実業団所属選手として活躍し、引退後は社員として安定した暮らしを過ごす。自分自身はその事に納得できなかった卓球選手・松下浩二氏は日本初のプロ卓球選手となりました。いってみれば、現在の日本トップ選手が歩む道を切り開いたのが松下氏なのです。

 

そして、いま、松下氏はヤマト卓球株式会社の代表取締役を務めています。本インタビューの後編では、その背景と想い、そしてこれからの展望をお伺いしました。

卓球界に貢献したければ、稼がなくてはならない。

Q:前回は、選手を引退されたところまでお伺いしました。選手時代から、チームマツシタを経営されて、実業家としての活動は始められていたのですね。

松下 浩二氏(以下、松下):

そうなのですが、チームマツシタは、前編でお話ししたとおり、選手のマネジメント会社です。スポンサーを見付けてきたり、所属クラブをアテンドしたりという活動が中心で、それは僕じゃなくてもできると思えたんです。僕はもっと大きなことがしたい。それまで卓球一筋だったので、卓球に貢献したい。マネジメントだけではなく、選手を育てて援助していくということまで手掛けていきたい。また、トップ選手が卓球に専念できる環境として、プロリーグを作りたい。
そういうことをしたかったら、お金が要ると考えたんです。そうなると選手のマネジメントでは大きく稼げない。もっと稼げる仕事をしないと駄目だと思いました。

Q:元スポーツ選手の肩書きで実業家として活躍されている方はいらっしゃいます。しかし、自ら起業された方はいますが、既存の実績ある企業の社長になられた方は少ないですよね。

松下:

縁があって早稲田大学の大学院で学ばせていただいたのですが、そこで「自分がやって来たことから外れたことをすると75%の確率で失敗する」という言葉を知ったんです。これを知って「だったら、僕が卓球に関することをやれば、75%の確率で成功するんだな」と考えた。そして卓球の世界で一番大きなお金が動いているのは、メーカーだ。メーカーなら億単位のお金が動く。でも、一からメーカーを起ち上げるのは、初期投資も大きいし、リスクが高い。どこかいいメーカーはないかと考えました。

M&Aが成立、社長就任後、6年で売上は倍以上に

Q:そこでヤマト卓球がでてくるわけですね。社長に就任されたのは、引退後1年も経っていない時期でした。

松下:

ヤマト卓球は大阪本社の老舗卓球メーカーです。でも当時業績はあまり良くなかった。トップ選手はライバルメーカーのものを使っている。僕自身、選手としては他メーカーのものを使っていました。それは商品が、トップ選手のニーズには応えていないということなんです。もともと経営陣とは知りあいでもあったので、僕の考えを話して、今の親会社であるスヴェンソンの力を借りてM&Aが成立、僕が社長に就任したんです。

 

でも、単にヤマト卓球の社長になるだけでは意味が無い。会社を成長させなければいけないんです。そこで目をつけたのが、ヤマト卓球の営業力の高さ。既存のTSPというブランドは関西ではトップシェアなんです。ならば、トップ選手が使う高品質の商品を出せば良い。売る力はある。既存のブランドではイメージが定着しているので、新たなブランドを作る。それがいまの「VICTAS」というブランドです。

Q:現在、会社の売上はどの様になっているのでしょうか?

松下:

僕が社長に就任した当時、会社の売上は年間14億でした。それが昨期で28億、今期は34億程度になると思います。「VICTAS」でプロに選ばれる商品を提供していけば、この会社の営業力なら売れる。そう確信していましたし、それは事実だと、業績が示してくれています。同時に、既存のTSPというブランドは、ホビー層や入門層に手軽に手にとってもらえるブランドにする。そういったすみ分けを明確にしたんです。

 

実は販売店からは、VICTASの仕入値をもう少し下げて欲しいという要望があるんです。そうするともう少し値段を下げられる。そうするともっと売れると言うわけです。でも、それはしないと決めています。高品質なだけではなく、「高級品だというイメージ」も大事なんです。確かにもう少し価格を下げれば、もっと売れるかもしれない。でもそれはしてはいけないんだと思っています。目先の利益にとらわれてしまって、せっかくのブランドイメージを損なう方が痛いですから。

選手時代の「開きなおり」と研ぎすまされたカンは、ビジネスでも役に立つ

Q:引退後、あっと言う間に社長に就任されましたが、アスリートとビジネスマンとで何か違いを感じることはあるでしょうか。

松下:

選手は主観的でいいんです。自分が強くなることだけを考えていけば良い。でもビジネスマンは客観的でなければならない。自分のことだけを考えていては駄目です。この違いが一番大きいですね。例えば、個人事業主やフリーランスで働いている方は、感覚的にアスリートに近いかもしれない。けれど、人を雇う立場になったら、主観的では通用しないと思います。これは、社長に就任して気付かされたことです。

 

逆に、選手時代に身に付けたことでいまも役立っているのは「開きなおり」ですね。選手時代、試合をしていても、相手の調子がものすごく良くて「これは歯が立たないな」というときがあるんです。そういうときはもう開きなおって自分のプレイに徹するしかない。目の前のやるべきことだけに集中するんです。ビジネスでも、どうしようもないときというのはあります。このままじゃこれは駄目だな、でもこっちの手段でも難しそうだぞ、と。だったら、開きなおって、やるべきことに撤する。

 

また、「どこに打っても返されそうだけれど、サーブを打たなければならない」と否が応でも決めなければならないときがあります。そのときに試合中に研ぎすまされたカンが働いたように、ビジネスでも「なんとなくこっち」ではなく、つきつめたカンが働く。要は、そこまでやっているのかということです。僕は、とにかく「今の卓球界で一番働こう」と決めています。時間もそうだし、仕事の質もそうです。そこまでやってつきつめたカンはそうそう外れません。

セカンドキャリアは選手時代から意識するべき

Q:正直なところ、元アスリートでビジネスマンとして活躍されている方は少数派だと思います。元アスリートもセカンドキャリアは重要です。
前回から松下さんがおっしゃっているように「それで生活ができるのか」「将来どうなるのか」という視点はそのスポーツが発展するかどうかにも影響すると思っています。それを踏まえて、アスリートのセカンドキャリアについて、成功するためのポイントを教えていただけないでしょうか。

松下:

やる気、本気だと思います。これは根性論だったり、精神論ではないんです。どこまで本気なのか、やる気があるのか。僕も「こうなりたい」「こうしたい」という想いがあって、そのために「いま、どうすべきか」を考えています。引退してどうするのか、指導者などの道に進むにせよ、タレントになる、事業をやる、いずれにせよ本気でやるしかない。そうでないと「いまどうしたらいいか」はわからない。

Q:セカンドキャリアを考えるのは、やはり早いほうが良いのでしょうか。

松下:

それは選手時代から意識していないといけないことです。現役時代は競技に集中したいという人もいるでしょうし、なかには余計なことを考えるなという指導者もいます。しかし、引退後のことを考えるのは余計なことではない。また、1日1時間くらい、引退後のことを考えても練習に影響はしません。ちゃんと先のことを考える。人生は短いんです。引退後に休憩してから先のことを考えるなんていっていると、あっと言う間に時間が過ぎてしまいます。

日本にプロ卓球リーグを作ることが、当面の目標

Q:最後に、松下さんの今後の目標を聞かせてください。

松下:

まず、ビジネスとしては、ヤマト卓球を500億円の売上がある企業に成長させたい。そして、卓球メーカー初の上場を実現させたいですね。

 

それから、いつかはビジネスを離れて、後輩を指導し、その中からオリンピック金メダリストが生まれたら最高ですね。そう考えると、やはり僕の本質は、”元卓球選手”なんです。後進を指導していきたい。でもそれができる人はごく一部です。誤解をして欲しくないのですが、水谷選手には僕のようになって欲しくない。引退後は、きちんとした環境で後進の指導に集中して欲しい。その環境のためには、プロリーグが必要なんです。一所懸命卓球に集中して、そして将来も生活ができるんだ。いろんな進路がある、選択肢があるんだということを実現したいと思っています。

 

―ビジネスマンとして、経営者として手腕を発揮する松下氏ですが、その本質は”元卓球選手”。いつか、近い将来、かつて「日本初のプロ卓球選手誕生」とメディアで採り上げられたときのように、「卓球メーカーが初上場」、そして「日本にプロ卓球リーグ誕生」という発表が来る日が訪れるでしょう。その日さえ、松下氏にとっては通過点なのかもしれません。

取材・執筆:里田 実彦

関西学院大学社会学部卒業後、株式会社リクルートへ入社。
その後、ゲーム開発会社を経て、広告制作プロダクションライター/ディレクターに。
独立後、有限会社std代表として、印刷メディア、ウェブメディアを問わず、
数多くのコンテンツ制作、企画に参加。
これまでに経営者やビジネスマン、アスリート、アーティストなど、延べ千人以上への取材実績を持つ。