小豆島(しょうどしま)は瀬戸内海に浮かぶ離島。人口約29000人、面積約150k㎡。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の大きさだ。オリーブ・醤油・そうめん・佃煮・ごま油などの生産が盛んで日本有数の名産地となっているほか、小説「二十四の瞳」の島としても知られる。近年、若者・子育て世代を中心に移住者が増加。年間300人という人口の約1%に当たる数が移住してきている。

 

首都圏への人口・商業施設の集中から脱却を図る「地方創生」が叫ばれる中、人気のある離島ではどのような地域づくりが行われているのだろうか?そこで、小豆島へ6年前に移住した筆者が、小豆島で活躍する企業・事業・人について取材・発信していく。

 

第8回は、土庄町総合型地域スポーツクラブ「小豆島スポーティーズ」事務局長の渡部勝之さんにお話しを伺いました。

大阪出身、プロバスケチームを経て、小豆島へ。

Q:渡部さんの歴史を教えてください。

大阪で生まれ育ち、仕事で高松に来て4年、島に来て4年目です。高松の時は、いわゆる田舎暮らしができていました。前職はファイブアローズというバスケットチーム。たまたま夏に小豆島にキャンプに来ていて「小豆島に住みたいな」と話していたら、家族の反応が良かった。当時子どもは小2と小5でした。小豆島に住んでいる人を紹介してもらい、たまたまハローワーク職員の仕事があり、たまたまいい家が見つかった。何なら釣りしてのんびりしようと思っていたので小豆島に来て2~3か月はおとなしくしていました。子どもが小豆島に来てからスポーツ少年団(以下スポ少)でバスケを始めて、コーチとして手伝う事になりました。そこで、色々な子どもに会ううちに、家庭の事情から小学生なのに自分ブレーキを踏んでしまっていた子に出会ったんです。バスケが大好きな小学生なのに「プロになりたいけど、(色々な事情で)なれない。」と言われたときに、大人の力で何ができるかを考え出しました。

俺らが公園になろう、と始めた「スポーツパーク」

Q:「スポーツパーク」の立ち上げのきっかけは?

たまたま見かけたSTEP運動教室のチラシを見て、面白そうだなと思い主催者に連絡を取りました。そこから、島で色々なスポーツの指導者たちで集まって飲もうという話になって、その2回目の飲み会の時に、「あそぶ場がない」ことで議論が白熱しました。

 

土地はいっぱいあるのに、あそぶ時間と子どもたちの遊ぶアイディアがなく、島であるのに島らしい事を制限するルールや雰囲気がある。また、スポ少は盛んだが、競技として始める前に、公園で友達とあそぶ中で好きになるという機会は少ない。だったら「俺らが公園になろう」と場づくりをするような発想が出て、「スポーツパーク」という概念がでてきたんです。2016年の1月にはじめてスポーツパークを開催した時には、スポーツ指導者が集まって子どもは参加費100円で遊べるようにしました。

 

「スポーツパーク」の発足メンバーは6人、その周りの仲良しの大人と、あとは野球部とバスケ部に所属している中学生と、サッカー部に所属している高校生が集まってくれて、小学生が80名集まった。50名くらいかと思っていたら80名来たので「これは必要なんや!」と、子どもより大人が盛り上がりました。大人が楽しくなってどんどん夢が膨らんだんです(笑)

みんなスポーツ指導や子育てに関わっているので、スポーツパークの1回目が終わった時点で、「ここから先、ビジネス上敵味方同士になったとしても続けよう」「100年先も教えない!あそぼうぜ!」と約束して、実行委員会形式にしました。

第2回を2016年6月に開催。小学生105名が参加しました。種目は、バスケ、野球、サッカー、ラグビー、鬼ごっこ、障害物トライアルと盛りだくさんで。この時、ボランティアを募集したら、なんと大阪や広島から知らない人が「面白そう」と思って来てくれた。スポーツ会社からも連絡をもらって「協賛します!」と言ってくれて。スポーツドリンクの粉末や暑さ対策のテントまでいただいて、暑い日だったので店長自ら水を買いに走ってくれて。地元の企業からも協賛がたくさん集まったのでTシャツを作りました。第1回に小学校6年生で参加した子が、第2回ではボランティアに回ってくれたりとか、そういうことも嬉しかったです。

第3回は、不得意分野であるテニスとバレーボールをやってみようという事になり、あとはサッカーのゴールに鍋をぶら下げたり、腕相撲をしたり、遊び要素を強くしました。この時の参加者が150名。島内の小学生の12%が参加するイベントとなった。ボランティアの人にリーダーになってもらって、ボランティアも、中学生、高校生、大人が集まっていて。お母さんからボランティアが出てきたのもこの時です。島らしい光景だなと思いましたね。

そこからは、4か月ごとに定期開催をしています。

結成!小豆島スポーティーズ!!

Q:そこからどのように「小豆島スポーティーズ」を発足したのですか?

ハローワークに勤めながらもスポーツには関わっていた中で、役場の職員の人と話していたら、ちょうど総合型地域スポーツクラブを立ち上げたいと役場も思っていたようで。それで、2016年10月に土庄町役場の嘱託職員となり、うまくいったら一般社団法人にしようと話をして、2017年7月に総合型地域スポーツクラブを立ち上げました。

合言葉は「トノショーチョースポーティー!」です。

 

役場内の各部署で色々な課題を見つけたり、民間で運動指導者や経営をマネジメントできる人に声をかけて、2016年11月に設立準備室を作り、2017年7月に土庄町総合型地域スポーツクラブ「小豆島スポーティーズ」を立ち上げました。

 

2060年には、データ上ではこの町の人口は5000人を切っている。それに対し土庄町の総合戦略プランでは、2060年に1万人で迎える。この戦略上にクラブはあり、町の課題をスポーティーに解決するのをミッションにしています。本来、色々なスポーツをする受け皿になるのが総合型クラブですが、島の現状でいくと既存のスポーツ少年団などの文化はそのままに、きっかけを作ることと、飛び出す出口作りに力を注ぐことにしました。
下記が「小豆島スポーティーズ」が夢中のきっかけを生み出す5つの価値になります。

========================================

1.出会い作り Grass Roots

はじめてのスポーツとの出会いや、より多くのスポーツの普及を行います。年齢に関係なく、いろいろな選択肢を作っていきます。

 

2.町全体をスポーツパークに Sports Complex

町の持つ施設・自然を生かし、様々なスポーティーなコンテンツを作っていきます。皆で作り、皆で維持する新しい公共モデルとして、島・町全体を一つのスポーツパークに見立て創造していきます。

 

3.スポーツをもっと観光資源に Sports Tourism

合宿、強化キャンプの他、集客力のあるスポーツイベントや、より魅力的な企画で島の観光の一つの武器になるよう、現地のスポーツ観光のランドオペレーターとして、関係団体とともに推し進めます。

 

4.スポーツ人材の育成と移住支援 Athlete in Residence

アスリートのチャレンジの場、セカンドキャリア、コーチやトレーナー、栄養士、分析スタッフなど、スポーツで生きる人たちの育成と移住の支援(住む、働く場の提供)を行います。

 

5.島やけど、世界レベル。 Universal Standard

離島だから。と諦めず、世界中の様々な取り組みや、世界へのつながりを持ち込み、夢中から生まれる多くのチャレンジを作っていきます。

島の子が記者会見していたり、飛行場で見送っていたり。

Q:将来の夢は?

自分が思い描く未来には、島の子が入団記者会見の場に立っている、世界に挑戦する子たちを飛行場で見送っている、70歳から新しいスポーツを本気で始めるおじいちゃんがいる、など色々な風景があります。自分の野望としてはやはりプロのバスケットボールチームを作りたい。チーム自体はマイナーリーグにいるんだけど、選手たちをどんどん1部や2部に送り出すような。ここのクラブに来たら、世界を目指せるという、特化したバスケチームをつくりたいですね。

 

クラブは色々な人が集まって、できる事から進めていけたらいい。最終的には、バスケからも陸上からもボルダリングからもチャレンジャーが現れるようになったり。島の子とは限らず、留学や移住で来た人達も含まれます。このクラブがきっかけで島にスポーツに関わる人材が来る。トップへの出口を作る事がまずはゴールです。

 

将来の夢はおじいちゃんになった時、観客席にホットドッグを後ろ手で投げて売っているような、この島のアリーナの名物おじいちゃんになっていたい。そのためには、まずアリーナがあって、観戦する環境があって、熱狂するわが町のチームががあって、というのが不可欠。そんな老後を実現したい。自分らが見ている夢を、子どもらが見てしまうような環境を作っていきたいです。

 

<取材をしてみて>

渡部さんの魅力は、夢があり、どんどん人を惹きつけ、想いが仲間につながるところ。いつも本気なところ。いつも楽しそうなところ。みんな、渡部さんが大好きなところ。

そんな夢の詰まった町のクラブを、役場と民間の皆の力で作った。これは、歴史的瞬間だったかもしれない。

専門家:城石 果純

株式会社DaRETO代表取締役。1984年愛知県生まれ。小豆島在住、リクルート出身の3児の母。
24歳で母親になり「自然がある場所で子育てしたい」と思うようになり、2011年に小豆島に家族で移住。3年間高松への船通勤を経て、2016年個人事業主として独立。2017年株式会社DaRETOを起業。現在は、しまの塾・企業研修・各種ワークショップ開催を通し、地域の課題を地域で解決するスキーム作り「知の地産地消」に取り組んでいる。