今回は、元総合格闘家で、現在は格闘技とフィットネスを融合した新しいタイプのトレーニングプログラム「ファイトネス」を立ち上げ、広く展開されている大山峻護さんへのインタビューです。

柔道から総合格闘家へ、そしてビジネスへと進んだご自身のキャリアやその中での岐路について振り返っていただきます。

大人になると、キャリアの考え方も、それまでに積み上げてきた「積み上げ思考」を重視する方向に変化してしまうことが多いという大山さん。子供の頃の純粋な「こうなりたい!」という気持ちを大事にしてきた大山さんならではのキャリアについての考え方をうかがいました。

すべては、ヒーローの背中を追うことから始まった。ウルトラマンに憧れ柔道を始める

Q:小さい頃、柔道を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

大山峻護氏(以下、大山):

小さい頃は、とにかく弱虫で、友達もいなくて、ずっとウルトラマンに憧れていました。テレビで見て、「僕もウルトラマンみたいに強くなりたい!」と思ったのが、柔道を始めたきっかけです。

そして、ウルトラマンというヒーローが、その後、古賀 稔彦という柔道家に変わった。「古賀さんみたいになりたいな」と、思って調べたら、東京に講道学舎という柔道塾があることを知りました。

全国トップクラスが集まって同じ寮で生活をしながら練習するというハードな環境です。

Q:そちらに、中学校2年生で入門されたのですね。

大山:

はい。テストを受けて入門しました。ところが、強さを求めると、とんでもなく空は高い。信じられないほどレベルの高い世界でした。

僕なんて、もうゴミのような存在です。その世界の中では、やはり強い人が一番で、弱い人は虫ケラみたいな存在になってしまう。

栃木から上京した僕は、いかに世界が広いのかということをそこで初めて実感しました。毎日のように投げられて、後輩にも投げられて。

Q:何故強くなれたのですか?

大山:

そうですね。全く太刀打ちできなかったんですけど、いつか強くなれるんじゃないか、と信じる心が消えなかったからでしょうか。

僕の持っている強みは、これしかないんじゃないかと思うほど、信じる力が強い。これがあったから、何があっても乗り越えてこれた。

僕は、ずっとヒーローに憧れながら大人になった、珍しいタイプなんです。ヒーローって、強くて、かっこよくて優しいじゃないですか。そういう存在に出会った時、僕は「そんな人を目指したい」と、熱くなるんです。

そして、そこを目指すことしか見えなくなる。

これまで、本当にたくさんの選手を見てきました。小学校でものすごい強さを発揮する選手もいれば、中学校で日本一になった選手もいる。高校で日本一になって花咲く選手もいます。

才能のある選手って、ゴマンといるんですよ。でも、みんな、途中でやめてしまう。

僕なんて、才能は無かったし、特別体力があったかと言われたら、そうでもなかった。でも、強くなりたいという強い思いをずっと継続できたことが、全ての要因だったと思います。

僕、学生時代は全然結果が出なかったんですよ。身体中怪我だらけでした。骨折もしましたし、靭帯切ったり、肩を脱臼したり。

学生時代は、本当に怪我との戦いだったのですが、大学4年の最後に「全日本学生体重別選手権」で、急に力が発揮できて、決勝戦まで行くことができた。

その時の対戦相手が、中学校時代の同級生の瀧本誠だったんですよね。(彼は、その後、オリンピックで金メダルを取りました。)

その全国大会で準優勝したことで、実業団の京葉ガスが僕に声をかけてくれまして、柔道を続けることができることができました。

「桜庭和志になる」総合格闘技の世界へ

Q:京葉ガス時代には、全日本実業団柔道の選手権大会で優勝されていらっしゃいますね。活躍されていたにも関わらず、何故、京葉ガスを辞めて格闘技に転向されたのですか?

大山:

それがまた、新たなヒーローと出会ってしまいまして。それが、格闘家の桜庭和志という選手です。日本の格闘技界を引っ張ってきたカリスマですね。

彼の試合を見て、大変な衝撃を受けました。「うわー!桜庭さんみたいになりたい!」と、そこで思ってしまったわけです。

なりたいと思ったらもう、僕の中では、なるしかないんです。そこで、すぐに「桜庭和志になる」と決めてしまいました。

それで柔道を卒業して、総合格闘技の世界に入っていきました。

Q:なるほど。理想のヒーロー像である桜庭選手を目指して、更に上に行くなら総合格闘技しかない、と。

大山:

はい。K−1があって、PRIDEがあって、ちょうど総合格闘技がものすごい盛り上がりを見せていた頃でした。

Q:大山さんご自身としては、アメリカの大会への出場を経て、2001年にPRIDEに出ていらっしゃいますが、これはまたどのようなご縁だったのでしょうか。

大山:

アメリカの大会で勝つことができたことは、大きな転機でした。

そのことがあって、関係者からPRIDEのオファーをいただきました。

しかも当時、ずっと連勝を重ねていた桜庭さんが、初めてヴァンダレイ・シウバという選手に負けまして、ヴァンダレイ・シウバに勝てる日本人は誰かいないかとなった時に、僕にそのオファーが来たんです。

Q:それまた感慨深いオファーですね。

大山:

はい。正直、自分でもすごいなと思いました。本当に、信じる力と運の強さだけで生きてきたというか。

信じる力が強いから、そういうものを引き寄せることができたのかもしれないですが。

信じる力が、転機を生んだ。「ピーター・アーツを秒殺したいです」

Q:その後、グレイシー一族との戦いもあり、お怪我をされて、いろいろあったと思うのですが、それを経て今度は2004年にK-1に出場されましたね。

大山:

はい。PRIDEでは、シウバやグレイシー一族、ミルコ・クロコップと闘ってきて、なかなか結果が出ませんでした。

そうしているうちに、K-1が総合格闘技を作った。K-1 HEROSという大会です。それで、今度はそっちに参戦することになりました。

当時のK-1は、毎年年末に「Dynamite!!」という大会を開催していました。その年の選ばれた選手だけが、出場できる大会です。

その時の僕は、全くもってそんな存在じゃなかった。全然、結果も出ていなかった。

でも、当時メンタルトレーナーに、「大山くん、ここからの目標どうするの?」と、聞かれた時に、ポンって頭の中に浮かんだのが、「ピーター・アーツと年末の試合で闘って、秒殺することができたら、僕、嬉しいです」と、答えたんですよね。

「秒殺したいです」って。

「じゃあそれを目標にがんばっていきましょう」と、いうことになったんです。その話をしたのは、年末の大会の7ヶ月前でした。

Q:2005年の春頃ですね。

大山:

はい。ふと思いつきで口から出ました。

でも、「あ、これ、あるんじゃないかな」と、思ったんです。また信じる力が芽生えてきました。

現役時代は、朝、必ず走っていたのですが、走りながら、ピーター・アーツに勝って、コーナーポストの上に上がって「わーーー!」って、叫んだらどんな気分だろうか、とか、いろいろなことをイメージしていました。

でも、まぁ当時、僕なんかもちろん出られるかどうか分からない存在でしたし、しかも年末の大会なんてラインアップが直前にならないと決まらないんです。そして、1日1日と日が近づいてきても全く声がかからない。大会1ヶ月前になっても、音沙汰なし。

そうしているうちに、ピーター・アーツの対戦相手は、ある日本人選手に決まりまして。それでも、「きっと何かあるんじゃないか」という根拠のない自信がありました。

それで、僕、勝手に沖縄に合宿に行ったんです。出場が決まった時のために、ベストコンディションをつくろうと思ったわけです。

そしたら、大会の9日前に突然電話が鳴って、「大山くん、ピーター・アーツと試合してくれないか」と、言われたんです。

対戦相手が急に試合ができなくなってしまったらしくて、「ここは大山にしよう」という話になったそうです。

大会の9日前のことでした。

僕は、そりゃあもう準備万端なんですよ。7ヶ月前から準備していたので、完璧な状態。

Q:すごいですね。

大山:

はい。「もちろんOKです!」と、言いました。2005年の年末です。

その試合は、30秒でピーター・アーツの足の関節技をとりまして、1本勝ちをして、コーナーポストに上がって「わーーー!」って雄叫びをあげて、みんなとハグして、トロフィーを掲げました。

これ、全部、僕が7ヶ月前にイメージしたことなんです。

それがなんか、目の前に繰り広げられていて、なんと言うか、映画の中にいるような感覚でした。

Q:ご経歴を活字で読むだけでは見えない裏側のお話ですね。そのような出来事があったなんて驚きです。

大山:

自分にとっても不思議な体験でした。

信じる力も、確信までいくと、時にこんな不思議なことが起こることがあります。

結果の積み上げよりも、高いゴールに手を伸ばす。大人は「積み上げ思考」だけを重視する方向に変化してしまう

Q:信じる力って、不思議なものですね。
普通、1つずつ何かを積み重ねて、成功を重ねる中から、だんだん自分を信じる力が育っていくじゃないですか。
それが、大山さんの場合、言葉を選ばずそのまま言うと、「結果が全く出ていない」状況のなかで、それでも自分に対戦のカードがまわって来ること、更には勝利までを強く信じられたわけですよね。
長く結果が出せずに苦しんでいる時期って、自分を信じる力というものは、弱っていくのではないかとも想像するのですが。

大山:

そうですよね。普通、皆さん、過去の積み上げを見ながら未来を選択していくじゃないですか。

「これぐらいまでやってきたから、きっとこれぐらい。だから『これぐらい』やらなきゃ『これぐらい』までいけないな」って。

僕には、その思考がないんですよ。なので、「ここに行きたい」と思ったら、「ここに行きたーい!」と走るんです。ほんとシンプルなんですよ

でも、そのおかげでたぶん、僕はあの舞台で闘えた。今は、そう思いますね。

それに関しては、ほんと、バカになれるんです。小さい頃、ヒーローになりたいと思ったら、それしか見えなかったように。それが結局、僕の強みだと思います。

世の中の人たちは、よくそういう姿を「天然」だとか「純粋」と言いますよね。でも、僕、この感覚って、とても大事だと思うんです。

子供の頃って、「こうなりたい!」って思ったら、ただただ「こうなりたい!」て信じることができましたよね。

それが、途中、どこかで「積み上げ思考」だけを重視する方向に変化してしまう。僕は、どちらも大切なものだと思います。

Q:なるほど。その感覚を持っているから、行きたい場所に向かって迷いなく走ることができる。仮に、途中で負けが続いていたとしても、毎回がその場限りのチャンスの機会。今回負けたとしても、今回がチャンスではなかっただけで、次のチャンス、次のチャンス・・・と、いける気持ちになる。

大山:

そうなんですよ。本当に僕、格闘技人生はびっくりするくらい怪我してきましたし、ほんとにたくさん負けてきて、たくさん挫折してきたんですけど、それでも立ち上がり続けることができたのは、ずっと上を見続けることができたからだなって、思うんですよね。

Q:実際に負けた直後ですとか、気持ちの切り替えはどうされていたのでしょうか。

大山:

負けた直後はね、えらい落ち込むんですよ。人並みに。

落ち込むし、泣くときもあるし、でもね、とことん落ち込んだ後は、「よしっ!」ってなるんですよ。本当にその繰り返しで、現役時代は闘ってきました。

Q:なるほど。じゃあ、「目線」というか「目指す場所」が下がることは決してないということですね。

大山:

そうですね。だから、時々、突然、高いところを掴むことができたのだと思います。

取材・記事作成/伊藤 梓

写真/ 鷹野 愛

大山峻護(おおやま しゅんご)
栃木県那須郡出身。元総合格闘家。
第28回全日本実業柔道個人選手権大会・男子81kg級優勝、2000年 全日本アマチュア修斗選手権 ライトヘビー級 優勝を経て、総合格闘技に転向。2001年PRIDE参戦。主な対戦相手は、ヴァンダレイ・シウバ、ヘンゾ・グレイシー、ハイアン・グレイシー、ミルコ・クロコップ。2004年にはK-1・HIERO’Sに参戦。ピーター・アーツに勝利。2012年ROAD FC初代ミドル級チャンピオンとなる。
引退後は、格闘技とフィットネスを融合した新しいタイプのトレーニングプログラム「ファイトネス」を立ち上げ、トレーナーとして企業や学校、個人に広く展開。
座右の銘は、”ALL INTO POWER”(「すべてを力に」)。
■ファイトネス公式ホームページ: http://shungooyama.spo-sta.com/
ノマドジャーナル編集部
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