ほんの少し前までは眠りに落ちた赤ん坊のように慎重に扱われていた話題が、トップリーダーの発言をきっかけにして盛んに語られるようになった。

 

「(2017年は)働き方改革、断行の年にする」「先頭に立って、働き方の根っこにある文化を変えてほしい」――。1月5日に開かれた経済3団体(経団連経済同友会日本商工会議所)の新年祝賀パーティーで、安倍晋三首相は居並ぶ大企業の経営者へそう呼びかけた。

 

年明け早々から、「働き方改革」は今年を象徴する言葉になった感がある。ここ数年間、副業解禁や在宅・時短勤務、雇用形態に依らないキャリア開発といったテーマで取り上げられる国内企業の顔ぶれは限られていた。しかし最近では、名だたる大企業から続々と働き方改革の話題が発信されている。HR(人事領域や人材業界)関連のニュースサイトやオウンドメディアでは、リンダ・グラットン教授の『ライフ・シフト』と日本人の働き方を結びつけた論考が毎日のように語られる。

 

これからを生きる現役世代の個人は、こうした潮流とどのように向き合っていくべきなのか。そもそも、向き合っていかざるを得ない問題なのか。そうだとすれば、今どのようなアクションを起こすべきなのか。

 

この連載は、どちらかといえば働き方改革が叫ばれる世の中に「もやもや」を感じ、取るべきアクションが見つからないと感じる人に向けて書いていきたいと思う。なぜなら、筆者自身がこの話題にずっともやもやするものを感じていたからだ。

 

確実に訪れる『ライフ・シフト』的な世の中と、それを肯定する自分

このコラムの筆者である僕は、「働き方」を主なテーマとして取材を重ねているフリーランス・ライターの一人だ。『Business Nomad Journal』をはじめとしたメディアにおいて、これからの働き方を提言する識者からさまざまな話を聞いてきた。話を進めやすくするために、ここ最近の例を挙げてみたい。

 

【”人生三毛作・二足のわらじ”を生きる】前編―「副業禁止規定」が企業の生産性を落とす A.T.カーニー日本法人会長 梅澤高明氏
https://nomad-journal.jp/archives/1352

 

テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』のレギュラーコメンテーターとしても活躍する梅澤高明さんは、健康寿命の長期化や産業盛衰サイクルの加速、社会保障問題を踏まえて、「相当数の人が人生の中で二度、三度の大胆なキャリアチェンジをしなければ日本社会が成り立たなくなる」と指摘する。

 

【2026年のワークスタイル】第3回:「副業」→「複業」→「福業」へ―10年後のワークスタイル・スタンダードを探る 八子知礼氏
https://nomad-journal.jp/archives/964

 

2012年の著書『モバイルクラウド』(中経出版)でテクノロジーの進化がもたらす新たな働き方を予見していた八子知礼さんは、「サブとしての『副業』ではなく、メインとサブの関係にある『複業』でもなく、仕事も家庭も子育てもすべてメインとして取り組み幸せになる『福業』の考え方が新たなスタンダード」になると語った。

 

両者の考えは、まさに『ライフ・シフト』で語られた未来の生き方に通じる。学び、働き、定年後を穏やかに過ごすという3ステージの人生モデルは、僕たちが迎える未来においては再現できないのかもしれない。そこでは大企業に勤めることが必ずしも安定を意味するわけではなく、終身雇用を期待することも難しい。実際に働き方改革が進行していく世の中で、僕自身はさまざまな人に教えを乞いながらも、基本的には、それを肯定的に受け止めている。

 

フリーランスはすでに「働き方改革」を実感している

なぜ、「安定して生きる」というこれまでの常識が崩れさっていく状況を肯定的に受け止められるのか(あるいは、受け止めているつもりでいられるのか)。それは、僕自身がフリーランスという働き方をしているからだろう。

 

会社員と違い、フリーランスで十分な収入を得ていくためには、複数企業と関わりながらプロジェクト単位で成果を出していくことが必要だ。時間や場所の制約を受けずに働ける一方で、仕事を成し遂げるためのプロセスを見て評価してもらえることはほとんどない。

 

僕が名刺に「ライター」という肩書きを刷ることも、意味があるようでない。国家資格があるわけでもないし、企業は「名刺にライターと書いてあるから(ちゃんとした)ライターなのだ」とは考えない。クライアントのニーズによっては職種にとらわれない働きが必要になることもある。このあたりは、連載が進む中でもう少し詳しく書いていきたい。

 

また、フリーランスとして生きていれば、副業・複業を並立させていることが当たり前であり、自らの裁量で時間と場所を選んで働くことも当たり前だ。ずっと同じ仕事をしていられる保証はどこにもないが、逆に「60歳になったら引退しよう」とも考えていない。70歳、あるいは80歳を過ぎても、形を変えながら仕事で成果を出せるように努めていくのだろう。そう考えると、働き方改革という旗印のもとに目指している社会のありようも、『ライフ・シフト』で語られている世界観も、すでに我が身で実感していることなのだ。

 

フリーランスの理屈と、会社員の正義

「それはフリーランスだから言えることだよ。誰しもが対応できるわけではないよ」

 

会社員の知人と話しているときに、このように指摘されることがしばしばある。それがこの話題に対する僕の「もやもや」の一因でもある。

 

伝統的な縦社会や派閥論理によるしがらみ。あるいは組織都合に縛られて望む仕事ができない現状。そうした悩みや愚痴を聞いていると、つい口にしてしまうのだ。「他人は他人、自分は自分でしょ」「会社にバレないように副業を始める方法もあるんだから、新しいことを始めてみればいい」「イヤなら、会社を辞めればいいのに」……。

 

冷静に考えてみれば、それが個人で好き勝手に生きている人間の暴論だということはよく分かる。僕自身もかつて10年以上にわたり会社員をしていた。世の中が変わっていく中で自身がなかなか変われないもどかしさも感じていた。当時の自分がそんなことを言われたら、腹を立てて耳をふさいでいたと思う。フリーランスが正しいと信じる理屈を持っているのと同様に、組織に属している会社員にもゆずれない正義があるのだ。当然のことながら、自分がやりたいように振る舞っているだけでは組織で成果を出すことなどできない。

 

株式用語に「ポジショントーク」という言葉がある。市場関係者が自身に有利な状況を作るため、市場心理を揺さぶるような発言をすることを指す。転じて最近では、ネットを中心に「それはあなたの立場だから言えることでしょ」と揶揄する意味で使われる。浅はかに放つ僕の言葉は、さしずめ「フリーランスのポジショントーク」といったところだろうか。

 

とは言え、世の中の変化に対応していくための働き方改革が待ったなしで進められようとしているのは事実だ。2017年にはきっと多くの大企業が「副業容認」を宣言するだろう。時間や場所にとらわれない働き方も広がっていく。同時に、それらを管理・運営していくために生じる企業と個人の問題も、よりクローズアップされていくのではないか。だとすれば、個人は何となくもやもやした状態のままでいるべきではないだろう。

 

僕自身の体験がそのまま誰かの参考になるとは思わない。しかし、ある程度の期間会社員として働き、今はフリーランスとして生きている人間が、何をどのように生かして現在にたどり着いたのか、そんな情報を発信していくことには価値があるかもしれない。なるべくリアルな情報を伝えながら、単なるポジショントークを超えた言葉を伝えられるよう、この連載を続けていきたいと思う。

ライター:多田 慎介

フリーランス・ライター。1983年、石川県金沢市生まれ。大学中退後に求人広告代理店へアルバイトとして入社し、転職サイトなどを扱う法人営業職や営業マネジャー職に従事。編集プロダクション勤務を経て、2015年よりフリーランスとして活動。個人の働き方やキャリア形成、企業の採用コンテンツ、マーケティング手法などをテーマに取材・執筆を重ねている。