首都圏への人口・商業施設の集中からの脱却を図る「地方創生」が叫ばれる中、地方の企業はどのように先代からの伝統を引き継ぎながら、新たな事業展開を図っているのでしょうか?そこで、北海道札幌市に住む筆者が北海道の企業の社長や団体の代表者に「地方創生」について伺っていきます。

今回は札幌市清田区に本店を構える宮田屋珈琲の宮田一也社長にご登場願いました。自衛隊員からサラリーマンに転身後、1989(平成元)年に宮田屋珈琲を創業した宮田さん、実は北海道から遠く離れた鹿児島県の出身です。その宮田さんが、若い頃は苦手だったというコーヒーで起業したきっかけ、そして店舗開発について伺いました。

さまざまな職を経てオフィスコーヒーからスタート

Q:宮田さんは札幌市清田区で起業されていますが、地元だったのですか?

「いいえ。私は鹿児島出身で、高校卒業後に陸上自衛隊に入りましてその時に真駒内駐屯地(札幌市南区)に来たんです。もともと北海道への憧れはあったのですが、いざ住んでみると大好きになってしまって、自衛隊を辞めた後も札幌で就職したんです」

Q:自衛隊の後に就職されたのはなぜですか?

「自衛隊は狭い世界なので、いわゆる社会人としての経験はなかなか学べません。そこで、社会勉強をしてから実家の家業である農家を継ごうかなという思いもあって、車の営業や服の卸、マットのレンタルなどいろいろな仕事を経験しました。そして33歳の時に、独立してオフィスコーヒーの提供を始めました

Q:もともとコーヒーがお好きだったんですか?

「実は、昔はコーヒーが苦手でほとんど飲めませんでした(笑)。もちろん今では1日1~2杯は飲みますけどね。自衛隊時代の知り合いがコーヒーと関係のある仕事をしていて、『自分でコーヒーを挽く仕事をしてみては?』と誘われたことがきっかけで始めたんですよ。

それで、自分でコーヒー豆を仕入れて挽いて、コーヒーメーカーをオフィスや学校に貸し出すところから宮田屋はスタートしました。飛び込みで『コーヒー置きませんか?』って。最初は釜も借りていたのですが、私がお手伝いしていたことのある木工店が別の場所に引っ越すというので、清田の一軒家の倉庫を借りることになったんです」

偶然出会った古い石倉から喫茶事業を本格化

Q:清田本店は古い倉庫をリフォームして使用されていて、その他の店舗も古い石倉などを改装されていますが、最初からその方向性だったのですか?

「これは、たまたまですね(笑)。清田で挽売りを始めて試飲コーナーを設置したところ、結構な評判になってしまって喫茶も始めることにしたんです。16席ほどのこじんまりとスタートしたんですが、夜の時間帯はお客さんがゼロなんてことも何度もありましたよ。

オフィスコーヒーも続けていたんですが、八方美人になっていたんでしょうね、ある人から『重い』と言われると軽くしてみて、その逆もあったりで味が安定していませんでした。それでこれではマズいと思って、自分の味を決めてから徐々に軌道に乗り出しました」

レンガや石倉を喫茶店に改装

Q:その後、本格的に喫茶事業に乗り出していくわけですね。

「1990年代中盤、東苗穂店(札幌市東区)をオープンしてからですね。オフィスコーヒーの配達で偶然通った道沿いに大きな古い倉庫があって、『ここで喫茶店をやりたい』と思ったんです。

当時は周囲から猛反対されましたよ、『うまくいくわけない』って。でも、私は怖いもの知らずというか『お客さんがゆったりできる空間であればいいのでは?』と大きく構えていました。2500万円と見積もっていた改装費は1300万円しか調達できなかったんですが(笑)、何とかオープンしました。『豆蔵珈房 宮田屋』という今の名前で出したんですが、最初は豆腐屋と間違えられたりして大変でした」

Q:それが今では9店舗に拡大しました。札幌は古い建物が少ないので、大変だったと思うのですが。

「東苗穂店がオープンしてから1か月くらいは本当に苦しくて、『ダメかもしれないな』と思った時期もありました。そんな時に雑誌に取り上げられるようになって、一気にお客さんが増えたんです。

今では郊外の大型喫茶店は当たり前のようにありますよね、それは私たちがうまくいったから真似したんだと自負しているんですけど(笑)。あと、古い倉庫に関しては実は前から目星をつけていたんです。まさか喫茶店になるとは思っていませんでしたが(笑)。実家の農家に軟石の倉庫があって、昔から古い建物にはなじみがあったので、いつかうまく活用したいなと考えていたんです

(後編へ続く)

取材・撮影/橋場了吾(株式会社アールアンドアール)

宮田一也
1957(昭和32)年、鹿児島県垂水市生まれ。
陸上自衛隊の一員として真駒内駐屯地に赴任後、札幌で就職。
1989(平成元)年に宮田屋珈琲を起業、
札幌を中心に9店舗を展開している。

【専門家】橋場 了吾
同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。
STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。
現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。
北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。

ノマドジャーナル編集部
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