首都圏への人口・商業施設の集中からの脱却を図る「地方創生」が叫ばれる中、地方の企業はどのように先代からの伝統を引き継ぎながら、新たな事業展開を図っているのでしょうか?そこで、北海道札幌市に住む筆者が北海道の企業の社長に「地方創生」について伺っていきます。
北海道3つ目のプロスポーツチームといえば、バスケットボールのレバンガ北海道。最初はレラカムイ北海道としてスタートしたチームですが、その創設期からチームを支えているのが折茂武彦さんです。一選手から日本球技プロチーム史上初の代表兼選手へ……その過程の生みの苦しみについて伺いました。
トヨタの企業チームからプロチームへ。企業チームとプロチームは雲泥の差
Q:折茂さんは学生時代・企業チームを通じて首都圏で活躍されていましたが、2007年にレラカムイ北海道設立と同時に移籍されてきました。
折茂 武彦氏(以下、折茂)
「北海道へは試合や合宿で来る程度でしたから、縁もゆかりもありませんでした。ただ、同期の東野(智弥)がチームを率いるということで『北海道に来てほしい』とお願いされて、北海道に来ました。あとは、純粋にプロのバスケットボールチームを経験してみたかったというのも大きいですね。
トヨタ自動車は大きな母体があっての企業チームなので、自分の肩書は『会社員』なんです。入社当初こそ会社の仕事もしていましたが、その後は契約選手だったのでそのほとんどの時間をバスケットボールに費やしているのに、職業欄に『会社員』と書くことに違和感があって……。それで、『プロバスケットボール選手』と堂々と書ける立場を選びました。家族や周りからは大反対でしたけど(笑)」
Q:企業チームとプロチームはどのように違うのですか?
折茂:
「まさに雲泥の差でしたね。企業チームは、自前の体育館があってすべてのおぜん立てを母体がしてくれます。給与面での安定があり、遅延はありえませんよね。引退しても、希望すればその会社に残れるわけです。でも、プロのチームは母体がないので、興行収入とスポンサー料で賄わなければいけません。社宅もなければ練習場所もない、すべて自分たちでやることになります。しかも北海道は移動距離がすごいので、ホームなのにアウェイにいるような感じでした」
プロチームの経営に直面。北海道に来てバスケットボールをやる目的が変わった
Q:その折茂さんが2011年に代表兼選手になるわけですが……。
折茂:
「プロのバスケットボールチームの経営の厳しさはある程度覚悟していたのですが、ここまで大変だとは思いませんでした(笑)。その年にレラカムイの経営母体がJBLから除名されて存続の危機になったわけですが、北海道に来てから意識が変わっていたんですよね。それまでは、『自分のためのバスケットボール』だったんです。誰かのためにバスケットボールをしようなんて思いもしませんでした。でも、レラカムイのホーム開幕戦に数千人というお客さんが集まってくれたわけです。
企業チーム時代では考えられない歓迎ぶりでした。そのとき初めて、『レラカムイというチームは北海道の方々に支えられている』ということを痛感して、応援してくれる方々のためにプレーしようという気持ちになったんです。選手としてというより、人間として成長させてくれたのが、ここ北海道です。なので、自分が『北海道のために』このチームを大きくしていこうと思って、一般社団法人を設立して理事長に就任しました。そのときにチーム名もレバンガ北海道に変えました」
Q:実際、初めて運営に携わってみていかがでしたか?
折茂:
「運営をするということは、会社のお金の流れが全部見えるということなんです。正直、申し訳ない気持ちになりました。というのも、私はそれなりの年俸でチームに所属していたので、この人件費のかかり方であれば設備や投資に回せないなと…。一選手の時に上層部にいろいろと助言していたのですが、これは物理的に無理だったことなんだなとわかりました。
そこからはある意味、地獄のような日々でしたね。スポンサーは10社ほどつきましたが、一般社団法人ということで金融機関からの援助も限界があります。そこで、自分の貯金に頼るしかないわけです。自分の時間がないこともストレスになっていましたし。これはもうお手上げかな、というタイミングで株式会社に切り替えたんです」
《後編へ続く》
取材・撮影/橋場了吾(株式会社アールアンドアール)
写真提供・株式会社北海道バスケットボールクラブ
1970(昭和45)年、東京都出身。NBL所属のプロバスケットボールチーム・レバンガ北海道の代表兼選手。
日本大学時代にインカレ優勝、卒業後トヨタ自動車でタイトルを多数獲得、全日本チームにも選抜される。
2007(平成19)年、レラカムイ北海道設立と同時に移籍。
2011(平成23)年に一般社団法人北海道総合スポーツクラブを設立し理事長に就任、
チーム名をレバンガ北海道に変更。
2013年(平成25)年に運営権を株式会社北海道バスケットボールクラブに委譲し、代表取締役に就任。
同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。
STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。
現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。
北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。
専門家と1時間相談できるサービスOpen Researchを介して、企業の課題を手軽に解決します。業界リサーチから経営相談、新規事業のブレストまで幅広い形の事例を情報発信していきます。