2017年1月1日、フランスの労働者がひとつの権利を獲得した。勤務時間外の仕事のメールを見なくてもいい権利で、通称「つながらない権利」と呼ばれている。日本でも読売新聞(9月6日付)や日経新聞(7月11日付)で問題提起がされており、ご存知の方も多いだろう。

この報道に際して頻繁に名前が出ているのが、今回取り上げるジョンソン・エンド・ジョンソンだ。そこで本稿では、同社での取り組みと、日本で実現する可能性について考えてみたい。

■商品も、働き方も最先端を行くヘルスケアカンパニー

バンドエイド、リステリン、ニコレット・・・誰もが知っているブランドを多数有する、ジョンソン・エンド・ジョンソン。世界60カ国に265以上のグループで働く従業員は12万7000名を数え、売上高は700億ドル超(2015年)。自他ともに認める”世界最大級のヘルスケアカンパニー”で、76期連続の増収を続けている。その様子はさながら、どんどんと領土を広げ、巨大化を続けた古代ローマ帝国のようでもある。

発展の背景のひとつと考えられるのが、我が信条(Our Credo)の2つ目に掲げられている、「全社員に対する責任」だ。この項目では、社員が安心して仕事に従事できるよう環境を整えるほか、家族に対する責任を十分に果たせるよう(会社が)配慮すべきだと明記されている。

この信条に基づき、近年では特に、ダイバーシティとインクルージョンの推進に注力。性別・年齢・民族性・国籍・障害の有無に関わらず、あらゆる多様性を尊重することで豊かな発想や考え方をサポートしている。その結果、女性管理職比率30%、男性の育児休暇取得率25%(4人に1人)といった指標が大きく向上。2016年には、日本経済新聞社「人を活かすランキング」で1位、日経WOMAN「女性が活躍するランキング」で6位を獲得した。

■全員一斉にメール禁止にすれば、焦りも不安もない

2015年7月より導入したという夜間・休日のメール禁止については、Yahoo!伊藤忠商事のように大々的なプレスリリースなどはなかったが、上述した信条によるものだと推察される。ではここで、詳細を見てみよう。

制度自体は至ってシンプルだ。グループ4社で22時以降と休日の社内メールのやり取りを禁止するというもので、もちろん管理職や役員も例外ではない。なお、導入を決めた背景として人事部は、「勤務時間外にまで業務メールに追いかけられては気が休まらない。せめて夜間と休日は仕事を忘れてリフレッシュしてほしい。その方が勤務時間中の業務効率も上がる」と語っている。

運用開始から約1年半。そろそろ効果が出てくる頃だろうが、同社からの発表でもメディアなど周辺情報でも、そうした話はまったく聞こえてこない。働き方改革が注目を集める今、せっかくアピールできるチャンスがあるのにもったいない、と余計なお節介ながらも感じてしまう。

あまり露出をしないことについては、企業スタンスもあるだろうが、制度自体を「当たり前」のことだと捉えているからだとも考えられる。つまり、勤務時間外に仕事をしないことを明文化しただけ、というわけだ。これにより、全社員が共通認識を持つことができ、夜間・休日に届いたメールへの返信の強要などもなくなる。また、自分だけがメールを見ない=仕事を拒否していると思われるのではないか、評価が下がるのではないか、といった不安も解消されたことだろう。

■意志だけでは難しい?メールを強制的にできなくするシステムを導入

実は、数は少ないものの、ジョンソン・エンド・ジョンソンと似たような取り組みを行っている企業はすでにある。どのような制度なのか、以下にまとめてみた。

三菱ふそうトラック・バス(川崎市)

導入時期:2014年12月
長期休暇中の電子メールを受信拒否・自動削除できるシステムを導入。社内からのメールが対象で、送信者には「頂いたメールは削除されます」というメッセージが表示される。
※親会社であるドイツ・ダイムラーでは2014年8月より導入

ドイツテレコムフォルクスワーゲン(ドイツ)

導入時期:2010年より
勤務時間外の電子メールサーバーからのメッセージ配信を制限。ダイムラーでも同様の制度を導入。

ロックオン(東京都・中央区)

導入時期:2012年
1年に1回、9日間の長期休暇の取得を義務付け。休暇中には、会社との連絡を一切断つ。

範囲については社によって違いがあるものの、物理的にメールを受信できないなど、かなりの強制力が伴っていることは共通して見てとれる。

■いつでも・どこでもつながる便利さと引き換えに、自由を失った現代人

冒頭で紹介したフランスでも、以前から一部の企業で勤務時間外のメールを制限する動きはあった。これを国全体で取り組むこととして法制化したのが、2016年7月21日に成立した改正労働法だ。

雇用拡大や企業の競争力強化を目的にされた改正だったが、企業レベルの労使合意により労働時間が調整可能、給与削減や従業員の解雇が以前より容易になるなど、労働者にとって不利益な法だと捉えられ、フランス全土で抗議デモが相次ぐなど、悪いニュースばかりが日本でも流れた。

その改正労働法の中で、唯一といっていいほど批判を浴びなかったのが、「つながらない権利」だ。
といっても、名称から連想するような、企業に対して勤務時間外のメールなどを強制的に禁止するものではない。この法律で義務付けているのは、メールを受信しなくてもよい時間帯の保障などについて規則を定めること。その取り決めに従って、従業員は対応を拒否することができるというわけだ。こう聞くと、守らない企業もあるのではと邪推をしてしまうが、権利侵害があった場合には訴訟を起こすことも可能だという。

このように一企業の対策としてではなく、法制化にまで至った背景のひとつには、デジタル技術の進化が挙げられる。ほんの20年ほど前までは、勤務時間外に連絡を取る方法といえば、自宅の電話しかなかった。外出してしまっていれば繋がらないし、家族にも迷惑をかけてしまうなど、物理的にも心理的にも連絡を取るにはかなりハードルが高い。しかし現在では、携帯電話もあるし、チャットやメールもある。つまり、「いつでも・どこでも」繋がるツールを個人が所有することで、勤務時間外に連絡を取ることのハードルが下がったといえるのである。

緊急時に連絡が取れるなど便利になった反面、それがあまりに頻繁だと連絡を受ける側はたまったものではない。24時間365日、いつ連絡が来るかという緊張状態を強いられ、帰宅後もバカンス中もメールで仕事を続けざるを得なくなる。フランス人がいうところの「電子の首輪」(電子的に常時つながれている犬)という表現がまさにぴったりの状況に陥ってしまうのだ。こんなストレスフルな状態が、生きていく上でも仕事をする上でもマイナスに働くことは、心理学者でなくても想像に難くないはずだ。

■タダ働きか、社会人としての責任か

翻って、日本の状況を見てみよう。そもそも日本は労働時間が長い。先日発表された、OECD加盟国の平均年間労働時間を見ると日本は1,745時間でランキングは15位。上には上がいるとはいえ、実は先進国で日本より上位にいるのはアメリカとイタリアだけ。フランスは日本より約300時間も少ないのだ。しかも日本には、悪名高き「サービス残業」がある。実態は調査のしようがないが、報道などをみている限り、実際の残業時間の2倍〜3倍のサービス残業が発生しているのではないだろうか。

そうなると、残り少なくなったプライベートの時間を、もっと大事にしたくなるはずだ。きっとフランス以上に「つながらない権利」を欲しているに違いない。それを裏付けるデータがあったので、ここで紹介する。

※ダイヤモンド社がジーンリサーチの協力を得て行ったアンケート調査

対象・・・全国の男女200名
「休日や勤務時間外における仕事上のやり取りについて」の調査
調査範囲:社内・取引先からの連絡(メール、電話含む)すべて
http://diamond.jp/articles/print/101837

Q:「つながらない権利」は必要だと思いますか?
はい……73.0%
いいえ……27.0%

「はい」と答えた人の意見は、
・プライベートの時間にまで仕事の事を考えたくもないし、縛られたくもない
・勤務時間外は自分の自由な時間であって、給料をもらっている時間ではない
・多くの場合はタダ働きであり、対応を求めるのは言わば相手の善意につけ込んだフリーライダーである
・・・と、至極まっとうないものばかり。労働者の善意で勤務時間外に対応をしているのに、いつの間にか義務になっていることへの憤りが垣間見える。

これに対して、「いいえ」と答えた人の意見を見てみると、
・勤務時間外であっても、会社員である以上、対応するのは仕方ない
・業務上、緊急の問い合わせはあり得るので、まったくつながらないのも問題
・お客さんあっての仕事だから、どんな状況でも出られる範囲で対応したほうが良いと思う
こちらも、間違ってはいない。むしろ多くの場合、会社員として責任ある姿勢と捉えられるだろうし、勤め人としての期間が長くなるほど(つまり年齢を重ねるほど)、この傾向が強くなるようにも思える。

■「つながり」がつくりだすデジタルの檻から逃れるには?

さらに調査を進めてみると、つながらない権利を「いらない」と答えた人の意見を裏付けるようなデータが見つかった。

一般社団法人ビジネスメール協会が実施した「ビジネスメール実態調査 2016」(全国の男女3,088名を対象にした調査 http://www.sc-p.jp/news/pdf/160701PR.pdf)によると、仕事で送ったメールを「24時間以内」に返信してほしいという人の合計は、なんと82.4%。IT技術が普及していない時代、まだ電話しか連絡手段がなかった頃には考えられないスピードだが、やはり人は環境に順応するということだろう。今では、メールなしにどうやって仕事を進めていたのかを思い出せない、という人のほうが多いのではないだろうか。

勤務時間外の連絡を取ることを良しとしてしまっている背景には、こうした意識に加え、日本ならではの「おもてなし」の精神と「お客さまは神様です」という言葉が深く関係しているように感じる。通常、商品やサービスには対価が、営業時間外の業務には人件費が支払われるべきである。しかし、現実は違う。同僚が困っているからと関係のない仕事を手伝ったり、「お金を払っているのに、なんでやってくれないのか」と、まるで従業員を召使いのように扱ったり。相手の気持ちを考える、顧客のニーズを汲む、といった聞こえのいい理屈ばかりがまかり通り、長時間労働や勤務時間外の連絡といった事態を生み出しているのだ。

おそらく、こうした過剰サービスを減らさなければ、日本の労働者が「つながらない権利」を獲得することは難しく、また、たとえ法制化されたとしても、実態は以前のまま、ということになりかねない。そうならないようにするためには、私たち一人ひとりが、労働者としてどうあるべきかを考えると同時に、消費者としてのあり方を見直すことが必要だ。もちろん、これまで当たり前に享受していたものを手放さなければならないこともあるだろう。しかしこのままでは、遅かれ早かれ24時間ずっと仕事をしている状態になってしまうことは目に見えている。大げさではなく、「つながらない権利」の是非を考えることが、あなたの会社、そして日本の働き方の未来を考えることに繋がるのである。

幸いにして最近では、人材の獲得が困難、人件費の負担が増える、といった理由で、元旦の営業や24時間営業をやめるといった例も出始めてきた。日本人はとかく、おもてなしや「お客さまは神様」の精神で、できること=しなくてはならないこと(義務)にしてしまいがちだ。だからこそ、このように物理的かつ強制的に「できない」ようにしてしまうといった荒治療をしなくてはならないのだ。これがきっかけとなり、過剰サービスの見直し、ひいては長時間労働の是正につながる大きな流れとなることを願っている。

記事制作/宮本 雪

ノマドジャーナル編集部
専門家と1時間相談できるサービスOpen Researchを介して、企業の課題を手軽に解決します。業界リサーチから経営相談、新規事業のブレストまで幅広い形の事例を情報発信していきます。