リクルートディー・エヌ・エーで新規事業開発に関わった経験を生かし、独立コンサルタントとして活躍している津島越朗氏。豊富な実践ノウハウを生かし、さまざまな企業の事業開発・マーケティング支援にハンズオンで取り組んでいます。

 

津島さんの実践力のルーツはどこにあるのでしょうか。そのキャリアと、今後の展望について伺いました。

「戦闘力最強」のプロジェクトリーダーとして支援

Q:「東風津梁」という社名がとてもユニークですね。これはどのように読むのでしょうか?

津島越朗氏(以下、津島):

「とうぷうしんりょう」と読みます。「東風」は世界の極東、つまり日本から吹かせる風を指しています。「津梁」とは物事の橋渡しとなる手立てのこと。日本発の事業を世界へ広げていきたいという思いを込めて名付けました。

Q:現在はどのような事業を展開されているのですか?

津島:

新規事業立ち上げのコンサルティングや、マーケティング戦略・既存サービスのグロースハックにまつわる支援を行っています。今はこれが全体の9割ぐらいですね。さまざまな企業の新規事業案件を支援しているところです。

 

どちらかというとレガシーな産業にスポットを当てて、ITの力で未来へつなげたいと考えています。日進月歩でテクノロジーが進化しているのに、相変わらず10年前、20年前と同じようなモデルで動いている業界も多いんですよ。「なぜITが入っていないのか」という本質的な課題をつかみ、ハンズオンで関わることによって、イノベーションを起こしていきたいと考えています。

Q:「ハンズオン」のスタイルを大切にされているのですね。

津島:

そうですね。私はディー・エヌ・エーの子会社社長を務めていた経験があるので「上流工程ばかりやっていた」と勘違いされがちなんですが、ユーザー調査やインタビューを直接やったり、サイトのデザインカンプを自分で手掛けたり、フロントエンジニアが足りないときは自分でプログラムを書いたりと、積極的に手を動かすようにしています。

 

特に新規事業では、「基本的に人が足りない」という状況があります。チームの中で自分が一番いいアウトプットを出すつもりで、戦闘力の高いプロジェクトリーダーとして機能できるよう心がけていますね。メンバーとも真剣勝負です。自分が良いアウトプットを出さないと価値がない。どんな立場だろうとここからは逃げられない。そんな思いで関わっています。

大物へのインターン経験から見つけた目標

Q:津島さんが独立されるまでのキャリアについても伺えればと思います。どのような経験が、現在のスタイルや事業につながっているのでしょうか?

津島:

話は学生時代にまでさかのぼるのですが……。在学中にいろいろな場所で、今で言うところの「インターン」を経験しました。当時はまだそんな言葉は医療業界でしか使われていなくて、「書生」や「カバン持ち」と言ったほうが通じましたね。

 

いろいろなご縁があって、世界的に有名な指揮者の小澤征爾さんの付き人兼運転手を務めたり、市議会議員の秘書のようなことをしたりと、かなり貴重な経験を積ませてもらいました。当時から社会に出るからには活躍したいと思っていましたが、「将来何になるの?」と問われてもうまく答えられない、そんな学生。せめて、各界で活躍している人の近くにいて、その考え方を学びたいと思っていました。

 

そんな中で、とあるIT会社のインターンにも参加したんです。そこの社長は高卒で頑張っている人だったんですが、流暢な英語を話してビジネスを進めていたんですね。その姿に刺激を受け、大学卒業後は就職活動をせずに留学することにしました。

Q:アメリカに渡ったことがリクルート入社のきっかけだと伺いました。

津島:

はい。実は、私が秘書見習いとしてお世話になった市議会議員がリクルート出身の人だったんです。この人のリクルートにまつわる話がとても痛快で、かつリクルートという企業の厳しさがよく分かりました。これといって目標もない自分は、厳しい環境に身を置く必要がある。そう思って、いつしかリクルートを志望するようになったんです。

 

とは言うもののアメリカへ渡ってしまっていたので、通常の新卒採用ルートには乗れませんでした。そんな中で、偶然リクルートがサンフランシスコで採用説明会を開いていることを知ったんです。説明会に潜り込んで、採用してもらうことができました。

Q:津島さんの心をとらえた「リクルートのすごさ」とは、どんなことだったのでしょうか?

津島:

これはリクルートの出身者や、入社後に出会った仲間から感じたのですが、とにかく「当事者意識」が尋常ではありませんでしたね。サラリーマンとしてまずまずの給与をもらって、安穏と過ごしてしていてもおかしくないはずなのに、一つひとつの事業や仕事を「自分ごと」化して全力でぶつかっていく人が集まっているんですよ。

 

なぜそこまで、会社を自分ごと化して本気でぶつかれるのか? アメリカにはない考え方でした。普通の会社には、そんな人材は2パーセントもいればいいほうではないでしょうか。それが当時のリクルートは、3分の1ぐらいがそんな人で占められていたように思います。

納得できるまでは、相手が経営者でも引かない

Q:入社後はどのようなミッションを持っていたのですか?

津島:

最初は大阪に配属され、アルバイト領域の求人広告営業としてキャリアをスタートしました。ビルの上から下までをすべて回る、いわゆる「ビル倒し」の飛び込み営業もたくさんやりましたね。入社半年後からは正社員領域を経験して知見を深め、4年目から東京へ異動し、マーケティングや新規事業に携わるようになりました。

Q:どのような新規事業を担当されていたのでしょう?

津島:

「リクルートドクターズキャリア」(当時)という、医師や看護師の斡旋サービスを担当しました。当時はまだこの領域のサービスは珍しく、どうやって医師に登録してもらうのか、試行錯誤を続けていましたね。

 

年収が高い医師の斡旋サービスは採用決定時の単価が高いことに加え、非常勤やスポット(健康診断などに対応)の需要を開拓できたこともあり、案件数を急拡大させることができました。順調にサービスが成長し、現在も続いています。

 

リクルートには6年半在籍いたのですが、「やっぱりグローバルに挑戦したい」という思いがふつふつと湧いてきて、ディー・エヌ・エーに移りました。

Q:ディー・エヌ・エー時代に手掛けた案件に関しても伺いたいです。

津島:

「モバゲー」を海外展開するためにサンフランシスコへ駐在したり、遺伝子検査の「MYCODE」という新規事業を南場智子社長とともに展開したりと、ここでも貴重な経験を積みました。

 

南場さんとともに取り組んだ新規事業開発は、激論の日々でしたね。細部の色合いなど、「正直、そこは下に任せてほしいなぁ」と思うことにも絶対に妥協しない人です。私もサービスに対する自分なりの考え方と思い入れがあったし、相手がいくら南場さんだったとしても、彼女も間違うこともあるんだからと考え、引かずに激論しました。

Q:経営者と激論ができるということは、それだけ裁量が与えられているということでもあるのですね。

津島:

そうですね。当時の私は「摩擦を恐れない」というポリシーを持っていて、それを入社時からディー・エヌ・エーが受け入れてくれたんです。

 

「誰が言ったか」ではなく、「こと」で決める会社。ミーティングには発言責任があり、「発言しない人は次から参加しなくていいよ」と言われてしまう文化です。経営者や経営陣も判断に誤ることはあるから、積極的に発言して正してほしい、ということですね。なので、上位者を恐れることなく思ったことをずけずけと言っていました。激論になっても、私自身が一定の確からしさや根拠を確信できるようになるまでは、どんな人が相手でも妥協しませんでしたね。

日本に「新たな起業の選択肢」を提示したい

Q:先ほどの「摩擦を恐れない」というポリシーもそうですが、なぜそのように強くなれたのでしょうか?

津島:

実はリクルート時代に、いかにもサラリーマン的な動きで妥協したことが何度かあったんです。振り返ってみると、「その時間の過ごし方はとてももったいなかったな」と。

 

安全な場所で仕事をしている限りは自分も他人も傷つかないのでしょうが、そのやり方で自分は何を得られただろうか? 上司に合わせた結果、事業はどうなったんだろうか? そう考えてみると、自分が得たものは特になかったし、事業としても、私が主張していたことを競合がやってうまくいったことは何度もあったんですね。その反省から、相手の気持ちや立場を考えながらも、やはり必要だと思う場面での摩擦は恐れないようにすることにしました。

 

誰かに合わせて無難に過ごすことを否定するわけではないのですが、それは年を取ってからでも十分できると思うんですよ。少なくとも20代・30代のうちは、全力で動こうと決意したんです。

Q:現在もさまざまな企業に関わり、経営に参画されていますが、今後はどのような展望をお持ちでしょうか?

津島:

事業承継に関わること、特に「後継者と企業のマッチング」を手掛けたいと思っています。大企業でくすぶっているような優秀な人材と、後継者を探している企業の橋渡しをする事業ですね。

 

現状の日本では、大企業にいい人材が集まりすぎているように思います。仕組みが完成している大企業の日々のルーティンに、そこまで優秀な人ばかり必要なのか? そこに疑問を持っています。起業といえば「0→1」か「フランチャイズ」、あるいは「社内起業」しかありませんが、今後は「1→5」にするような新たな起業のあり方も必要になっていくと思うんですよ。すなわち、後継者がいない危機に陥っている会社へ優秀な人材が入り、第二の創業に向けて動かしていくパターンです。

 

地方には、素晴らしい技術力を持っているのに、後継者がいないことで廃業を余儀なくされている会社がたくさんあります。そこに優秀な人材が入っていくことで、グローバル化をはじめとした大きな変革を起こせるはず。「1→5」の新たな起業という選択肢を提示し、社会に大きなインパクトを与えるマッチングに挑戦していければと考えています。

 

取材・記事作成:多田 慎介

専門家:津島 越朗

東風津梁株式会社 代表取締役社長。法政大学卒業後、米国ワシントン州シアトルに留学。
株式会社リクルート(現リクルートホールディングス)や株式会社ディー・エヌ・エーでさまざまな新規事業開発に関わる。2014年、株式会社DeNAロケーションズ代表取締役就任。
2016年に新規事業開発・マーケティング戦略コンサルタントとして独立。