2002年に自由獲得枠で日本ハムへ入団し、その後移籍したDeNAとソフトバンクでも気迫あふれるピッチングでファンを魅了した、元プロ野球投手の江尻慎太郎氏。現在はソフトバンク関連会社で数多くの企業へデジタルマーケティングを提案するかたわら、野球解説者としても活躍しています。
プロのマウンドからICTビジネスの最前線へ。その転身の背景にあった、江尻さんの「セカンドキャリア」ストーリーを伺いました。
「俺はとんでもない道を選んでしまった」出てきたビジネス用語をひたすら調べる日々
Q:いざソフトバンクグループに入社して、最初の感想はいかがでしたか? 当然選手時代とは勝手が違う世界だと思いますが……。
江尻慎太郎氏(以下、江尻):
就職して、初めてオフィスに行ったときには、倒れそうになりました。ワンフロアに800人ぐらいいるんですよ。PCに向かっている人たち全員が、屈強な戦士に見えました。この人たちに勝てるとはとても思えなくて、「俺はとんでもない道を選んでしまった」と。夜にうなされて、キーボードが空から降ってくる夢を見たこともあります(笑)。
大学時代にPCゲームにはまっていたことがあって、タイピングぐらいはできたのですが。どんなことでも、やっておいて損はないですね。タイピングも大事です。これは、現役のアスリートに強く伝えたいです。私は転職後、キーボードを打ち過ぎて腱鞘炎になってしまいました(笑)。
Q:どのようにしてビジネススキルを身に着けていったのでしょう?
江尻:
そもそも会議ではビジネス用語や専門用語が飛び交って、何を言っているかが分からない。そのため、出られる限りの会議に出て、ログを取っていきました。分からないビジネス用語が出てきたら、ひたすら調べて覚える。その繰り返しでした。
「飲みに行きましょう」というお誘いをいただくことも多くて、そこでのコミュニケーションも勉強になりました。現役時代よりも、家にいる時間は明らかに短くなりましたね。
若いプロ野球選手の勘違い。高い年俸は、一生もらい続けられるお金ではない
Q:現在はどのような業務に携わっているのですか?
江尻:
メインミッションは、法人営業担当としてデジタルマーケティングのツールを提案することです。プロ野球球団にも最先端のマーケティングの仕組みをどんどん導入していってほしいと思っていて、積極的にアプローチしています。
というのは、長年続いてきたプロ野球のビジネスモデルは親会社の宣伝・広告としてのビジネスモデルで、球団単体での赤字は当たり前の世界だったんですよね。球場の営業権を持っていないケースも多く、お客さんがたくさん入っても、球団ではなく球場が儲かる仕組みになっている。最近ではソフトバンクやDeNAさんがスタジアムを買収し、営業権を持つなど、この仕組みを変えようと頑張っていますよね。球団は自分たちで利益を出さなければいけないという気運になっているので、私も現在の立場で精いっぱい貢献したいと思っています。
Q:今後、「ビジネスパーソン江尻慎太郎」としてどのようなことに取り組んでいきたいと考えていますか?
江尻:
一つは今お話したように、「デジタルマーケティング×スポーツビジネス」で球界に恩返しをすることですね。もう一つは、まさに今日のテーマと重なりますが、アスリートのセカンドキャリア支援に強い興味を持っています。
以前から不思議に思っていることがあるんですよ。一般的に、大学新卒の就職活動では体育会系部活動の経験が有利に働きますよね。「勝利のためにチームプレーに徹することを学びました」とか、「どんな状況でも自分を見失わず、努力し続けることの大切さを知りました」とか。
しかし、プロ野球選手を通過すると一気に就職しづらくなるんですよ。それは40代まで現役だったという人だけの話ではなくて、20代のうちに引退した選手も同じ。この認識を変えていきたいと思っています。プロ野球選手は個人事業主です。自分でリスクを取り、ギリギリのところで勝負してきた経験はビジネスでも生かされるはずなのに、そうは見られないんですよね。それで再就職に苦労している元選手も多く知っています。
Q:一般的に「プロ野球選手はビジネスに向かない」と思われているということでしょうか?
江尻:
「過ごしてきた世界が狭すぎる」ということは言えるかもしれません。他の業界の人が何を考えているか、プロ野球選手はもっとアンテナを張るべきではないかと思っています。
ただそれは選手個人の問題とも言い切れないんです。アマチュア時代から、「野球だけに全力で取り組みなさい」という教育を受け、球界は長年にわたって「自分たちは日本のトッププロスポーツを運営しているんだ」という認識を持ってきた。これが、余計なプライドを与えすぎることにつながっている側面もあるのではないかと思っています。
Q:プロ野球選手ともなれば、望むと望まざるとに関わらずいろいろな立場の人が近づいてくるという事情もあるのではないでしょうか? ある種の自己防衛のために外の世界との扉を閉ざさなければならないような……。
江尻:
プロ野球選手だけが特別だとは思いません。例えばお金の感覚に関しても、一口にプロ選手と言っても、年俸250万円程度から最高では田中将大投手(ニューヨーク・ヤンキース)など、20億円以上の人までさまざまです。「年俸が3000万円になった!」と喜んでいても、それをどう使えばいいかが分からない。同じぐらいの年俸をもらっている先輩に聞くしかないわけですが、それもどのようにアンテナを張っているか、誰に聞くかによって、回答の質が変わってしまいますからね。
若くして高い年俸を手にすると、「自分がいちばんの成功者だ」と勘違いしてしまう人もいます。こうやって一生高いお金をもらい続けられると思ってしまう。来年にはどうなっているか分からない立場なのに、です。かくいう私自身もお金の使い方を間違えたことがありました。そうした意味でも、球界の外で起きていることにアンテナを張って、常に情報を集める努力をするべきだと思います。
形にこだわらず、力を発揮できる場所で貪欲に挑戦したい
Q:具体的には、プロ野球出身者はどのようにしてセカンドキャリアを描くべきでしょうか?
江尻:
足りないスキルが数多くある一方で、プロ野球選手は結果のためにストイックに努力し、チームに尽くすことができる「本当に崇高な人たちの集まり」だと思っています。
それでもセカンドキャリアへの挑戦が難しい理由の一つは、「正社員になることがゴール」という感覚があることだと思います。しかし、本当にそうでしょうか? 最近では新しい働き方として「5社で同時に活躍する」といったスタイルの人や、フリーランスで活躍する人も増えてきています。それが業務委託やアルバイトという形態だったとしても、求めてくれる人がいて、力を発揮できる場所があるなら、形にこだわらずに挑戦すればいいと思います。
Q:そうすることで見えてくる、新たな適性があるのかもしれませんね。
江尻:
はい。ビジネスパーソンとしての仕事のすべてが面白いわけではありませんからね。私も最初は、ソフトバンクグループに推薦をしていただいたというだけで、「俺は一生、携帯電話を売り続けなければいけないんだろうか……」という間違った不安を覚えたこともありました。
でも考えてみれば、プロ野球選手だって同じなんですよ。自主トレがあって、キャンプがあって、試合があって、そのすべてが面白い仕事というわけではありません。プロ野球選手は「俺たちは自分のやりたいことを我慢して戦ってきたんだ」と感じるかもしれませんが、現実的にはどんな世界でも「やりたいこと」と「やるべきこと」はセットで訪れます。だからどんな仕事にも意義があると信じて、取り組んでみるべきだと思います。
「俺は満員電車に乗りたくない」とか言うプロ野球選手がいますが、満員電車なんてサラリーマンだって乗りたくないですよ(笑)。
私はたまに「野球解説者の道があるのに、よくサラリーマンを続けているね」と言われることもあるんです。当然、野球の現場を見続けられるのは本当に楽しいことです。そうした楽しい経験も辛い経験もひっくるめて、今の自分を形作ってくれていると感じますね。
取材・記事作成:多田 慎介
専門家:江尻 慎太郎
1977年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。
2002年に自由獲得枠で日本ハムファイターズに入団し、8年間の在籍中に三度のリーグ優勝、一度の日本一を経験した。2010年から横浜ベイスターズ、2012年からはソフトバンクホークスで活躍し、2014年11月に現役引退。
2015年2月にソフトバンク コマース&サービスへ入社し、デジタルマーケティングツールを活用した集客強化の提案を数多くの企業に行っている。野球解説者としても活躍中。