就寝時に着用し、体が疲れを癒そうとする働きを助ける「リカバリーウェア」。トレーニングや栄養とともに「良質な休養」を求めるアスリートの間で広がり、昨今ではビジネスパーソンにも愛用者が増え、海外市場への展開も進んでいます。これを開発したのが、株式会社ベネクス代表取締役の中村太一さんです。

 

もともとは介護用品を製造する企業としてスタートしたというベネクス。新たな市場を作ることができたきっかけは何だったのでしょうか。中村さんの起業家としての歩みを伺いながら、その秘密に迫ります。

ラグビーでの怪我をきっかけに「より未来を楽しめる道」を選ぶように

Q:中村さんは社会人3年目で起業を果たしていますが、もともと独立志向を持っていたのですか?

中村太一氏(以下、中村氏):

そうですね。10代の頃から「独立して、自分で商売をする」ということを考えていました。

私は「事業家一族」で育ったんです。家族や親戚は皆、独自に商売を展開していました。祖父は不動産業や再生タイヤの事業など時代に求められるビジネスを作ってきた人ですし、妹夫婦も起業して訪日外国人観光客に対するマーケティングを手掛けています。私も、子どもの頃から「将来は独立して自分で商売をするんだ」と当たり前のように考えていました。

Q:そうした考え方はどのように育まれていったのでしょう?

中村氏:

両親も同じく起業家で、サラリーマン気質はまったくありませんでした。「未来は自分の描いた通りに変わっていくものだ」と教えられて育ったんです。

 

もう一つ、中学1年から続けていたラグビーでの経験も自分に大きな影響を与えました。高校時代に、試合中のアクシデントで脳に損傷を受け、スポーツそのものができなくなってしまったんです。これはいわば、私の死生観を変える出来事でした。ずっとラグビーを続けられると思っていたのに、一発のタックルによる怪我でできなくなってしまった。「人生では思いもよらないことが起きるんだ」と知ったんです。

 

それからは、後悔するような行動は取りたくないと強く考えるようになりました。日々を精一杯生きなければならないと。いろいろな人生の選択肢がある中で、「より未来を楽しめる道」を選ぶようになっていきましたね。この道を選んだほうが面白いと思うなら、そっちを選ぶ。大学時代の就職活動もその延長で取り組んでいました。起業のための経験値を積みたくて、「3年間だけ働けるところ」を探していたんです。ただ下働きをするのではなく、若手もある程度の決裁権を持つことができ、事業の本質に携われるようなところがあれば最高だな、と。

「100人に1人しか入れない施設」をアピールして入居者募集を軌道に乗せる

Q:なかなかハードルの高そうな就職活動ですね。「3年で辞める」というのは、面接の場でも話していたんですか?

中村氏:

はい。そんな思いを受け入れてくれるところはなかなかありませんでしたが、介護付有料老人ホームの運営とコンサルティングを行う会社に入ることができました。2000年代はじめの頃、介護保険制度ができて民間事業者が参入し始めたタイミングでした。その会社は介護業界をコンサルティングするために、自社で実際に運営してノウハウを蓄積しようとしていたんです。

 

「コンサルタント」がどんなことをする仕事なのか、全然知りませんでしたが、現場に出て決裁権を持てるということで、私の希望に合っていました。

Q:当時はどのような仕事を担当していたのですか?

中村氏:

ヘルパーの資格を取って介護の実務を経験し、その後は主に入居者募集を担当していました。当時はまだ介護保険制度が走り始めたばかりで、高額な入居費や月々の費用はなかなか受け入れられませんでしたね。利用者の方々はもちろん、ケアプランを作成するケアマネジャーにも理解されづらい事業でした。既存の施設と何が違うのか、差別化要素を作る必要がありました。

 

「そんな高いところに入るのは100人に1人くらいだよ」と言われたこともあります。そこで逆手を取り、「100人に1人しか入れない施設」だということをアピールしました。現役時代には高級外車に乗っていたような元弁護士や元医師、元校長先生といった富裕層に的を絞って開拓したんです。そうした人たちが集まるとステータスが近く、互いに気が合って施設が良い雰囲気になっていくという効果もありました。やがて「富裕層が多く集まる施設」という評判が広がり、入居者募集が順調に進むようになっていきました。

 

もちろん、コンサルティング会社なので事前の市場調査は綿密に行っていました。しかし本当にベネフィットを与えられる相手がどんな人なのかは、現場でしか分からなかった。「事業を学ぶ」という観点で、非常に良い経験をさせてもらったと思います。

画期的な商品を開発しても売れなかった、厳しい創業初期

Q:起業につながった事業のヒントも、この頃にあったそうですね。

中村氏:

介護の現場では、寝たきりの方の「床ずれ」を防止することが課題になっていました。ひどいケースでは、骨が見えるくらいにまで肉が腐ってしまうんです。高齢者は代謝が落ちているため再生する力が弱く、感染症の原因になることもあります。シーツのしわで、わずかな段差ができるだけで床ずれになってしまう方もいました。

 

これを防止するためには体位変換が重要です。同じところに圧力がかからないよう、定期的に寝返りを打たせてあげないといけないんです。しかしギリギリの人員で運営する現場では、すべての入居者に対応しきれない現実もありました。そこで、「道具によって床ずれ予防ができればどんなにいいだろうか」と考え、床ずれ予防マットを開発したんです。これを広げていくため、起業してベネクスを設立しました。

Q:学生時代から思い描いていたように、独立して自分自身で商売を手がけることになったのですね。

中村氏:

「3年働きたい」と言って入社した会社を、結局は2年半で辞め、挑戦しました。開発にあたって重要視したのは、床ずれをケアするだけではなく、予防性能も持たせるということ。自律神経の働きが血液循環に大きく関わっているという事実に注目して、現在のリカバリーウェアにも使われている「PHT特殊機能繊維」を開発しました。

 

しかしこの床ずれ予防マットが不発で……。高コストの商品に対して、ニーズはあるものの、お金を出してくれる人がいなかったんです。必要性は分かっていても、値段を聞くと下を向いてしまう。一般家庭が介護にかける支出というのは膨大で、家計からどんどん持ち出す厳しい状況の方が多かったんですね。そこで「10万円のマットを買いませんか?」と言われても難しい。介護施設も「いかにコストを削減するか」を日々考えているわけで、商品自体を差別化できても売れないという状況でした。

 

私を含め、創業メンバー3人で動き始めたのですが、自社製品が売れないので他社製品の営業代行をやって何とか売上を作っていました。借り入れもどんどん膨らんでいって。あの頃は本当にきつかったですね。

アスリートから好評を得て、一般個人向けの癒し分野へ拡大

Q:その状況から現在の「リカバリーウェア」の展開まで、どのようにして状況を変えていったのですか?

中村氏:

PHT特殊機能繊維を使って、介護の現場で働く人の疲れを取るためのケアウェアを作っていました。あるスポーツ関係者の知人から「アスリートは疲労がたまって、体がボロボロなんだよ」という話を聞き、「ケアウェアをスポーツ業界に応用できるのではないか」と考えるようになったんです。自律神経の働きに注目した休養時専用のリカバリーウェアというアイデアが生まれた瞬間ですね。

 

科学的根拠を得て確かな商品を作るため、東海大学や神奈川県とともに産学公連携事業として開発を進めていきました。

Q:介護業界からスポーツ業界へ対象を変えたとはいえ、高コストの商品であることは変わらないわけですよね? どのようにして販路を広げていったのですか?

中村氏:

最初は大手フィットネスクラブのゴールドジムさんが「試しにやってみようか」と言ってくれたことがきっかけでした。実際に商品を提供してみると、ジムのトレーナーなど専門家からの評判がすこぶる良かったんです。我々自身も「え、そうなんですか?」と驚くほどの反響で。

 

アスリートのトレーニングに関して、運動や栄養に関しての知見は世の中にたくさんありました。専門家は十分にそこを突き詰めているので、なかなか差がつかない。そこで「休養」での差別化を考えている人が多かったんです。実際にリカバリーウェアを着て寝ることでトレーニング後の筋肉痛が軽減され、超回復を助けて運動・栄養・休養の好循環を早く回していける。これが新たな価値となりました。

Q:そこから快進撃が始まるわけですね。

中村氏:

はい。どんどん引き合いが増え、社内も慌ただしくなり、「事業っぽく」なっていきました(笑)。他の大手フィットネスジムでもどんどん導入され、そのうちに百貨店でも取り扱いが始まるようになって、爆発的にご注文をいただきました。

Q:それなりの単価の商品が、アスリートだけでなく一般個人にも売れるようになったというのが驚きです。

中村氏:

実際には、大して高い買い物でもないんですよ。リカバリーウェア1着が1万円だとしても、マッサージ2回分くらいの値段です。1着で5年くらいは使えるように設計しているので、長い目で見ればむしろ安い買い物だとも言える。家に帰って、寝るときに着ればいいだけなので、忙しいビジネスパーソンの時間を奪うこともありません。スポーツから広がり、癒しの分野にも展開できたのは、この手軽さがあったからだと思います。

 

百貨店ではメンズ向けのスポーツ用品コーナーで取り扱ってもらい、仕事上のストレスを抱える40代、50代のビジネスパーソンをどんどん取り込んでいきました。「しっかり眠れるから、肉体だけでなく精神の疲れも癒される」。そんな声をいただき、癒し需要が世の中にたくさんあることを知りました。「働く人の疲労」は、今や社会問題化しています。でもそれを癒すための有効な手立ては少ない。そこにダイレクトに解決策を提供できることも、リカバリーウェアの価値となっていきました。

「リカバリーマネジメント」の重要性を発信し続けていく

Q:他にはない価値を提供する商品を生み出し、実際に支持を集めることができた要因は何だとお考えですか?

中村氏:

疲労回復についての研究は、この会社規模にしてはかなり予算を割いて続けています。ヘルスケアビジネス推進を目的に産学官医の協働プラットフォームとして立ち上がった「健康科学ビジネス推進機構」にも加わり、「自社調べ」だけではないエビデンス、論文に基づいたエビデンスを下地にして商品改良を続けています。

 

素材だけではなく、形も進化しているんですよ。オンタイムで着る服は横に縫い目が付いているものですが、休むときにはそれが邪魔になってしまいます。そこでリカバリーウェアでは、縫い目の位置を前のほうにずらすという工夫も取り入れています。「休むときの服」を真剣に考えたからこそ、こうした細かい工夫ができているのだと思います。

Q:現在では国内だけではなく、海外への進出も積極的に進めていますね。

中村氏:

そうですね。研究開発担当の役員を筆頭に、ドイツの大学とも連携して通年で研究開発を続けています。ドイツにおいては、継続的な研究のために政府予算を得ることもできました。現地に100パーセント子会社を置いて、積極的に展開しているところです。

 

水泳のドイツ代表選手が使ってくれるようになり、コンディションが向上して世界新記録を出すという結果にもつながりました。現在では水泳ナショナルチーム全体でも導入してもらっています。

Q:まさに活躍の場が広がっているところかと思いますが、今後の展望についてもぜひ教えてください。

中村氏:

第一線のアスリートへ「休養の重要性」を啓発していくとともに、それを一般消費者向けにもどんどん広げていきたいと思っています。直近ではドラッグストアでも展開を始めました。エグゼクティブ層や女性、クリエイターなど、対象をセグメントしながら個別の癒しを提案していければと考えています。

 

「疲れからのリカバリーを自分自身でマネジメントする」ことは、健康長寿を実現して前向きにキャリアを積んでいくために、これからのビジネスパーソンに欠かせないポイントだと思うんです。しかしその重要性は、まだまだ広まっていません。一方、私の地元である神奈川県では積極的な啓発を進めていて、黒岩祐治知事の肝煎りで「未病産業」の育成を図っています。企業の福利厚生策の一貫として購入してもらえるケースも増えていますね。

 

私自身もこうした事例をこれまで以上に発信しながら、「世界のリカバリー市場を創造し、そこに関わるすべての人を元気にする」という理念の実現に向けて、全力で取り組んでいきたいと思います。

 

取材・記事作成:多田 慎介

中村 太一

株式会社ベネクス代表取締役。1980年6月、神奈川県小田原市生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。コンサルティング会社で介護付有料老人ホームの運営や入居者募集を手掛けた後、2005年9月にベネクスを設立。
東海大学や神奈川県との産学公連携事業により休養時専用のリカバリーウェアを開発し、国内のみならず海外にも展開している。ドイツで開催される世界最大級の国際スポーツ用品専門見本市「ISPO」アジアンプロダクト部門では、日本企業初の金賞を受賞。