小豆島(しょうどしま)は瀬戸内海に浮かぶ離島。人口約29000人、面積約150k㎡。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の大きさだ。小豆島には、先代から引き継いだ木桶仕込みの醤油と佃煮、ごま油を使った素麺、瀬戸内の光を浴びて育ったオリーブを中心とした食品産業と、海・空・山の大自然や小豆島八十八ヵ所霊場などを活かした観光業とがある。伝統ある地場会社が島の基盤となり、『連載:【地方創生・小豆島】』で紹介してきた企業を始めとする新たな挑戦を続ける企業が一定数存在。その上に近年、若者・子育て世代を中心に移住者が増加。年間250人という人口の約1%に当たる数が移住しており、オシャレなカフェや面白いプロジェクトなどが生まれている。
首都圏への人口・商業施設の集中から脱却を図る「地方創生」が叫ばれる中、人気のある離島ではどのような地域づくりが行われているのだろうか?そこで、小豆島へ6年前に移住した筆者が、小豆島で活躍する企業・事業・人について取材・発信していく。
最終回の第13回は、【地方創生・小豆島】のまとめとして、運送屋が業種を超えて野菜作りに挑戦をした醬(ひしお)トマトを使って、移住者のキッチンUCHINKUが監修し、地元の高橋商店で加工したトマトソース作りの現場を取材。そして、醬(ひしお)トマト生産者の竹本さんとUCHINKUの西本さん(そして筆者城石)で対談させていただきました。
とってもフルーティな醬(ひしお)トマト。規格外トマトを使用してトマトソース作り。
醬(ひしお)トマトと、ニンニク、醬油(鶴醬)、スパイスなどを混ぜ、煮込んでいく。シンプルだがパンチになる味。左は高橋商店社長の高橋さん、右はキッチンUCHINKUの西本さん
常温、無添加で2年の賞味期限。塩分濃度と糖度(Brix)を上げていく。pH4以下になると菌が繁殖しない。
今回、加工をしたのは創業嘉永5年、160年以上醬油を作り続ける高橋商店さん。
城石:キッチンUCHINKUの西本さんの印象は?
竹本:移住してくる何年も前から毎年太鼓祭りの時にはやってきて、祭りが好きで安田青年団の中に入って、同世代の仲間を作って毎年爪痕をのこして帰っていく印象でしたね。地域愛みたいなのを感じて、愛着を持っていてくれるのがわかりました。
城石:いま世の中に既に出ている動きの中で、移住者が地域を巻き込み始めるのに、大体3年くらいかかっている人が多いのに対し、去年移住してきた西本さんは、地元とのコラボのスピードがものすごく早い印象でした。さらに巻き込むのではなく、巻き込まれている。地元の方が移住者を巻き込んで新しい商品を生み出しているのが特長的でした。
竹本:確かに、その理由は何年も前から彼を知っていたし、祭りを通して仲間意識というものが既に出来ていたからですかね。
西本:今31歳ですけれど、結婚する前にお付き合いをしている段階で、24歳の時から毎年太鼓祭りに来ていました。10月14日の夜のジャンボフェリーに乗って朝こちらに着いて、15日に太鼓をかいて、休めない時は15日の夜にまた帰っていく。そんな感じでした。
例えばサラリーマンで飲食関係の仕事をするなら、手に職がある分色んな所で仕事できますけれど、自分でお店をやるってそこで何十年やっていくということ。地元の方にも移住者の方にも、自分からどんどん入っていかないと、何かあった時に助けられないし助けてもらえない。こういう新しい取り組みも自分から地域に入ることで出来たと思っています。
去年移住してきた時に、青年団の集まりに連れていってもらって、同年代の人たちとすぐ仲良くなりました。「毎年、(太鼓祭りの時)帰って来てたやんな」って言ってもらえて。そこで知り合った地元の食品メーカーで働いている人とも、新しくコラボの話が出てきました。洋食に力を入れたいということで話をもらって、いくつかレシピを書いて渡しました。小豆島の特産品を使った商品で来年中にはできあがる予定です。
城石:どういう経緯だったんですか?
西本:青年団で仲良くなった人から「こんなん作られへんの?」と話があって、「作れると思うで」と言って。UCHINKU監修で、そこにマージンをもらうとかそういう話ではなく。うちはうちでパッケージにUCHINKU監修と入れば宣伝にもなるし、向こうは向こうで売れたら大量生産できる。そこでちょっとでも地元企業が盛り上がればと思っています。僕たち若い世代がどんどん盛り上げていかないと地域も活性しない。お話しを頂いてレシピ作って商品にしていく。それが売れれば地元企業とのコラボがもっと出てくる。そうすれば地元企業が元気になる。活性化された地域には人が集まる。そうすればお店にも人が集まる。
マージンをもらうもらわないよりそうやって人の輪がどんどん大きくなって安田から内海、内海から小豆島町、小豆島町から小豆島全体と輪を広げていきたい。活性化させて輪を広げる事の方が僕はお金どうのこうのより大事。さすがに爆発的に売れたら、ちょっと頂戴って言うかもしれないけれど(笑)僕が聞いているだけだと、小豆島の食品産業は今厳しい部分があるとおっしゃっているのを耳にしました。だったら、自分にできることを少しでも協力はしたい。だから「洋食が弱い」と相談を受けたら、自分にできることはどんどんやる。レシピを考えたり、商品開発したり、いざ商品を作る時に一緒にやる。地元がそれで活性化し続けたら次のステップに一緒に上がっていけばいい。それはこの地域でお店をやると決めて動き出した時に周りからいっぱいお世話になったり、助けてもらったりした事への1つの恩返しの形になればいいなと思っています。
なごやかな対談。写真左がキッチンUCHINKUの西本さん。写真右が醬(ひしお)トマト生産者の竹本さん。
城石:やっぱりそれが新しい感じがする。
竹本:確かにそう。基本的には、距離感がある場合や、(地元と)交わっていない印象はある。人間関係を築くのには、ある程度時間がかかります。
城石:小豆島は大前提として、昔からの産業の下支えがたくさんあって、その中で挑戦している企業があって、そこにUターン・Iターンの方が新しいお店を沢山作っていて。最近になって、地元企業と新しいお店や産業を超えたコラボが出てきました。これが拡大していくことで、地元の企業が活性化していく。人材もどんどん減っていき、リソースも限られる中で、どう外部の人材をうまく巻き込むかがポイントかなと。外部の人間には、島外のコンサルディング会社と島に住んでいる移住者と大まかには2種類に分けられるけれど、外部コンサルを入れてうまく行かなかった所の話も一部では聞いたりする。そういう意味で、移住者をうまく活用しながら、オープンイノベーションを起こしていく事が今後の鍵になるのではないかと思っています。
竹本:共感します。西本くんの場合も、祭りから入ったというのが地元の人の心をつかみ、受け入れられている。自分たちの暮らす安田地区が、たまたま製造業の多い町で、皆が企業のある地区で生きている。隣町の土庄(とのしょう)が商業、旧池田町が農業、こちらが製造業。そういう意識が地元の人にある。
城石:たまたま安田地区が製造業の町で、近くに人が住んでいたからなのでしょうか?移住者も地域(地区)に溶け込んでいる人は多くいるけれど、それが今回の話のように地元企業の新商品に生きているのとはまた別な話な気がします。
竹本:安田地区がというより、色々な事でタイミングがばっちり合ったからじゃないですか。
西本:こちらの企業もレスポンスが遅い所は遅い。今回もらった食品会社さんは、すぐ社長に話を通してくれたので、こちらもやりやすかったです。
城石:確かにレスポンスが早いと仕事はしやすいですよね。ちなみに竹本さんは、どんな移住者だと一緒に仕事をしたいと思いますか?
竹本:一番は自分たちにないスキルを持っていて、かつ地域の文化的なものを理解してくれる人。僕らは「産業の島」という意識でやっていて、都会が思うほど「島はのんびりゆったりしている」という感覚は自分も周りの人も持っていない。島の資源に付加価値を加えてビジネスにしていきたいだけです。ビジネスにはスピード感が大切ですから、自然豊かな暮らしの中でもイノベーションを起こしていきたい。そういう価値観が一致すれば嬉しいですね。
城石:なるほど。竹本さんの現状の地域に対する考え方はどんな感じなのですか?
竹本:ここ数年で目に見えて人が減り出して、自分が関わらないといけない地域の仕事がどんどん低年齢化し、数が増えすぎて、それでも必要で、忙しくなりすぎている。何が必要で何が不要なのかしっかり選別して、何からすべきなのか明確にしていかないといけません。その中で自分の役割をしっかり責任をもって取り組むべきです。自分の中でスイッチが入った瞬間は今から10年前、30歳の時にセミナーに年間20回くらいめちゃくちゃ行って、とにかく色々な人の話を聞こうと思いました。その中で地域活性化を起こすには、地域ごとに基幹産業はそれぞれ違うけれども、「どの地域でもまず初めに、一番就業者数が多い産業で働く人の給料を上げる事を考えないといけない」という話を聞いた時でした。小豆島では醬油佃煮の製造業がそれにあたり、自分の中での目的が明確になり、そこからはずっとどうやって醬油産業に結び付くかを考えていました。でも自分は運送屋だからいつも物流でサポートするしかなかったんですよね。醤(ひしお)野菜の話と出会った時、これなら自分が主となってできると思ったし、醬油産業に別の形で携われると思いました。
城石:「どの地域でもまず初めに、一番就業者数が多い産業で働く人の給料を上げる事を考えないといけない」という考え方は興味深いですね。ちなみに、この島の未来については、どんな感じで考えてらっしゃるのでしょうか?
竹本:島に暮らす30代40代の私達が、島の産業に対してもっと真剣に向き合う必要があると思います。自分にできる事を本気で考えて行動したら、その中から素晴らしい取り組みが生まれる。そしてその取り組みが発展していけば、将来的にこの島は、もともと島の人にある心の豊かさに加えて経済活動が盛んになり、暮らしが豊かになる。まず一歩踏み出すのは大前提だと思うんですけれど、「行動を起こす人は全体の数%、さらにその中で成果を出せる人はその内の数%」という話を聞いて。動けばまず人よりも前に行ける、もしやってすぐに成果が出せなくても、行動した中で数%の人しか成果が出せないなら、1度や2度の失敗で悩むのはお門違いだと思うのです。とにかくやってみようとポジティブに考えアクションを起こしていると、同じような人たちと出会っていって、前向きに考えられる人が周囲にいる環境にたどり着いたんです。このプラスの場で作る事が本当に大切だと思います。
あとはしっかり「お金を稼ぐ」。これまで高度経済成長期の頃は、仕事をすれば稼げました。それは「時間=対価」だったと思うんです。収入が確保できて、僕らは不自由なく大人になる事ができました。今はそれが容易ではない、心のゆとりもない。今は「時間≠対価」で、付加価値をどうつけていくのかという時代。マーケティングやブランディング思考をしっかりもって、新規事業が生まれるよう考えていかなければならない。新しい取り組みがひとつひとつ確実に根付いていけば、活性化する事ができ、島の人たちの暮らしを豊かにし、この島の問題は良い方向へ変わると思っています。
「醬トマトソース」今年は島内のヤマロク醬油とキッチンUCHINKUをメインに販売。
24歳の頃から祭りに来ていたという西本さん。たまたま住んだ地区が、暮らしと仕事が近い距離だったことがきっかけとなり、様々なプロジェクトから声がかかっています。
また、全体の数%の人しか成功しないのなら、一度や二度の失敗で悩むのはお門違いだと言う竹本さん。自分らしい地域への関わり方を見つけました。
多くの地域で見られなくなった、伝統や地域社会が残る小豆島。伝統が残っているのは、継続力があり変わらなかったからで、誇るべき事です。その一方で、継続する事への意識があり、失敗に対しての人の目や声が気になるのも、やはり地域の結びつきが強いからだとも思うのです。ただ若い(?)世代は、色々な事にどんどん挑戦しています。そんな挑戦が沢山出てきて、とても楽しいです。
地方創生・小豆島、最終回まで読んで下さり、本当にありがとうございました。次回は新連載「『自分の生き方を創るための選択〜小豆島移住7年目、3児の母の起業奮闘記〜』の第一回 小豆島での起業までの経緯と道のり」でお会いしましょう!
専門家:城石 果純
株式会社DaRETO代表取締役。1984年愛知県生まれ。小豆島在住、リクルート出身の3児の母。
24歳で母親になり「自然がある場所で子育てしたい」と思うようになり、2011年に小豆島に家族で移住。3年間高松への船通勤を経て、2016年個人事業主として独立。2017年株式会社DaRETOを起業。現在は、しまの塾・企業研修・各種ワークショップ開催を通し、地域の課題を地域で解決するスキーム作り「知の地産地消」に取り組んでいる。