政府が推し進める働き方改革の中でもコアとなるのが「同一労働同一賃金」だ。長時間労働の是正と同様、企業側と労働者側、すべての人々に関わる問題だけに注目度が高く、制度への期待や企業負担の増加、社会全体への影響など、さまざまなテーマが議論されている。
メディアでの識者の発言や会社経営者のコメントなどを聞く限り、一部で大きな反発があり、実現にはかなりな困難が伴うとの見解が大勢を占めているようだ。しかしすでに制度を導入し、目に見えた効果を出している企業がある。それが、イケア・ジャパン株式会社だ。まずは、同社で取り組んでいる制度について詳しく見ていこう。
■急成長の理由は、人の力を信じ、活かし、伸ばすための投資を惜しまないこと
イケアは、全世界389店舗、来店数9億1500万、従業員数18万3000人を要する世界最大の家具小売店だ。1943年にスウェーデンで発祥し、全世界へ店舗を展開。日本へは2002年に進出し、イケア・ジャパン株式会社を設立。およそ4年後の2006年に第1号店をオープンした。
単に低価格なだけでなく、北欧のおしゃれなデザインや自分で組み立てる楽しさなどが消費者に受け、瞬く間に急成長。これまで完成品を売ることが主流だった日本の家具業界に、大変革を起こした。
だが実は、イケアは自分たちのことを家具屋さんとは言わない。「家具をつくるのではなく、人をつくる会社」だというのだ。知っての通り、こうした理念をもっていること自体は別に珍しいことではない。従業員の満足度を高めることが業績の向上に繋がるというES(Employee Satisfaction:従業員満足)の考え方に則ったもので、「企業は人なり」「社員の成長が第一」などと掲げる会社はたくさんある。
だが、往々にして実態が伴っていないことが多い。しかも、当の従業員を含め周りも、そんなの建前だよね、という暗黙知になっており、会社が何かをしてくれるなんて期待もしていないのが「ふつう」なのではないだろうか。しかしイケアでは、言行一致が徹底されているというのだ。
■100人100通りのライフパズルに合わせたインフラをつくることが会社の役割
具体的な施策の話に移る前に、イケアが大切にしているという2つのキャッチフレーズを紹介したい。
1つ目は、We believe in people(私たちは人の力を信じます)という言葉。人の力を信じているからこそ、コワーカー(イケアでは社員のことを「ともに働く人」の意でコワーカーと呼ぶ)の成長を願い、成長をサポートをするための変化や努力を惜しまないという意味で、会社から社員への信頼の証となっている。
もうひとつの言葉は、イケアが持つ信念のようなもの。Everyone is seen as a talent―誰もが才能を持っているという意味で、それを伸ばして集めることで、なにか素晴らしいものが生まれるに違いないという考え方だ。すべての人事改革、施策立案、制度設計は、この2つを根拠に行われるという。
こうした考えがベースにあった上で、「ライフパズル」という視点も大事にしている。スウェーデンではよく使われる言葉で、ワークライフバランスを少し先に進めた考え方だといえる。
ひとことで言い表すのが難しいが、昇進する、子どもを売る、住む場所を変える、など人生やキャリアにおけるさまざなま”選択肢”をパズルのピースに見立て、柔軟に組み合わせること、といえばイメージしやすいだろうか。そして、このパズルを組み立てる主導権と責任は、他ならぬ自分にあるのだ。
言われてみれば当たり前のことなのだが、これがなかなか難しい。日本では転勤の辞令には従わざるを得ないし、子育てのためにキャリアアップを諦めるといった話もよく聞く。つまり、会社のサポートなくしては、自分の思い通りのライフパズルを完成させることはできない、ということだ。
■全員を同じ土俵にあげることで、選択肢が増え、多様性が生まれる
なぜこのような説明から始めたのかというと、人材に対する根本的な考え方の違いを理解してほしかったからだ。同一労働同一賃金にしても、全社員正社員化にしても、人材不足を解消するために、パートタイマーの待遇を引き上げたのではない。上述したように、さまざまなライフパズルを生きるコワーカーのニーズに応えられる施策は何かと考え抜いた結果が、同一労働同一賃金だったというだけのことなのである。
それでは次に、施策の具体的な内容を見ていこう。従来の人事制度では、ほかの多くの企業と同様、正社員、非正規のパートタイマーなど雇用形態によって給与体系が異なっていた。これを2014年9月の人事制度改革で一新した。
●全社員正社員化
全社員の7割を占めるパートを短時間勤務の正社員に転換。福利厚生、厚生年金・健康保険への加入など、すべてを正社員と同じ待遇にする。また、有期雇用を廃止し、65歳定年制が適用となる。
●同一労働同一賃金
職務記述書で、職種ごとに求められる仕事内容は責任範囲が明確に定められ、同じ職務であれば全社員に同じ水準の仕事内容が求められる。同じ仕事内容であれば、時給換算した賃金が同等となる。
なお、これまでパートタイムで働いていた社員は短時間正社員として、週12~24時間または、25~38時間の契約をすることができる。もちろん、フルタイムの正社員へチャレンジすることも可能だ。
■人件費の増加<モチベーションアップによる業績向上
全社員が正社員となってから、すでに2年半。改革前までは30%ほどあったパートの離職率が半減するといった目に見える実績のほか、コワーカーの意識の変化が組織や業績にも良い影響を与えているという。
将来設計ができるという安心感を得られたことで、これまで以上に意欲が向上し、さらに「正社員」としての責任感がコスト意識を生み出す。また、管理する側でも、「パートだからこのくらいでいいか」といった差別がなくなり、全員に平等にマネジメントや能力開発の機会を与えられるようになる。制度がきっかけとなりこうした好循環を生み出せるようになることが、働き方改革で求められることなのかもしれない。
ちなみにイケアでは、もう一歩進んだ柔軟な働き方を目指している。パートターム(短時間正社員)のリーダーや大学生のストアマネージャー、週20時間しか働かないマネージャーがいてもいい、というのだ。現在でも、マネージャーが交代で3週間の夏季休暇を取得するという仕組みが機能しており、不在の人がいても代理で対応できる組織づくりは整っている。となると、あとは社員の意識が変わるのを待つだけ。日本では今だにハードワークが美徳とされている風潮が強いが、イケアでは徐々に時間ではなく仕事内容が評価される=労働(拘束)時間は関係ない、という意識が醸成されつつあるようだ。
■同一賃金にすることがゴールではなく、働き方・生き方の選択肢を増やすことを目的にする
ここで他社事例を紹介したいところだが、実は、同一労働同一賃金の例は極端に少ない。総合職での新卒一括採用、会社都合による転勤や配置転換などが多い日本企業では、そもそも仕事内容を明確に定めておらず、同一の仕事かどうかの判別が難しいというのが障壁となっている(同一労働同一賃金の実現可能性については、本稿の最後にも記述している)。この点については、2016年12月20日に政府が出した同一労働同一賃金ガイドラインにより大部分は解消されていくのかもしれないが、いずれにせよ企業も従業員も、仕事の内容や範囲について、明確な線引をしていくことが必要だろう。
さて事例に戻ると、イケア・ジャパン以外に唯一、同一労働同一賃金を取り入れている企業がある。それがりそな銀行を擁するりそなグループだ。お堅いイメージのある銀行がなぜ?と思うが、導入した時期や背景を見れば納得できる。
国内金融機関の不良債権問題が深刻化していた2003年、経営危機に陥ったりそなに政府は約2兆円の公的資金を入れ、実質的な国有化をした。そこでりそなでは、厳しいリストラを敢行せざるを得ず、男性の正社員が大量に辞めた。残った社員の力をフル活用するために考えられた窮余の策が、同一労働同一賃金だったというわけだ。
勤続年数に関係なく、職務等級が同じであれば、正社員と非正規の基本給を時給換算で同額にしているが、責任の違いがあることから賞与や退職金などは正社員と非正規で差をつけている。また、時給換算の基本給も出勤日数や労働時間を限定した非正規は正社員より低くなる。完全な同一労働同一賃金ではないものの、日本の働き方の現状に合わせて最大限に賃金格差をなくそうとしている点は、評価できる。
また、2015年には新たに「スマート社員」を設置。勤務時間または業務範囲のどちらか一方を限定できる無期雇用の正社員の職種として導入した。イケアと同じように、多様な働き方を提供することで社員は自分に合った働き方を選ぶことができる。その中で最大限の力を発揮して欲しいという期待がある一方で、りそなグループの場合は、少子高齢化で難しくなってきている人材の確保のためという思惑もある。理由はどうあれ、仕事内容に対する評価と賃金が同じという条件の中で働き方の選択肢が増えることは、労働者にとって歓迎すべきことであろう。
■基本的には賛成、ただし責任が増えるくらいなら現状維持がいい
では実際に、労働者は同一労働同一賃金をどのように捉えているのだろうか。日本経済新聞が行ったアンケート調査(回答総数675、男性91%、女性9% http://www.nikkei.com/article/DGXMZO96591230X20C16A1I10000/)によると、71.3%が賛成という結果に。しかし、しゅふJOB総研が行った同様のアンケート(回答総数719、主婦が対象 https://www.bstylegroup.co.jp/news/shufu-job/news-10411/)によると、賛成は30.3%。日本経済新聞の調査と真逆の結果になった。
この違いを生んだ理由として考えられるのは、調査対象の立場の違いだ。日本経済新聞の回答者は91%が男性で、しかも40代以上が85%を占めることを踏まえると、おそらくはほとんどが正社員。それに対して、しゅふJOB総研は女性で、多くはパートや派遣社員、非正規社員だ。しゅふJOB総研の調査でわからない・反対と答えた人の意見を見ると、「100円時給が上がっただけで仕事の量と責任が重くなった」「会社とともに成長するのが正社員」など、責任の重さを比較するものが散見される。つまり、責任を負うくらいなら、今のままでいい、というわけだ。
非正規社員が4割近くにまで増え、正社員と非正規社員の賃金差が年収で308万円にまで拡大している状況を踏まえると、特に非正規社員にとって同一労働同一賃金は収入アップの大きなチャンスになることは間違いない。しかし現実は、そう簡単に片付けられる問題ではないようだ。
■人件費の増加と収入減を受け入れられるかどうかが、実施可否の鍵となる
そこで、同一労働同一賃金が実現した場合の影響について、さまざまな論点から見ていくことにする。なお論点や影響については、各種アンケート調査やメディアに露出している識者の見解などを参考にしている。
【論点1】非正規社員の賃上げ
政府は、>非正規社員の賃金を引き上げることで正社員との収入格差の是正を目指している。しかし現実には、給与改定を行い正社員の賃金を引き下げることで、人件費の上昇を抑える企業が増えるのでは、など運用を疑問視する声も多い。
<対労働者>
非正規労働者の多くは収入増に繋がる可能性が高く、仕事へのモチベーションアップが期待できる。一方で、正社員の収入は減少する可能性がある。
<対企業>
政府の意図通りに非正規社員の賃金を上げた場合、人件費が大きく増える。たとえばイオンの場合だと、正社員13万5000人に対して、臨時従業員は26万1000人(1日8時間換算)。正社員の賃金に合わせるとすると、2258億円のコストがかかるという試算もある。
<対社会>
1人あたりの人件費が上昇すれば、当然、採用を控える企業が増える。そうなると、少ない人数で仕事をしなければならなくなり、さらなる長時間労働(サービス残業や持ち帰りでの仕事も含める)や、失業率の増加を引き起こす。
【論点2】仕事内容の曖昧さ
雇用時にジョブ・ディスクリプション(職務記述書)を提示することで仕事の責任と権限を明確にしている欧米諸国とは違い、日本では仕事の幅が広い総合職の採用が多い。悪く言えば「会社に指示されたことは何でもやる」という状態のため、同じ職種・ポジションであっても微妙に責任の範囲が違うなど、同一労働の定義が難しいとされている。
<対労働者>
仕事の範囲が明確になることで専門性を伸ばしやすい。反面、他の仕事にチャレンジしにくくなることで可能性を狭めてしまう(向いていない仕事をずっとやることになったり、成長の機会が減ってしまうということ)ことも。また、自身の役割以外の仕事を断れるようになることで、無駄な残業がなくなる。
<対企業>
「育てる」ことを前提に、新卒一括採用で給与を低く押さえて採用し、年齢、勤続、学歴、職務遂行能力、担当業務などを総合的に勘案して給与を決定していたものを、職務給に統一する必要がある。同じ仕事であれば、入社1年目でも10年目でも同じ賃金になるため、短期的に見ると人件費が増える可能性が高い。
また、職種が変わるごとに賃金体系の変化が生まれるため、ジョブローテーションや転勤の辞令などが難しくなる。
<対社会>
現行の賃金体系では、たとえば20年のベテランと新人では給与に大きな違いがある。だが今後は、この2人が同じ給与になる。この場合、企業としては人件費を抑えるためにベテランの賃金を引き下げ、できるだけ低い水準で賃金を設定するようになる可能性が高い。つまり、かなり多くの人が現在の給与より下がるということだ。年齢給を当てにした将来設計ができなくなることで不安が広がり、消費意欲を減退させるといった悪影響も考えられる。
逆に、年齢給がない=その会社に長くいる意味がなくなるため、人材の流動性が高まるともいえる。
■自分の生き方、日本の雇用のあり方を考える、またとないチャンス
上記2点についてはあらゆるメディアでニュースが報じられ、また議論もされているが、その他にも、待遇差があった場合に雇用者側・労働者側のどちらに説明責任があるのか、同業他社で同一労働の場合の賃金差は解消しなくていいのかなど、問題は山積している。
現時点では、同一労働同一賃金の実現に向けて越えなければならない壁は高く、可能性も限りなく低い。しかし、仕事や雇用について真剣に考えるきっかけになったという意味では、とても意義深いのではないだろうか。同一労働同一賃金にこだわるのではなく、ここを出発点にして新しい取り組みや考え方が生まれることに期待したい。
記事制作/宮本 雪
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