経営者や有識者の方々がどのようなキャリアを歩まれ、どのような人や書籍から影響を受けてきたのか、知見・経験の循環についてのインタビューです。

今回登場するのは、大室正志氏。ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社統括産業医(以下J&J)を経て、現在は同友会春日クリニック産業保健部門に在籍し、フリーランスのように約28社の企業の産業医を務めておられます。ソーシャル経済ニュースサービスNewsPicksが選んだ「プロピッカー」としても活躍されています。

こうした働き方にたどり着くまでに、どのようなキャリアを築いてこられたのでしょうか? 産業医のキャリアとは?

いきなりジョンソン・エンド・ジョンソンの統括産業医という大チャンス

-まず、産業医の道を選ばれたのは、どんな経緯があったのでしょうか。

大室正志氏(以下、大室):

大学時代は、産業医と精神科医のどちらになるか迷っていました。僕が卒業した産業医科大学は、産業医を養成する大学。しかし実際のところ専属の産業医になるのは2,3割程度で、臨床医に進む道もありました。ですが、学生時代からビジネス誌なんかもよく読んでいたりと、医学的な知識とビジネスを掛け合わせた医者の活動にひかれていました。

どうやら僕は落ち着きがないほうなので、開業医のように一カ所にとどまる働き方は向いてないなと思った。その点、産業医は、幅広い企業のビジネススタイルから世の中を見ることができます。最近はメンタルヘルスの問題が半分を占めるので、結果的には精神科医との折衷案になりましたね。

医師免許を取った後は、東京での研修病院勤務を経て、その後また大学に戻り産業医学の研究や実務に2年間従事しました。この産業医を養成するプログラムはちょっと変わっていて、MBAのようなケーススタディー。例えば、「A社とB社が合併したときに安全衛生の面で問題になるのはどんな点か」といったケースにどう対処するかなどのディスカッションをしたりします。こうした経験で「臨床医ではなく産業医ならどう考えるか」という感覚が自然とできたのかもしれません。

2年目の秋ごろ就職先を探していたとき、偶然、人づてにジョンソン・エンド・ジョンソンが専属の産業医を初めて募集することを知り、担当者に会ってみたんです。

それでそのまま決まってしまったので、「就活」というかんじではありませんでした。

産業医の専属義務は「事業所ごと」に課せられています。つまり法的にはどんなに大企業でも999人以下の事業所だけでは、専属産業医は必要ないんです。J&Jの場合分社化していた会社がオフィス統合をして専属義務が生まれたということでした。

従業員が10万人以上もいるような大企業では専属産業医は数十名いるとこもありますので、当然最初は「雑巾がけ」。もちろん体系的に色々指導してもらえるメリットはありますが、経営者が直接話ができるような統括産業医になるのは結構先のこと。

つまり「ひな壇から司会者への道のりは長い」ということです(笑)。

だけど、最近の大企業では当然専属産業医を雇用しており、「初めての専属産業医」という募集はあまり聞かない。しかも外資はポジションに対して「年齢の若さ」で色々言われる確率は相対的には低そう。「面白そうだな」と思いました。

結果的に30歳くらいの若手が最初から統括産業医というポジションでしたから、ラッキーだったのかもしれません。

医療界と企業の「利害の調整役」。産業医ならではの「センス」とは?

-産業医として学ばれてきた知見やスキルは、普通の医者の世界で学ぶものとは違っているのでしょうか。

大室:

産業医には、「利害の調整役」という側面があります。医師は2つの治療法を「5年生存率」で比べるなど、定量的なものの見方には慣れています。しかし本来「労働と健康」は「単位の違うもの」。「健康経営」という考え方もあるように、中長期的にはこの2つの価値観が統合されることが望ましい。しかし短期的な事例をみると過重労働など利益相反をおこすこともあります。

つまり企業は利益追求と同時に社員の健康管理や社会的責任といった、「同じ尺度で測れないもの」を同時に考えなくてはいけないわけです。この時重要なのはどちらが正しくて、どちらかが間違っているというような極端な「善悪の2元論」ではなく「丁度いいバランスを考える」という態度。こうしたセンスが産業医にも問われるんじゃないでしょうか。

医者は、専門の世界へ閉じていきがちですが、産業医は逆に開いていく必要があるので、マインドセットの向き不向きはあるでしょう。実際、臨床医としては非常に優秀な方でも人事や保健師と衝突して辞めてしまった例も少なくありません。

大震災。経営陣を含むクライシスマネジメントチームにて、経営目線を培う

-統括産業医としてのキャリアを通じて、新しいスキルをどのように培っていったのでしょうか。

大室:

若くから経営者の意思決定プロセスに入りこめたことで、経営目線を培えたのがよかったと思っています。産業医は、従業員を相手にする個別対応スキルと、集団を相手にする組織対応スキルの両方が求められます。前者は毎日の業務の中でも磨くことができますが、後者のスキルを身につける機会は統括産業医ですらそう多くはありません。

幸か不幸か、僕は「震災直後の緊急対応」というイレギュラーな場面で、後者のような組織対応について考える機会を得ました。

震災後J&Jでは急きょクライシスマネジメントチームが設置され、メンバーは役員全員と、広報、危機管理の担当者、そして僕でした。

当時、ジョンソン・エンド・ジョンソンでは外科手術に使用する糸や機器など多くの商品が世界中から福島県のセンターに集まっていました。また1部は製造も行うなど、福島は一大物流製造拠点だったんです。ここは原発から55kmと近かったですし、地震の被害も大きかった地域。放射線の影響や、社員の心身のケアなど、医学的な視点も必要だと考えられたんだと思います。

当時は情報が錯そうしており、毎日政府発表をメンバーと聞きながら様々な対応に迫られました。東京と福島を何度も行き来し、様々な個別の議題にどう対応すべきか、産業医としての意見を求められました。US本国からは工場を閉鎖すべきかどうかは当然聞かれますし、どういう判断をするにも「適切な根拠」が求められます。またある程度は理屈で説明がつきやすい「安全面」を考える一方で不安な社員に対し、会社としてどうメッセージを伝えるかという「安心面」にも配慮しなければいけない。

またJ&Jの商品の多くはその分野でかなりのシェアを占めていましたから、ここを閉鎖するということは、大きく言えば日本の医療(特に手術)にも影響を及ぼします。「安全と安心」に配慮しつつ、「医療会社としての社会的責任」もあるという中での判断が求められるんです。結果的に多くの企業が他の地域に避難する中、J&Jでは様々な事象を総合的に判断し、福島にとどまって操業継続の道を選びました。

ありがたいことに年齢ではなくポジションで人を見る会社だったので、若い自分でも統括産業医としての意見を尊重してもらえました。その分責任は感じましたが。またこれだけ経営会議に出席していると、役員クラスともその後もいろいろと相談を受けるような間柄になれましたし、今振り返ると、これが一皮むけた経験だったかもしれません。

-その後はどのようなキャリアを歩んでこられましたか。

大室:

統括産業医として5年勤務したタイミングで、一区切りつけようとJ&Jを退職しました。外資系企業は人事担当者が頻繁に転職することもあって、退職してしばらくすると古巣でも「知らない人だらけ」になりがち。ただ、裏返せば、他の色んな会社に知り合いがいるということでもあります。こうした人事のネットワークが広がり、ありがたいことにその紹介での引き合いも増えてきました。やはりお世話になった方々とのつながりは大事だと思います。

現在は健診人間ドックの大手、医療法人同友会の産業医部門に籍を置きつつ、28社の企業で産業医をしていますので、所属はあるものの世間でいう「フリーランス」に近い働き方かもしれません。メンタルヘルス関連の相談が1番多いですが、それ以外にも例えば、従業員の平均年齢が高い組織だと有病率が上がるので、抗がん剤治療と就業をどう両立していくかなどの、就業規則には当てはまらないケースの相談を受けることもあります。

あとは、昔からベンチャー経営者の友人が多いこともあり、成長して従業員が増えたベンチャーからの依頼も最近増えてきています。なぜかスタートアップ界隈の方々とは気が合うんですよ。私の初対面での距離の詰め方がベンチャーっぽいからですかね(笑)

産業医の道を究める?露出を増やす? 今後の「芸風」について

-今後目指されている方向性について教えてください。

大室:

もう少しこのままの体制を続けるのか、または現在メディアで連載を持たせてもらっていますが、このようなマスコミの露出を増やすことで見えてくる世界もあるかもしれない(ないかもしれないけど)。もしくは、ヘルスケアのベンチャーから医療系サービス開発の相談を個人的に受けることが増えているので、ベンチャーと組んで新しい何かをするという道もあるかもしれませんね。

つまり、今後の芸風についてはちょっと迷い中です(笑)。ただ、やはりメインは独立産業医としてのチームでの事務所の開設(いわゆるファーム)が中長期的な目標でしょうか。

ただその一方、皆と比べて「自分はやりたいことがそんなにないんじゃないか」とも感じています。好奇心はそれなりに旺盛なので、「来た球」は割と打っていくタイプなんですが…。ですので、「自分が何をしたくないか」だけは明確にするようにしています。

例えば、医学部入学当時からすでに、「白い巨塔のような世界」は多分自分には居心地がよくないと感じていたので、そういう世界からはひたすら逃走してきました(笑)。

やりたいことを見つけるのは簡単ではないですが、「何をしたくないか」で消去法にしていけば、逆説的に「自分」が見えてくることもありますし。またその方が少なくともストレスは少ないんじゃないかと思います。

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読書の仕方も一風変わっている大室氏は、これまで、どんな本に親しんできたのでしょうか。「痛本(いたほん)」から時代を読むという驚きの読書術をお届けします!


ノマドジャーナル編集部

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