現代は働き方の多様化時代と言われています。日本特有の終身雇用や年功序列などの労働形態が崩れ始め、新しいタイプの働き方が出現してきています。
そこで、新企画「働き方の歴史」シリーズでは、日本が近代化の時代に入った江戸の末期から明治へ、そして大正・昭和を経て、平成時代に至るまでに、日本人の働き方がどのように変わってきたのかを、24回に渡っていろいろな角度から見ていきたいと思います。

初回である今回は、欧米の文化が少しずつ入って来た江戸末期に人々がどのように働いていたのか、そして明治・大正時代に入ると、その働き方がどのように変わっていったのかということに焦点を当てます。

江戸の末期〜自給自足の平和な時代〜

「皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない―これが恐らく、人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響をうけさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以(ゆえん)であるか、どうか、疑わしくなる。」(『日本滞在記』ハリス著 坂田精一訳 岩波文庫)」
これは、1856年に静岡県の下田に来航したアメリカの初代日本駐在総領事タウンゼント・ハリスの言葉ですが、ゆったりとした江戸時代の生活の様子が伝わってきます。ハリスが描写した通り、江戸は幕府により統治され領主により管轄された戦争のない平和な時代でした。そしてその平和の時代は、なんと260年もの長い間続いたのです。

人間の社会が発展するのは、人間が「欲しい」「見たい」「食べたい」などの「要求」を持ったときです。早く移動できる物が欲しかったので自動車が作られました。見知らぬところに行ってみたいという人が増えたので観光業が発展しました。異国の物を取り寄せたかったので貿易が始まりました。
けれども江戸時代は、鎖国で新しいものが入ってこなかったため、海外の影響を受けることが少なく、また、農業従事者が80%近くを占める農業国で、日本国内で自給自足の生活ができていました。そのため人々は欲望をあまり刺激されることなく、その時に手に入る物だけでゆったりとした働き方をし、生活を送っていたのです。

江戸時代末期における大変化〜商人の誕生〜

ところが江戸時代も末期に近づくと、黒船を初めとする欧米の貿易商人たちが海外からやって来るようになり正式な開港を求めてきました。こうした貿易商人たちは、当時すでにアジアの交易に従事していた「東インド会社」の関係者でしたから、日本への接近はその交易活動の一環だったのです。
アメリカからは、先に述べたハリスもそうですが、それよりも数年前の1853年にはアメリカの東インド艦隊司令官だったマシュー・ペリーが来航しました。そして、1858年には「日米修好通商条約」が締結し翌年の1856年には、長崎、横浜、箱館(現在の函館)が開港され、翌年には、兵庫、大阪が、そして翌々年には新潟、東京と開港が進み、長い間の鎖国に終止符が打たれたのです。

「開港・開国」は、政治的な意味だけでなく経済上においても、新時代の夜明けでした。開港によって、外国の商人たちは日本からいろいろなものを買い取りましたが、特に需要が多かったのが生糸で、横浜港から出荷されていました。生糸は繭から取り出された直後の産物で、絹糸の中でももっとも品質的に高いものでした。
この生糸の輸出のために、横浜港周辺には、生糸商人が集まりました。こうした商人達は生糸を生産していた農家の出身が大半で、取引の手数料で利益をあげることができたため、大きな資本も必要としませんでした。
働き方という面では、生糸の需要が伸びることにより、これまで田畑を耕すことだけに従事していた農家も副業として養蚕業に携わるようになりました。と、同時に、生糸の生産地であった東日本の各地から横浜港に生糸を運ぶための販路も整っていったのです。

また、外国から入って来たものとしては、綿織物や毛織物などが中心でした。これらの産物はイギリスの産業革命で起こった機械化によって作られたもので、高品質と低価格が売り物でした。特に綿織物は、それまで日本でも生産していたのですが、手工業によるもので、質も価格も外国から入って来た製品には打ち勝てず、それまであった綿畑も姿を消したのでした。

明治初期〜農業国から工業国へ〜

幕末に起きた経済の大きな変化に伴い、日本国内では、徳川政府に対する不満が募っていき、幕府は、やむ終えず、無血で権力を新しい勢力に受け渡しました。これが、いわゆる明治維新で、明治時代が始まったのです。

新しい時代が始まると、これまで見たことのない物、食べたことのない物、使ったことのない物など、新しいものが外国から驚くほどのスピードで入ってきました。人々の欲は刺激され、その欲を満たすために新しい産業がたくさん生まれました。一般的に言われる「近代化」の始まりです。
これは「文明開化」と呼ばれ、政府のあり方から一般庶民の生活様式まで、日本のすべてが西洋の影響を受け変わっていきました。鉄鋼業、造船業、鉄道、軍需産業、通信、教育、建設業、印刷業、郵便、洋裁など、ありとあらゆる分野にビジネチャンスが転がっていたわけです。

ビジネチャンスがあるということは大きな投資もできるということで、このチャンスを捕まえて多くの人が企業を創立しました。
例えば、1876年に創立した三井物産は様々な商品の貿易に携わりました。また、現在「ユニチカ」と呼ばれている「大日本紡績」は1889年に綿糸の製造を開始しました。現在、大企業といわれている会社は、この時期にできたものが少なくありません。
また、人々の働き方を見ると、多くの人が農業を離れ企業のために働く雇用形態に変わっていきました。こうして日本は、農業国から工業国へ発展していくことになります。

まとめ〜経済の発展が働き方を大きく変える〜

鎖国下での自給自足でゆったりと経済が動いていた江戸時代から、外国の文化と経済の影響を受けた刺激的な明治時代への変化。それは人々の生活を根底から変えるものでした。それにより、新しい産業が生まれ、人の働き方も変わっていきました。江戸から明治への変化は、日本の歴史上で最も大きな変化だったといっても過言ではないでしょう。
次回は、明治から大正の激動の時代について見ていきます。

記事制作/setsukotruong

ノマドジャーナル編集部
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