今回は、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社で統括産業医を務め、現在もベンチャーから大企業まで様々な業態、業種の企業で産業医をされている大室正志氏に、組織の課題、人事の課題をどう見抜いてきたのかについてお話を伺いました。一社で定年まで勤め上げるという職業観が変化し、複数のキャリアを並行して歩んでいく道が登場する中、メンタルヘルスの問題は今も重く組織にのしかかっています。
個人や組織はどんな点に注意していけば、メンタルヘルスの課題を乗り越えられるのでしょうか? 大室氏の処方箋に注目です。
「実は問題を抱えた組織」を見抜くには?―経営者はチューニングを続ける覚悟で―
-大室さんは様々な業態、業種の企業で、人事の課題の相談を受けているかと思いますが、各社の雰囲気を知るために、どのような観点で企業を見ているのでしょうか。
大室正志氏(以下、大室):
会社の雰囲気を知る際は、最初に組織図を見せてもらうようにしています。そして仲良くなった人事の方などには、こっそり「社員のキャラの濃さ」を聞いたりします。例えば、トップ層のキャラは良くも悪くもバランスがとれているのに、良く言えば「トンがった社員」悪く言うと「言いたいことを言い過ぎる社員」は子会社に出向している。そんな会社だったら、「自分を抑えること」が求められるカルチャーなのかなと考えたりします。あ、この会社はあまりキャラが濃いと出世できないんだ!」みたいな。逆にベンチャーだと、トップからキャラが濃い順になっていますが(笑)
そんなところから社風を推測してみたります。ただこの例は「レントゲン写真」位の参考所見。当たり前ですが、1つの情報で社風が分かるほど組織は単純ではありません。例えば人の性格を考える際にも、「どういう家庭に育ったか」が重要な要素であるように、会社のストレスのあり方を考える産業医にとっても、どういう組織で働いているかは重要な情報です。ですので産業医が個別の社員だけでなく、組織にも興味を持つのは自然な行為と言えるかもしれません。
-そういうところに目をつけられるんですね! 表側からは優良企業に見えても、実は問題を抱えている組織の共通点ってありますか。
大室:
50~150名規模に成長した企業だと、最初から在籍していた立ち上げ社員がある種の抵抗勢力になるケースが多いんです。イケイケのベンチャーや日本に入ってきたばかりの外資系では、ひたすら成長を追うべきフェーズなので、第一線にはガッツがウリみたいな営業の方や何でも1人でやってしまうパワーのある社員が必要になります。ところが、そうした会社が大きくなるにつれ、当然初期のようにお互い「あ・うんの呼吸」のみではできない場面が増える。それで色々と「仕組み」ができてきます。初期メンバーからすれば「面倒くさくなってきたなぁ」ってなりますし、一方新しく入社された方々は「ちゃんとした会社」を期待しているわけで、逆に「仕組み」がないと不安になります。このような時期に一旦メンタル不調が増える印象です。私見ですが。
急成長中の企業は、傍目では「いい会社」であっても、当の本人たちは入社年次によるカルチャーとか、経歴とか、業務配分とかメンバーの様々なギャップが存在し、戸惑いが生まれる時期だということになると思います。
組織は常に動いているので、一定の仕組みを入れたらはい完了という感じではなく、常に微調整が求められるのではないでしょうか。経営陣はこうした小さな揺らぎに対し、こまめにチューニングする覚悟が必要です。サーカスで玉乗りをしている人は止まっているように見えてもかなりのバランス感覚や筋力を使います。同じように、「仕組みがうまくまわっている」ということは一見普通に見えて結構大変なことなんじゃないかなと思います。
単に自分が職業柄「バランスを崩した状態」を多くみる機会があるので特にそう感じるせいかもしれませんが。
「あの人、管理職に向いてますかね?」 産業医によせられるたくさんの相談
-経営陣から組織の課題について相談を受けることもありますよね。ベンチャーの役員クラスとか。これまででインパクトの大きかった相談はどんなテーマでしたか。
大室:
インパクトというか、「あ、こんなことも聞かれるんだな」と思ったのは、「あの人は管理職に向いてると思いますか?」とか「あの人はなぜああ言う言い方しかできないでしょうか?」みたいな相談でしょうか。相談していただけるのはありがたいですが、もちろん産業医の職責を越えた質問です。ただそう杓子定規に断るのもなぁと思いながら私見と断った上で、あまり決めつけない程度のお話をすることもありますが。
また産業医としてはやはり自傷行為絡みの相談はいつも緊張します。実は社員の自殺未遂はそう珍しい話でもないんです(実際は軽度のリストカット、大量服薬が1番多いですが)。産業医なら何度も経験しているのではないでしょうか。こんな時、主治医は、その子が家に引きこもるとかえって危ないと懸念して出社を勧めることも多いんです。もちろん気持ちはわかりますが、産業医の立場からすると、就業中に万一のことがあったら、その会社が安全配慮義務違反になってしまいますし、まずはその社員に休みを取ってもらうよう伝える必要があります。「責任回避的」と取られてしまいそうですが、やはり産業医としてはこういった判断をせざる得ないことを主治医にもお伝えします。休職の必要性や主治医との連携。場合によってはご家族との連携など「できることはする」のですが、社員に対し「耳障りのよいこと」だけを言えば良いという立場でもないんですね。正直それで産業医に悪印象を持たれることもありますし。苦しいところです。
ただ経験上思うのは組織の中でみんなが「いい人」になろうとした瞬間に、一番悪いことが起きてしまう。だから、状況をしっかり判断したうえで、メンタルが不安定な社員に対して、ある種言いづらいことをきちんと伝えることも産業医の役割だと思っています。
会社への帰属意識が強い社員ほど大きい絶望感―働き方の「オルタナティブ」が必要な時代に―
-サーキュレーションでは、会社と個人との雇用のあり方を模索しています。一社に雇用されているからこそ、個人の中に、組織に対する期待とのずれや不満が生じている例が多いのではないかと思っています。その点についてはどう考えておられますか。
大室:
いま労務系の弁護士や他の産業医と一緒に、判例を勉強する会を定期的にやっているんですが、そこで感じた興味深い傾向があります。例えばメンタル不調の社員と会社との裁判事例。たしかに、「弁護士に相談する」という行為は、実感としても外資系の社員の方が多い印象です。しかし、それと「裁判をすること」は別です。転職が前提の外資系では、裁判をしたという「評判のリスク」を考えて、実際に裁判を起こす例はそう多くないんです。ある意味ドライで合理的判断をする方の多い外資だからこそ裁判事例は少ない。
メンタル不調者で会社の責任をめぐって裁判にまで発展するケースは、例えば大手家電メーカーの地方の大規模工場など「大手企業の地方子会社」で起きていることが多いんです。地方だと、同程度の待遇の会社も近くにはほぼない。これは転職イコールかなりの待遇低下を意味しますから、定年まで勤務するつもりの方が多い。住宅ローンがあったり、家族があったりするとその傾向はますます強まります。
その会社に入れた方は恵まれていると自分も周囲も思っています。だけどこれ、裏返すと「逃げ場がない」とも言えるんですね。だから「会社との良い関係」の時はいいんですが、いざメンタル不調を起こしたりとその関係の「バランスが崩れた時」が問題です。待遇が良いので、どんなに辛くとも「辞める」という決断ができない。本来は「体調以上に大事なものはない」のに、優先順位を見誤ってしまいやすい構造です。
会社への帰属意識が強く、会社に全幅の信頼を寄せていた社員のほうが、裏切られたときの絶望感はとてつもなく大きい。「窮鼠猫を噛む」という言葉もありますが、「追いつめられた」と感じたときにこそ、訴訟になってしまうことが多い。
メンタル不調を減らすには、個人の「物の受け止め方を変えること」ももちろん重要です。一方こうした個人の受け取り方だけではどうにもならない現実があるというのが沢山の休職者と接してみた実感です。
そんな「現実」に対し、市場価格と社内価格があっている人は有事に強い。メンタル不調の場合も、会社や上司とのマッチングの問題の場合は、転職するしないは別にして、「まあ最悪辞められる」という構えの方の方が悪化しにくいというというのも事実なんですね。(もちろん急性期にはそんなこと考える余裕はありません。今後復職や転職を考える程度に回復していることが前提ですが)
一つの組織に属せる安心感というのも確かにあると思います。また仕事に関わらず、キャリア形成の中で「一所懸命」が重要な時期もあると思います。ただ、どのようなキャリアを歩むにせよ、世間での自分の相場を知っておき、今いる会社で「これは自分だけでは解決できないなぁ」とういう問題が生じたときに、「逃げる」という選択肢を持てるかどうかが「心の安定」に寄与するのではないでしょうか。
この「安定」を得るために必要なことは、身も蓋もない言い方をすると、一人一人が市場価格を上げて、市場価格≧社内価格になる状態をつくりだすということなんですね。
産業医をしていると色々な企業の就業規則を読む機会が多いんですが、いつも思うのはこれ、「健康な成人男性のために定められたもの」だなぁということ。もちろん軍隊のように同質性の高い人間が集まったほうが成果の出る場合もありますし、企業ごと「あり方」に正解はありません。
例えば製造業のライン作業など、出社することが大前提。基本的に稼働時間に比例して成果が上がります。このような比較的分かりやすい運営できる形態もあります。しかし先進国では産業の中心がサービス業、知識産業にシフトしてきている中で、あまりに硬直化した労働形態だけではむしろ弊害が多くなっている傾向があるように思います。産業医の分野でも正社員ならフルコミットで働くか、もし難しければ休職するか。一見当たり前に見えますが、抗ガン剤治療で週2日程度しか出社するのはきついけど、それでも会社に貢献できる社員がいることも事実です。既存の労働形態だけでなく、オルタナティブな就業形態が生まれ、個人の働き方に選択肢が増えることは、「社会の複雑性」に対応するための良い流れなのではないかと思います。またそのようなフレキシブルな働き方を認めることが、中長期的にはビジネス面でのプラスになる部分も多いのではないかと個人的には思っています。
本の要約サイト フライヤーのインタビューはこちらから!
読書の仕方も一風変わっている大室氏は、これまで、どんな本に親しんできたのでしょうか。「痛本(いたほん)」から時代を読むという驚きの読書術をお届けします!
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