知られざるビジネスノマドの働き方。

ファッション流通コンサルタントとして、今年でビジネスノマド歴12年となる斉藤孝浩氏による、「ビジネスノマドの働き方」コラムです。インディペンデント・コントラクター(IC)協会の理事長としても多くの「新しい働き方」の事例を目にしてきた斉藤氏。
これからビジネスノマドとして自立し、そして独立しながらどう働くかについて実体験をベースにコラム連載いただきます。

第1話は仕事観と人生設計です。どのようなキャリア設計をして独立に至ったのでしょうか?斉藤氏を一例としていただければと思います。

ファッション流通コンサルタントとして、独立12年。
5社で同時に働くビジネスノマド

はじめまして ファッション流通コンサルタントの斉藤孝浩と申します。2004年、38歳で独立してから今年で12年目になります。 独立以来、特定の会社に雇われることもなく、従業員を雇うこともなく、フリーエージェントのビジネスノマドとして仕事をしています。

契約先は常時、平均5社です。 これまでに東証1部上場企業を含む合計20社を超える企業と期間限定の業務委託契約を結んで仕事をしてきました。

当コラムが、すでに独立されている方、独立を決心された方、将来独立を考えている方、独立まではいかなくてもプロの誇りを持って働きたいと考えている方、そして自分の仕事が好きな方、それぞれが楽しく仕事をするための気づき、ヒントになればと思います。

仕事観に影響を及ぼすロールモデルの存在:
アパレル業界は業務請負人が多い業界のひとつ

自分の仕事観に影響を及ぼしたロールモデル(お手本)は誰だったかを振り返って考えたことはありますか?
自分のこれまでの働き方や将来どうするかを考える時に、この「原点」なくしては語ることはできません。

そう聞かれて偉大な経営者である松下幸之助氏、スティーブジョブス氏、孫正義氏などのビッグネームを挙げる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、本当のロールモデルはもっと身近にいたはずです。父、母、兄姉、親せき、学校や習いごと
の先生、先輩、勤務先の上司、経営者から一緒に仕事をしたお取引先や協業パートナーの方々まで・・・是非思い出してみて下さい。

高校時代から海外で仕事をする商社マンになることを夢見た私は、大学卒業後、希望通り商社に入社するとアパレル部門に配属され商品企画と商品調達のために海外を飛び回ります。その後、消費者に近づきたくて小売業に転職します。

アパレル業界は実に業務請負人が多い業界のひとつです。
商品企画、デザイン、パターンメイク(型紙作成)、ブランドプロモーションから販売まで、ものをつくって売るところまで企業勤務後独立した多くのプロに部分的にアウトソーシングするケースが多いのです。大きな企業でも短期でブランドを立ち上げ、軌道に乗せたいというプロジェクトが次々に立ち上がるからでしょう。
商社勤務時代からプロジェクト単位で多くの業務委託パートナーと協業をさせていただいたものでした。

その中で今でも忘れられない尊敬するプロが2人います
ひとりは小さなブランドプランニング会社の社長さん、もうひとりは同じく小さなパターンメイク会社の社長さんです。
ふたりに共通していたのは・・・
多くの企業が必要とする専門性を持ち、人にわかりやすく教えることができる説得力があり、業界と会社の将来に対してヴィジョンを持っていたことです。

自分が独立して生業と決めたアパレル小売業支援の仕事は決して偶然の成り行きでも自分ひとりで切り開いたわけでもなく、彼らロールモデルが見せてくれた背中が大きく影響をしていることは間違いありません。
これまで転職にしても、独立にしても、自分のキャリアを変えるにあたってハードルの高さを感じなかったことも、その先の自分の姿のイメージを持てたことも、尊敬するロールモデルの存在のおかげだと思っています。

是非、みなさんの身近なロールモデルの存在と仕事観への影響を振り返ってみて下さい

仕事人生の半分(=40歳)までは修業を積み、折り返し地点からは自分のペースでバリバリ働く

社会に出たら、いずれは独立すると考えたのはいくつかのきっかけがありますが、ひとつは夫婦家族経営ながら家業のインテリアショップで商売人の背中を見せてくれた父の影響に間違いありません。

そして、最も刺激を受けたのは大学三年次に聴講したアントレプレナーシップ(起業家精神)の授業でした。起業家精神が新しい社会をつくる、独立しても企業内起業であっても、その革新的なスピリットが成熟社会を活性化するというもので、アメリカの起業事例や理論が紹介されていました。

40歳で独立すると心に決めたのはこのころです。まずは憧れていた商社マンになる、そして、40歳までしっかり働いて経験を積み、独立すると。

なぜ40歳かというと、根拠は定かではありませんが、当時、自分が働くことができるのは60歳くらいまでだろうと勝手に思い込んでいた節があり、それでは50代で独立しても時間的にも体力的にも遅いのではないか?思い切り仕事ができる期間が極めて限られるのではないかと思ったからです。

そして仕事人生の半分=40歳までは企業でしっかり修業を積み、折り返し地点からは自分の城を築いて自分のペースでバリバリ働こうと決めたのです

その後、こちらも何の影響か定かではありませんが、40歳で独立後10数年はしっかり稼ぎ、50代半ばで一旦セミリタイヤして2年間の世界旅行に出る。海外を見聞し、滞在中に残りの人生を死ぬまで没頭できる、続けることができるライフワークを見つけ、帰国後に新しい仕事としてスタートするというプランを思いつきます。

また、独立してからセミリタイヤするまでの間、50歳までに仕事の集大成となる本を出版するという目標も作りました。

仕事人生は長期ヴィジョンで考え、逆算して行動に移す

20代に立てた「40歳で独立、50歳で出版、55歳でセミリタイヤして海外へ、2年後に帰国し再起業、自分の体力と気力が続くまで続けることができる仕事をする」という人生設計。

こういった10年単位でマイルストーンを置く長期ヴィジョンというものは、実は、ずいぶん先の話なので、無責任に立てることができるものなのです。特に自分の責任範疇の話であればなおさらです。

しかしながら、これらのプランは、38歳で独立、48歳で初出版と、それぞれ2年前倒しで実現しました。時には夢のように楽しく、時には自分への言い聞かせとして、親しい知人に日頃から、あるいは酒を飲む度に語り続ける行動をとることで・・・「運」が自分の近くを通る時に気づく感受性が養われ、「縁」を引き寄せる磁力が生まれたおかげだと思っています。

夢は大きく、そしてゴールから逆算して・・・であればこれから数年間、何をすべきかを考える。そうすると また違った視界が開けるものです。

第2話は「40歳で独立!」の正当性、サラリーマン時代の仕事と向き合う姿勢についてお話します。

専門家:斉藤 孝浩(インディペンデント・コントラクター:独立業務請負人) 
グローバルなアパレル商品調達からローカルな店舗運営まで、ファッション業界で豊富な実務経験を持つファッション流通コンサルタント。大手商社、輸入卸、アパレル専門店などに勤務時代、在庫過多に苦労した実体験をバネにファッション専門店の在庫最適化のための在庫コントロールの独自ノウハウを体系化。成長段階にある新興企業からの業務構築や人材育成のコンサルなど、これまでに20社以上の企業を支援。
著書に「人気店はバーゲンセールに頼らない(中央公論新社)」や「ユニクロ対ZARA(日本経済新聞出版社)」がある。本業の傍ら、独立業務請負人の働き方の普及を目指すNPOインディペンデント・コントラクター(IC)協会の第3代理事長も務める。有限会社ディマンドワークス代表

ノマドジャーナル編集部
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