ここ数年、日本の自然や歴史的な遺産などが、相次いで世界遺産に登録されています。

日本人にとって嬉しいニュースであると同時に、実は、地方創生とも深く関わっている話題でもあります。世界遺産登録によって知名度が上がれば、国内はもちろん世界中から、多くの観光客を呼び込める可能性もあるからです。

 

今回は世界遺産登録と観光業の振興、地域の活性化について、じっくり考えてみたいと思います。

■世界遺産とは?

世界遺産とは、具体的にどういうものなのでしょうか?

百科事典では以下のように定義されています。

 

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づき、その条約締結国から提出されたリストのなかから、ユネスコ世界遺産委員会での審議を経て登録される、一国にとどまらず人類全体にとって貴重なかけがえのない財産(日本大百科全書(ニッポニカ)より)。

 

ここで重要なポイントとなるのは、「人類全体にとって」の財産が世界遺産に登録されるという点です。つまり、世界的に見て重要な文化的遺産、あるいは貴重な自然環境などが、世界遺産リストの対象となります。

(なお、世界遺産は基本的に不動産が対象となります。よって「法隆寺地域の仏教建造物」が世界遺産に登録されても、法隆寺所蔵の釈迦三尊像や玉虫厨子(たまむしのずし)などは、動産であるため世界遺産リストの対象にはなりません)

 

世界遺産に登録されれば、地域の知名度は爆発的に高まります。国内はもちろん、海外からも観光客を集めるチャンスとなり、地方創生の推進においても大きな意味を持つわけです。よって、候補になりうる「文化遺産」「自然遺産」を持つ自治体は、世界遺産への登録を目指して日々運動しているのです。

■「富岡製糸場」―ケタちがいの観光客に歓喜

それでは、これまで世界遺産に登録されたところでは、どのような変化が起きているのでしょうか。

 

実例のひとつとして、群馬県の「富岡製糸場」を詳しく見ていきましょう。

富岡製糸場は1872年、日本政府がフランスの先進技術を取り入れて作った製糸工場で、後に民間に払い下げられました。この製糸場は1987年に操業を停止するまで、日本の製糸技術の向上と、生糸の輸出による外貨の獲得に、大いに貢献しました。

また富岡製糸場は、日本の産業の礎となっただけでなく、世界の製糸技術の向上にも大きく寄与しました。こうした歴史的意義から、2014年に世界文化遺産として登録されたのです。なお、世界文化遺産においては「富岡製糸場と絹産業遺産群」の名称で、製糸場とその周辺にある養蚕(ようさん/注)関連の史跡が合わせて登録されています。

 

(注)養蚕……カイコ(蚕)を育てること。カイコの繭(まゆ)は生糸の原料となるため、養蚕は製糸産業の基礎となる。

 

では、世界遺産への登録により、どれくらいの観光客を呼び込むことができたのでしょうか。

富岡製糸場の入場者数の推移を見ると、その効果がよく分かります。

ユネスコ世界遺産の暫定リストに入った2006年度には、入場者数が10万人を超え、その次の年度からはコンスタントに20万人以上を記録しています。

そして、世界文化遺産に正式に登録された2014年度、入場者はなんと約133万人を数えたのです!

文字通り、世界遺産に登録された途端、ケタ違いの人が製糸場を訪れたことになります。

 

富岡製糸場の入場者数は、所在地である群馬県にも影響があるため、世界遺産登録によって群馬県の観光客数、観光収入も飛躍的に伸びたと考えられます。

と……、ここまで書くと、いいことずくめのように見えますよね。

しかし、そうウマい話ばかりではありません。富岡製糸場による地域振興は、前途洋々とはいえない面もあるのです。

■「世界遺産バブル」の崩壊

2014年度に133万人の入場者を記録した富岡製糸場ですが、その後は114万人(2015年度)、80万人(2016年度)と、急激に入場者が減っています。

 

なぜ、入場者がこんなに少なくなってしまったのでしょうか?

理由をひと言でいえば「世界遺産登録バブルがはじけた」ということでしょう。

世界遺産に選ばれれば、国内はもちろん、世界中で大々的に報道されます。その広告効果は、ゴールデンタイムのテレビCMや、ポータルサイトのバナー広告などの比ではありません。まさに世界中から「新たな世界遺産」をひと目見ようと人が押しかけたのです。

しかし……メディアはいつまでも「世界遺産登録」のニュースを流し続けてはくれません。入場者133万人(2014年度)というのは、まさに「世界遺産登録バブル」の恩恵であり、こんな数字がいつまでも続くはずがないのです。2年後(2016年度)に80万人に落ち込んだというのも、なんら不思議はなことではないのです。

 

富岡製糸場の今後には、他にも課題が山積しています。

まず文化遺産そのものの保存や修復が必要だという点です。老朽化が進んだ建造物は改修工事が必要な箇所が多く、現状では敷地全体の約3分の1しか公開されていません。また保存・修復にかかる莫大なコストや技術面の課題もついて回ります。

 

もうひとつは、産業遺産である富岡製糸場が、今後集客力をどれだけ維持できるかという問題があります。同製糸場はあくまで「明治前期の工場」であり、城や神社仏閣と比べると、歴史ロマンやビジュアル的なインパクトでは遠く及びません。「世界遺産バブル」の崩壊後、どの程度の集客が実現可能なのか、群馬県は慎重に見極めていく必要があるでしょう。

■持続可能な振興モデルを

こうした課題はあるものの、富岡製糸場の世界遺産登録は、群馬県の活性化において大きな意味を持っていることに変わりはありません。

地方創生の基本は「地方への人の流れを作り、経済を活性化させる」ことにあります。世界遺産登録によって「人(消費者)の流れ」はできたわけです。あとは、観光客を満足させるサービスが生まれ、新たな雇用の創出に繋げることができれば、「世界遺産登録」による地方創生が前進するはずです。

 

「世界遺産登録バブル」がはじけた今こそ、群馬県がいかにして地域活性化を実現するか、その手腕が問われています。

世界遺産登録を通じて、一過性のものではない、持続可能な地域振興モデルを生み出してこそ、真の地方創生を実現できるのです。

 

記事制作/欧州 力(おうしゅう りき)