昨年10月24日の午後2時38分、何千ものアイスランド女性が職場を離れ、首都レイキャビクの広場に集まりました。

なぜこの日のこの時刻

2時38分という時刻は、午後5時の終業時刻の2時間22分前で、9時~5時勤務から30%を差し引いた時刻となります。そして30%は、アイスランドの男女の平均年収のギャップです。言い換えれば、アイスランドでは男性が1ドル稼ぐのに対して、女性の稼ぎは72セントであることを示しています。彼女たちがこの行動で訴えているのは「もし自分が男だったら、この時刻にすでに支払いを受けているのだから、午後の残りの時間は就業せず、変更を要求する」というものなのです。

この日、午後2時38分に保母さんが去ってしまう幼稚園に子供を迎えに来た父親の一人は「不便ではあるけれど、将来のためにも妻はより良いサラリーを受け取るべきだ」と女性たちのデモを後押しする発言をしています。
もし米国女性が同じようなデモをするなら、彼女たちは午後2時12分、韓国の女性たちなら12時36分、パキスタンの女性たちは午前10時50分に職場を離れなければならないことになります。ちなみに日本は、韓国より少し状態がよいくらいですので、せいぜい午後1時前くらいの終業といったところでしょうか。

アイスランド女性のデモの歴史

アイスランドの女性権利団体や労働組合は、これまでにもこのようなデモを組織してきました。2010年10月24日に女性たちが終業したのは、午後2時25分、その10年前の2005年10月24日には午後2時08分でした。こうして見ると、アイスランドの男性給与に対する女性の給与は少しずつでも上昇してきているのですが、2016年には11年前より30分遅くなっただけ。このペースで行くと、男女平等を完全に確立できるのは、なんと2068年ということになります。

しかしアイスランドの女性たちのデモの始まりは、もっと昔のことです。1975年10月24日、アイスランド女性の90%が、男女平等の権利を訴えるストライキを起こしました。英国BBCがその詳細を記録しています。
この日以来、アイスランドではこの日は「女性の休日」として知られるようになりました。同国最初の女性大統領ヴィグディス・フィンボガドゥティル氏はこれを、女性解放の貴重な分岐点と見なしています。

その日、学校や保育園、銀行、工場、一部の店舗が閉鎖され、多くの父親が子供を職場へ連れていかざるを得ませんでした。職場で子供たちを退屈させないために、お菓子や色鉛筆を手にする父親たちの姿があちこちで見られました。子供が食べやすいソーセージは即座に売り切れになったと言います。父親たちは今もこの日を「長い金曜日」と呼んでいるそうです。世界で最も男女格差の小さなアイスランドの女性たちは、41年後の同じ日にもこの広場に集まったのです。

フェミニズムの進む北欧

アイスランドでは、過去36年間のうちの20年間、女性大統領または女性首相が政権にありました。16年続いたヴィグディス氏の政権中、アイスランドの子供たちは、大統領は女性の仕事だと信じていたほどだそうです。アイスランドは、世界経済フォーラム(World Economic Forum)の2015年の性別ギャップ指数では世界第1位で、その後に北欧諸国のノルウェー、フィンランド、スウェーデンを従えています。それでもアイスランドは、同じ仕事に対する男女の給与差をなくすことができないでいます。もちろんほかの国と比べれば状況は格段によいのですが。

この報告書は、過去数年間、男女間の経済的平等への世界的な進展ペースがむしろ後退していることも示しています。このままでは、ギャップが無くなるのに170年はかかるのだそうです。
母親と父親のための十分な有給休暇や、州補助の育児金など、男女格差をなくそうとする多くのアイスランド政府の政策にもかかわらず、この国の男女格差が続いているのは不思議でもあります。
平等までの道のりは非常に長いもので、連邦労働連合会長のギュルヴィ・アムヨンソン氏は「この目標を達成するために50年も待つことは容認できない」と語っています。

企業に課された新しい義務

アイスランドではこの春、企業の法的義務として、男女間の賃金に差がある理由を説明しなければならないという法律ができました。この新しい法律の目標は、32万3000人を超える同国の男女の賃金格差を縮小することです。

男女の賃金格差は雇用者の差別の結果で、この法律はそれを明らかにするのかもしれません。しかし理由は別のところにあるとも考えられます。たとえば、母親が未婚女性よりも少ない収入を得て、父親が未婚男性以上の収入を得ている理由を説明するのは簡単です。給与差別は実は両親自身によってつくり出されており、赤ん坊の出産後彼らの生活が変わったからだとも言えるのです。

男女が同じ仕事をしても女性の給与が低いのなら、雇用者は女性だけを雇った方が得だという議論もできます。1960年代に実際にそれを実行した英国のITパイオニア、ディム・ステファニー・シャーリー氏の例もあります。彼女は女性プログラマー、特に子どもを持ったプログラマーを雇い、そのビジネスは大繁栄したのです。

まとめ

北欧のデモクラシーがこれだけ進んでいても、男女格差を取り除けないのは不思議なことですが、アイスランド女性たちのコンスタントな戦いを見ると、この行動があったからこその達成度だと納得させられます。

議論だけで男女の平等を訴えても、行動が伴わなければ、女性給与を男性並みに近づけることはまず無理でしょう。上記の調査で日本は現在世界101位ですが、現状を変えたいならば大多数の女性が一致して活動しなければなりません。

記事制作/シャヴィット・コハヴ (Shavit Kokhav)

ノマドジャーナル編集部
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