が目立ちます。今の役員クラス、50代以上の人であれば、若い頃に経験しているケースが多いんですよね。その世代の人たちは「初めてアメリカに進出した」とか「初めてこういう流通ルートを作った」といった経験を経てきている。だけど下の世代は、そうした経験が乏しいんです。業務改善や商品強化、営業力強化といったテーマには強いけれど、「0から1を立ち上げる」仕事に強い人がいないという悩みをよく聞きます。

Q:それは過去の景気の波が影響しているということでしょうか?

石川:
そうですね。50代以上の役員・社長には、バブル期に新規事業展開を経験し、そこで実績を積んで役員に上り詰めている人がいるんです。対して若手の役員は、目の前に提示された既存事業の課題を解決することで実績を上げてきた人が多い。バブル崩壊後のここ20年くらいは、新規事業の経験を積みにくい時代だったと言えるのではないでしょうか。

歴史をさらにさかのぼれば、オイルショック前の時代もそうでしょうね。あの頃は市場全体が伸びていたので、他社に置いていかれないように必死に食らいついていけば新しい商品を作らざるを得ないし、新しい販路も開拓せざるを得ない。そうした中で新規事業が自然と生まれていったのでしょう。

今はマーケットが縮小して、利益率が高まってもトップラインが下がっている会社も多い。10年後のマーケット規模を予想すれば大幅縮小も覚悟しなければいけない。だけど社員のクビを切るわけにはいかないし、給料も下げたくないから、新しい市場で売上を作らなければいけない。そうして、必要に迫られて新規事業に取り組んでいるという企業が増えています。

新規事業の「フェアウェイ」と「OBゾーン」を提示する

Q:「社内起業や新規事業の経験値が足りない」という課題に対して、石川さんはどのような解決策を提示しているのですか?

石川:
私が最も力を入れているのは「ボトムアップによる新規事業開発」です。社員をその気にさせて、彼らがどんどん発案できるような仕組みを作ったり、その運用をサポートしたりするのが私の得意なパターンなので。30代半ばぐらいの人たちを対象にすることが多いですね。

New-RINGのような制度作りのコンサルティングをしたり、取り組んでいるけどなかなかうまくいかない状況を改善したり、起案してくる若手を育てるための教育研修をやったり、上がってきたテーマをブラッシュアップして役員会に出せるレベルまで事業計画書を一緒に作ったり……。基本的には社内起業案件ばかりです。

Q:社内起業を促す仕組みや制度を設ける会社は増えてきていますが、それを機能させるために大切なことは何でしょうか?

石川:
まず一番は「トップが本気になる」ことですね。取り組みを始めるときに、中心人物としてスター選手を置けるかどうか。そこにスター選手を置けないようでは、トップの本気度が伝わっていきません。トップが「こういう新規事業を求めているんだ」ということを社員に対して語りかけることも重要です。

会社にもよると思いますが、社長と社員がフラットに「これからの世の中がどうなっていくか」を議論できる会社であれば、何も提示しなくてもうまく進んでいくでしょう。しかし現実には、なかなかそれは難しい。会社としての方向性や軸足があると思うので、効率的に社員のアイデアを引き出すためにはフレームなりベクトルなりを提示した方がいいと思います。

ただし、あまりにも世界観が限定され過ぎることは良くないので、適度に。私はよく「フェアウェイとOBゾーンだけは提示しましょう」と言っています。新規事業の方向性が「この範囲内であればOK」「ここはなし」と提示するんです。

Q:何をもって「新規事業」と言っているのか社員にもわかりやすく示さないと期待する新規事業の起案は上がってこない、ということですね。

石川:
はい。あえて通常業務とは別のことに取り組む意味を考えるべきですね。

新規事業の方針を固める過程では、社長の役割がとても大きい。もちろん社員も「この会社はこうあるべきだ」というビジョンを持つべきですが、それだけでは会社は動きません。社長や役員が「こういう方向性で行きたいんだ」とあらかじめ提示したほうが制度はより成果をあげやすくなります。トップの方向性の提示と社員の自由な発想のバランスにこそ、社内起業提案制度の成否の妙があります。

 

《編集後記》

「人材輩出企業」として定評のあるリクルート。背景には、連綿と受け継がれてきた社内起業提案への高いモチベーションと、それを実現するNew-RINGの制度設計があった。その仕組みは、メンバーだけでなく経営陣にも意識変革をもたらしていた。

石川氏は「新規事業の経験値不足」が社内起業の課題だと語る。後編では、その解決に向けたアプローチについて詳しく話を伺う。

 

取材・記事作成:多田 慎介・畠山 和也

専門家:石川 明

新規事業インキュベータ石川明事務所代表、早稲田大学ビジネススクール研究センター特別研究員、SBI大学院大学MBAコース客員准教授
株式会社リクルート(現リクルートホールディングス)で7年間、新規事業開発室のマネジャーを務め、リクルート社の起業風土の象徴である社内起業提案制度「New-RING」の事務局長として1,000件の事業案に携わる。
2000年にはリクルート社社員として「All About」を創業し、2005年JASDAQに上場。10年間、事業企画・事業運営の責任者を務める。
2010年、社内起業に特化し業務を請け負う事務所を設立し独立。以降、大手企業を中心に、新規事業の創出、新規事業を生み出す社内の仕組みづくり、創造型人材の育成に携わっている。
リクルート社時代も含め、携わってきた新規事業・企業内起業家は、100社、1,500案件、3,000名。
インキュベータとしての信条は、「起業する本人の思いやこだわりを尊重すること」「喜びや憤りへの共感と俯瞰する目線の両立」「当人より前には出ず、斜め後ろを伴走すること」。
2015年、単著『はじめての社内起業』(ユーキャン)刊行。