another life.×サーキュレーション インタビュー特集。
ビジネスノマド特集第2弾は、エンジェル投資家・スタートアップ支援として活動されている三木寛文さんです。
創業期のころのグリーに参画した後、会社が成長し、ステージが変わると次々と優秀な人材が入社してきます。その中での自分の強みの見出しとそこへの集中、そうしてエンジェル投資家として活動されるまでの経緯が語られています。
大学受験に就職活動、節目の選択で常に挫折
私は、東京の下町で生まれ、小学2年生から埼玉県で育ちました。
小学生の頃は勉強も運動もひどい成績で、まったく自分に自信が持てない生活を送っていました。ただ、中学校に入った最初の持久走大会で、女子生徒全学年がゴール地点で応援していることに男子として危機感を覚え、毎朝早朝練習を頑張った結果なんと上位入賞。努力すれば何でも勝てることを学び、その後も常に挫折と努力を繰り返すも、なんとか中学を卒業する頃には学校でも生徒会などで目立てる存在になれました。しかし、高校になると県内トップクラスの進学校に入学できたものの、またもや成績は下の方。それでも、努力すれば目標が実現できることを既に学んでいたのと、男子校だったので女子の目も気にせずにマイペースで自由闊達な生活を送っていました。
将来については、元々、親がネックレスを作る職人をしていたこともあって商売は身近にあり、漠然と商学部や経営学部に進もうと考えていました。ところが、学校の仲間と一緒に毎日学校に居残って早稲田大学を目指すも一人だけ不合格。浪人生活が始まった頃に、先に入学した友人の華やかな学生生活を聞いて悔しくて眠れなくなり、入学してからやりたいことをとにかく全部ノートに書き出すようになりました。
そんな背景もあったため、大学はとにかく毎日アグレッシブにやりたいことを一つ一つ実現。最初は約15以上のサークルに参加し、アルバイトは短期のものも含めて100種類ぐらいは経験、バックパッカーとして海外の辺境地にも毎年積極的に行っていました。特に、アイセックという学生団体では企業と一緒にイベントを行う機会が多く、その中で起業家の方のお話をたくさん伺い、私自身もベンチャーマインドに感化されていきました。中でも、最も有名だったベンチャー三銃士の一人だったパソナの南部社長の「迷ったらやれ!!」という言葉は、その後の自分の行動に大きな指針になりました。
また、サークル活動をきっかけに知り合った商社のベンチャーキャピタルでインターンなどもしていました。その会社では、日本にまだ存在しないサービスやモノ、店舗を保有する会社に投資して、海外から日本に誘致するような投資/支援活動を現場で見ることで、これまでに無い新しい価値を提供することで世の中にインパクトを与える姿に、とても強い憧れを抱くようになりました。
その後、就職活動ではインターン時代の影響もあって総合商社への志望一筋で選考に望みました。ところが、結果は全滅に終わってしまったんです。英語も話せないし体育会出身でもない私は、だいたい最終面接までは進むもののそこで不採用に。志望業界を完全に絞って就職活動をしていたので、ショックは大きくて、悔しさにしばらく寝込んでしまうほどでした。
結局、友人の紹介で受けていた旅行代理店のJTBだけ内定し、まあ人気企業だからいいかという理由で、卒業後はそのまま就職しました。
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エンジェル投資家兼スタートアップのアドバイザーとして、インターネット/ヘルスケア/教育などの領域を中心に、スタートアップ支援や事業サポートを数多く手掛ける。
専門家と1時間相談できるサービスOpen Researchを介して、企業の課題を手軽に解決します。業界リサーチから経営相談、新規事業のブレストまで幅広い形の事例を情報発信していきます。