起業の数だけ人生がある。様々な出会いやタイミングが重なった先に十人十色の経営者がいる。

学生時代のビジネス経験、TOP営業としての輝かしい新卒時代、創業期IPO前のベンチャーで経験した思いがけない挫折、転機。一瞬一瞬の流れの中で手放したもの、手放さずに握り続けたもの。

今回の経営者インタビューは株式会社はぴきゃり代表取締役 金澤悦子さんにお話をお聞きしました。

コンパニオンから企業のイベントプロデューサーに:学生時代にビジネスの原体験

Q:どのような学生時代を過ごしましたか?

金澤 悦子さん(以下、金澤):

大学の時、会社のようなものを運営していました。なんというか、気づいたらビジネスの流れができていて、その真ん中に自分がいたというか。ちょうどバブル絶頂期。誰もが楽しい時代でした。きっかけはコンパニオンのアルバイトです。いわゆるパーティーではなく企業展示会のコンパニオン。会場に訪れたビジネスマンにサービスや商品の説明をするお仕事です。ご案内側として担当企業の新商品やサービスの勉強をしなければならないのですが、展示会でお披露目されるような最先端の情報に触れることがとにかくおもしろかった。

でも、コンパニオンのお仕事をいただくためには厳しいオーディションがありました。「はい、そこに立って」と線が引いてあるステージに一列に並ばされ、身長がラインに満たないと「はい、NG」。美人で常連の人もいましたが仕事自体にやりがいを感じていた私としては展示会当日はもちろん、事前の商品知識の勉強だって力の入りようが違います。1つ1つオーディションをくぐり抜けて必死の思いで掴んだお仕事ですから、そりゃあ一生懸命やりました。

すると、ちゃんと見ていてくださる企業の方がいて「君いいね」ってオーディション無しで直接仕事をくださる機会が増えました。ひとって信頼されると嬉しくなってまた頑張るじゃないですか。気づけば自分一人で受けきれないくらいコンパニオンのオファーをいただくようになっていました。

受け切れないけれど、断るのも申し訳ない。なんとかしたい。そこで、途中から信頼できる友人を紹介し始めました。そこからまた信頼の輪が広がって、お仕事も関わる人々も増えていったのです。相場よりもマージンが低い分、企業はコストダウンでコンパニオンを確保できて、友人達もコンパニオンの仕事が得やすくなるという状況ですね。双方周りのみんなが喜んでくれたのが何より嬉しかった。

最終的に自分自身はコンパニオンをせず、企業にイベントのお仕事をいただきに行く営業兼プロデューサーのような役割になっていきました。収入も学生アルバイトの域を超えていましたし、ちょっとした会社経営に近かったと思います。

でもお金には代えられない気づきがたくさんありました。ビジネスにおける信頼関係の大切さ、そして自分の得を優先するのではなく「相手の期待に応えたい」「誰かのためになりたい」と一生懸命になることで仕事がまわる素晴らしさ。これを体感できたのは本当に幸せでした。私のビジネスの原体験は間違いなくこの大学時代ですね。必然的に美人の友人が多くなり「お前の電話帳がそのまま欲しい」「飲み会やってくれ」と男の子によくお願いされたのも良い思い出です。いろんな意味で周りに還元していました(笑)。

ルイ・ヴィトンのバッグを持って面接、「3年で辞めて起業します!」:リクルートに入社

Q:なぜ就職という道を選ばれたのですか?

金澤:

大学時代に父が他界しました。コンパニオンのビジネスモデルがうまく回っていたおかげで当時そこそこの収入はあったのですが、家族のためにも一度企業に就職しようと決めました。弟もいましたし母は専業主婦でしたから。まさに一家の大黒柱です。急遽、就職活動を始めたものの周りは既に内定が出始めていたタイミング。内心焦りました。

でも、ピンチの時ほど出会いがある。当時、たまたま就職活動生のための私塾をやっている方に知り合いました。この出会いがすべての始まり。内定獲得に向けて、それはそれは厳しいご指導をいただきました。その方とのちょっとした会話すら緊張感抜群。とにかく厳しかった。でも、その方についていけば間違いないと信じさせる何かがありました。だから必死で食らいついていきました。またその方のアドバイスがまたユニークで。「3年で辞めて起業しますって面接で正直に言え」「お前はリクルートスーツなんか着て行かなくていい」とか。そんな調子でしたから、私コンパニオンのオーディションに行くような服装でルイ・ヴィトンのバッグを持って面接に行って「3年で辞めて起業します!」って宣言していました。

リクルートの最終面接で役員はうーんって目をつぶってしばらく何か考えていましたね(笑)。しばらく結果が来なかったところを見ると補欠で繰り上げ内定だったのではと思います。ある意味、遅れを巻き返す作戦勝ち。でも結果、自分の個性を出したからこそ自分をそのまま生かせる会社に出会えた。あの方には今でも本当に感謝しています。だから、入社後あっという間に仕事に夢中になりました。めちゃくちゃ楽しかったですね。営業が楽しくて楽しくて「3年で辞めて起業します!」なんて宣言していたことさえ忘れて毎日走り回っていました。

「角を矯めて牛を殺す」?プレイングマネージャーとして数字の鬼に

Q:なぜリクルートを辞めてキャリアデザインセンターの創業に参画されたのですか?

金澤:

一緒に行かないか?というお誘いを受けたのです。奇しくもちょうど社会人3年が終わるタイミング。「あ、そうだ!私、3年で辞めるんだった」と思い出し、ぱっと辞めました(笑)

Q:20代後半から30代前半のキャリアデザインセンター在籍時、キャリアの転機はいつですか。

金澤:

体調を崩したことですね。上場に向けてプレイングマネージャーとして数字の鬼になっていました。営業数字のヨミ会で「その数字取れるって言ったよね!?なんでいかないの?」と熱くなり、バーン!と手元の資料をテーブルに投げつけたことに尾ひれがついて「金澤さん、あの時セロテープの台を投げた」と恐ろしい逸話が生まれたくらいです(笑)。

そのようなマネジメントに耐え切れず辞めていったメンバー達もいました。色々な想いが重なり過ぎて自分にも厳しかったし周りも許せなかった。本来の自分ではなかったですね。そして極限まで働いて働いて、ある日倒れました。その時、キャリアデザインセンターの代表多田さんに言われた言葉は今でも忘れません。

「いいか、エツコ。’角を矯めて牛を殺す’という言葉があるぞ」と。

この言葉をご存知ですか?牛の曲がっている角をまっすぐに伸ばそうとして、力任せにぐいぐいやると大事な牛を死なせてしまうという意味です。メンバーの小さな欠点が許せず力の限りにぶつかって、相手を折ってしまう。ああ私がやってきたことはまさにこれだったな、と。多田さんは全てお見通しだったのでしょうね。

(後編はこちら

取材・記事作成/伊藤 梓
撮影/加藤 静

【専門家】金澤悦子氏
株式会社はぴきゃり 代表取締役/ はぴきゃりアカデミー 代表/
i-colorエグゼクティブトレーナー

1991年、 株式会社リクルート(現株式会社リクルートホールディングス)に入社。営業に従事し、新人MVP賞を受賞。1994年、株式会社キャリアデザインセンターに創業メンバーとして参画。広告営業で同社初、売り上げ1億円を達成。広告営業局局次長、広報室室長を歴任するも、仕事との距離感がつかめずに心と体を痛めてしまう。この体験をきっかけに、「幸せに働くってどういうこと?」という問いへの答えを求め、2001年、日本初の総合職女性のためのキャリア転職マガジン 「ワーキングウーマンタイプ(現ウーマンタイプ)」を創刊、編集長に就任。編集長時代、5000人以上の女性を取材。ハッピーキャリアを見つけるための4つのステップを体系化する2005年に独立し、有限会社フォーウーマン(現株式会社はぴきゃり)を設立。11年、女性限定キャリアの学校『はぴきゃりアカデミー』を開講。統計心理学i-colorを使ったオリジナルメソッドにより、年間300人以上の女性たちを「ココロとサイフが満たされる仕事発見」へと導いている。 40歳で第一子を出産。休みの日は趣味のサンバを楽しむ。2015年12月8日新刊『働くママの仕事術』(かんき出版)を上梓。
ノマドジャーナル編集部
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