アイスプラントの醬(ひしお)菜を植えたビニールハウス内にて、竹本和史さん。

 

小豆島(しょうどしま)は瀬戸内海に浮かぶ離島。人口約28000人、面積約150k㎡。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の大きさだ。小豆島には、先代から引き継いだ木桶仕込みの醤油と佃煮、ごま油を使った素麺、瀬戸内の光を浴びて育ったオリーブを中心とした食品産業と、海・空・山の大自然や小豆島八十八ヵ所霊場などを活かした観光業とがある。伝統ある地場会社が島の基盤となり、【地方創生・小豆島】で紹介してきた企業を始めとする新たな挑戦を続ける企業が一定数存在。その上に近年、若者・子育て世代を中心に移住者が増加。年間およそ250人という人口の約1%に当たる数が移住しており、オシャレなカフェや面白いプロジェクトが生まれている。

 

首都圏への人口・商業施設の集中から脱却を図る「地方創生」が叫ばれる中、人気のある離島ではどのような地域づくりが行われているのだろうか?そこで、小豆島へ6年前に移住した筆者が、小豆島で活躍する企業・事業・人について取材・発信していく。

 

第10回では、運送屋が野菜作りに挑戦している丸島運送店の専務取締役、竹本和史さんにお話をお伺いしました。前編では、業界を超えた挑戦に至った経緯を中心に、お届けいたします。

産業の衰退の危機感から農業に挑戦!

Q:丸島運送店の仕事内容と、醤(ひしお)野菜を始めるに至った経緯を教えてください。

小豆島の主産業である醬油、佃煮、素麺、オリーブといった食品を全国に配送するのが基本的な業務です。島に帰ってきて今13年目、10年間くらいずっと、産業が衰退する中で物流がどんどん減っていってしまうので、それに代わる何かを見つけないといけないという思いがありました。ようやくこれだったらとピンときたのが「醤(ひしお)野菜」です。醬油産業への新しい価値の創出と、農業という部分で言うと、後継者不足、耕作放棄地、低収入など1次産業がかかえる問題解決のきっかけになるのではと思って、スタートしました。

 

醬(ひしお)野菜は、小豆島の醤油産業のブランディングの一躍を担うという想いでやっています。小豆島の醤油の特徴である木桶仕込み醬油を搾った時に出るしぼり粕を肥料として栽培した野菜を「醬(ひしお)野菜」と定義し、今から3年前の2014年に、まずはトマトから始めました。トマトに決めた理由は、トマトは市場のニーズと単価が高いので、事業として成立させることができると思ったからです。

 

採れたら採れただけ買っていただける販路が確保できており、今は東京都内のスーパー「オオゼキ」さんで販売していただいています。「オオゼキ」さんは、都内で39店舗あるのですが、醤(ひしお)トマトはその内の約10店舗で置いていただいています。ただ、夏場毎日各店舗で置いていただける収穫量はまだないんです。(スーパーでは固定客が付いていてすぐ売れるから、「もう無いの?」と言ってもらえている。)テレビなどのメディアに露出すると、他のスーパーにも「取り扱いがないのか」という問い合わせがあるそうで、収穫量を増やしていく必要があります。

 

とても甘いのが特長の「醬(ひしお)トマト」。

価格競争に巻き込まれずに、高収益を実現

Q:醬(ひしお)トマトの収益についてはいかがですか?

農作物の中で、収益はかなり良い方で、一反(10a)あたりでいうと、高いと言われる小豆島産オリーブの2倍以上になります。食品業界は価格競争が激しいですが、そこに巻き込まれていない理由は、実はスタートから仲卸業者さんと一緒に商品開発をしてきたからです。

仲卸業者さんが、ヤマロク醬油さんに来られた時に、木桶醬油の希少性に興味を持っていただいて、そういう話の中で(醤油を搾った後に残る)しぼり粕が目についたそうです。

 

向こうの方から「(しぼり粕を肥料にした)トマトができそうじゃないですか?」と話があった時、ちょうどヤマロク醬油の親戚の方が、プランターで試しに醬油のしぼり粕を使ったトマトを栽培していた。試作で作っていた分ができて、サンプルで送ったところ、「これは美味しい。商品化してもらえたら、全部うちが買います!」と言ってもらえた。先方も、国内の色々な所を回って、既にある商品を見つけるのが通常の中で、商品が誕生した瞬間に携わったのは今回が初めだったそうで、背景として特別な想いを持っていただけています。和食の基礎調味料の醤油から出る副産物のしぼり粕を肥料に使うことで、今あるトマトとは全く違うストーリーのあるブランドトマトになる感覚があって、売る自信があると言っていただけました。

肥料として使っている醬油のしぼり粕。ビニールハウスに入った瞬間、ほのかに醬油の香りが。

専門家:城石 果純

株式会社DaRETO代表取締役。1984年愛知県生まれ。小豆島在住、リクルート出身の3児の母。
24歳で母親になり「自然がある場所で子育てしたい」と思うようになり、2011年に小豆島に家族で移住。3年間高松への船通勤を経て、2016年個人事業主として独立。2017年株式会社DaRETOを起業。現在は、しまの塾・企業研修・各種ワークショップ開催を通し、地域の課題を地域で解決するスキーム作り「知の地産地消」に取り組んでいる。