プロ野球選手のセカンドキャリア、ビジネスマンの転職とは一味違う、非常に大きなキャリアチェンジです。今回は、元横浜ベイスターズからビジネスの世界へ転身された高森氏のお話を伺いました。

戦力外通告を受けた日に1000人に電話をし、多数の人とのつながりから次のキャリアを見出してきた高森氏、キャリアについてどのような考えがあったのでしょうか?

24歳での戦力外通告は、可能性を広げるきっかけに過ぎなかった。

Q:プロ野球を辞めた時、次の仕事や目標のようなものは決まっていたのでしょうか。

高森 勇旗 氏(以下、高森):

野球を辞めた時ですか?何にもなかったですね。まったく何もありませんでした。ただ、自分の可能性だけは感じていました。あとは野球の日々から解き放たれた清々しさでいっぱいでしたね。

Q:目的が定まらない状況で組織から離れると不安になる方もいらっしゃいますが、そういったお気持ちはありませんでしたか?

高森:

不安は、とにかくめちゃくちゃありました。不安はあったんですけど、それよりも自分の可能性を信じる気持ちがギリギリ勝った。可能性51:不安49といったところでしょうか。

Q:ご自身のどのようなところに可能性を感じていましたか?

高森:

俺の才能を世の中が放っておくわけがないと思っていました。ホントに傲慢な言い方ですよね。でも、本当にそう思っていた。12月で辞めることが決まって、12月、1月、2月、3月、4ヶ月ぐらいは本当に自由な時間でした。とにかく、「何をやるかを決めない」ということだけ決めていました。

Q:それはなぜですか。

高森:

今、目の前にどんな仕事があるのか、どんな可能性が自分にあるのかわからないまま、とにかく話が来たものをそのまま仕事にするというのは、おもしろくないな、と思いました。自分の可能性がどこにどう活かせるのか、知りたかったんです。

Q:それは、ご自身の可能性を探るために。

高森:

そうです。自分が誰なのかをはっきりさせる。そんな感覚です。

Q:そうすると、辞めた当初というのは、自分が誰なのかを無理にはっきりさせようとせず、可能性を見ていた、と。

高森:

そうですね。要は、自分の能力が何なのかはっきりしていなかったんですよね。何でもできる気ではいたのですが、具体的に何ができるのか、と言われたらよく分からない。ただ意欲だけはある、みたいな感じですね。今、そういう人が目の前に現れたら、「コイツうぜーなー。まずは結果もってこい」と、僕なら言うと思いますけど(笑)。ただ、人と会うことには、ひたすら時間を投資していました。毎日誰かに会っていましたね。

Q:その時、何故、人と会うことを重視されていたのですか。

高森:

じっとしていても何も始まらないですし、とにかく情報が欲しかった。だから、戦力外通告を受けた30分後くらいに、携帯に登録している全員に電話をかけました。1000人くらいかけたんじゃないですか。簡潔に「クビになりました。宜しくお願いします」と、全員に伝えました。その中で、3人くらいですかね。「一度、会おうか」と、言ってくれた人は。自分のその後のビジネスは、ほぼその3人から始まっています。

Q:戦力外通告の30分後に、なぜ全員に電話をしようと思ったのですか。「あの人と、あの人には先ず電話をしてみよう」と、相手を選ぶ方も中にはいると思うのですが。

高森:

プロ野球選手という括りがなくなったので、その瞬間、全員が僕のビジネスパートナーに変換する可能性が出てくるわけじゃないですか。

Q:名刺が変わるイメージですね。

高森:

そうです。全ての人が、僕のビジネスに何か変革を起こしてくれるかもしれない可能性の塊に見えてきたわけですよ(笑)。

Q:なるほど。30分後に(笑)。

高森:

早かったですね。初動が良かったです。本当に。

Q:そういうのも才能ですよね。

高森:

そうかもしれないですね(笑)。

Q:人と人の繋がりは、どこにどのような可能性があるかわからないですからね。

高森:

そうですね。ほぼ99%くらいは通り過ぎていくじゃないですか。「クビになりました」「おお、頑張れ」「頑張りまーす」というやり取りで終わる。もし、僕がトークスクリプトの中で「一度お会いしませんか」と言っていたら、反応率はもっと上がっていたと思うんですよ。でも、それは別に期待してなかった。投げかけるだけ投げかけて、向こうから会ってくれた人が3人。反応率は0.3%くらい。いいんじゃないですか。

Q:3人の方々は、皆さん、別々のご職業の方だったのでしょうか。

高森:

ばらっばらですね。でも、その3人から無限に広がっていきました。チャンスを掴ませてもらいましたね。野球のデータアナリストという仕事を経験できたのも、スポーツライターの仕事が続けられているのも、全て、この時の縁が連鎖して始まっています。

Q:皆さん、高森さんの本質を見てくださる方だったのでしょうね。

高森:

そうですね。全ては、人との出会いです。でも、僕、もともと人と会うのはあまり得意じゃなくて、一人で物思いにふけるのが好きなんです。それが最近、人と出会うことが喜びになり始めている。もっと言うと、人と人を繋げることにも喜びを感じ始めましたね。

「できること」「やりたいこと」「価値を生むこと」に仕事を分けて考える。

Q:野球選手をお辞めになった時は、謂わば大きなキャリアチェンジの瞬間ですよね。ビジネスパーソンの転職だと「これまでの自分のキャリアや専門性を生かせる次の仕事は何だろうか?」という発想から考える方が多いと思うのですが、様々な出会いがある中で、「この仕事でやってみよう」というのは何を基準に決めたのでしょうか。

高森:

僕の意思決定の基準は、全部「おもしろそう」しかないですね。僕、プロ野球現役時代から数字分析みたいな方面でパソコンを使うのがめちゃくちゃ得意だったんです。だから、分析関連でパソコンを使った仕事はできるだろうなと。あと、文章を書くこともできるだろうな、と思っていました。

Q:なるほど。現役時代、データ分析でコーチを驚かせたエピソードも以前記事になっていましたね。でも、書く仕事は何故やってみたいと思ったのでしょうか。

高森:

昔から好きだったんですよ、書くことが。中学生になると、高校入試対策で論文の書き方の勉強をするじゃないですか。起承転結という概念。その時の先生が良かったんでしょうね。400字で起承転結を表現するということを教えてくれました。まず、「起」「承」「転」「結」という見出しを4つ書きます。その下に、それぞれ書き出しの1行だけ書く。そして、そこに後から枝葉をつけていく。その時、「なるほど。言葉も絵みたいなものなんだな」と思ったわけです。原稿が400字だろうが2万字だろうが関係ない。どういう感じで離陸して、どういう感じで着陸するのか。それだけ最初に決めればいいんです。あとはどこに飛んでもいい。その原理原則を理解していたから、自分には書けると思っていました。

Q:データアナリストのお仕事は、一旦、区切りをつけられていますが、文章を書くということは今も続けていらっしゃいますね。

高森:

はい。書く仕事だけは一生やると思います。書くことは根源的な欲求に近い感覚ですね。だから、これを書くと原稿料がいくらになるとか、もちろんそれは僕はプロとして主張しますが、それはぶっちゃけ大きな問題ではない。とにかく表現する活動は、続けていきたいです。

Q:おもしろいですね。書くこともデータ分析も興味があって、両方やってみた結果、片方が消えて、片方は残った。

高森:

そうです。アナリストの仕事はめっちゃ楽しかったですよ。ただ、ちょっと地味すぎましたね。「できること」「やりたいこと」「価値を生むこと」これを明確に分けることですね。できることが、自分のやりたいこととは限りませんから。自分は何ができて、何をやりたくて、それにはどんな価値があるのか、ということですね。

Q:すると、まさにワクワクや好奇心がすべての原動力で、結果、それが何の仕事であるかというのは、枝葉の話というか。

高森:

はい。自分を決めつけない、ということですよね。その分、自分の本質を理解した上での取捨選択が大事というか。とりあえず、全部やってみてうまくいかなければやめればいい。うまくいったとしても、違っていたらやめればいい。それだけの話です。

Q:今の「働く目的」みたいなものは、どのあたりに置かれているのでしょうか。

高森:

今、コーチングの仕事をメインでやっています。しかも対象は、経営者と経営幹部中心。コーチングでトップから組織を変えるという仕事をしていて、この仕事が、尋常じゃなくやりがいがある。

Q:ご自身の最もやりたいこと、働く目的が明確になったのですね。

高森:

はい、そうです。この数ヶ月、本当に自分にしかできないこととか、自分が一番興味があることとか、自分が一番喜びを感じることが何なのか、ということをずっと考えていました。

結果、明確になったのは「誰かを感動させる、ワクワクさせている瞬間」に、自分自身も一番喜びを感じるということ。そこに好奇心も働くわけです。もし、これまでも自分の中にそれについての1本の軸が存在していたのだとしたら、プロ野球をやっていた時から今に至るまで、僕の人生に全部整合性がつくんですね。野球も人に感動を与える仕事ですから。ずっとそこに軸足を置いていたとしたら、職業が、野球選手だろうがライターだろうがアナリストだろうが関係ないわけです。それは、何だっていい。自分が自分の人生において、何に喜びを感じるのか。結局、働く目的とは、そういうところにあるのだと思います。

(後編へ続く)

取材・記事作成:伊藤 梓

写真:加藤 静

高森 勇旗
富山県出身。
中京高校卒業後、2006年、横浜ベイスターズ(現DeNA)よりドラフト4位指名を受け入団。
プロ野球史上最年少サイクル安打達成、2軍では最多安打、ビッグホープ賞、技能賞を獲得。2012年、24歳で引退。
引退後は、ライター、データアナリスト、イベントプランナー、大学講師など、様々な分野で活動。
特に、スポーツライターとしての活躍は目覚ましく、執筆したインターネット記事が1200万PVを記録。各媒体からの執筆依頼は絶えることなく、現在もライター業を継続。2014年11月、すごい会議に参画。自身の経験から、目標を達成するモチベーションのあり方や、チームとして前進する価値を世の中に浸透させるべく、コンサルタントとして多くの企業経営者をサポート。
ノマドジャーナル編集部
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