「パラレルキャリア」、最近新しい働き方として注目を集めています。
今回は、「パラレルキャリアを始めよう」の著者であり、NEC、GEを経て雇用に関して研究するゼミを主宰されている法政大学大学院の石山 恒貴教授と、かつてはダイヤモンド編集長として幾多の経営者インタビューに携わり、同社取締役の後は社外取締役を兼任しつつ帝京大学経済学部教授に転じられた辻廣 雅文教授によるインタビューです。
第一回は、パラレルキャリアとは何か、です。
最近は本業×社会活動として、NPOに参加する二枚目の名刺を持つ人も増えてきました。日本型雇用は良いところもあるが、もう少し柔軟化するべき、との提言を頂いています。
本業×NPOというアプローチの方が入りやすい。パラレルキャリアの始め方
石山 恒貴氏
辻廣 雅文さん(以下、辻廣):
『パラレルキャリアを始めよう』(ダイヤモンド社)という本を書かれましたね。「二枚目の名刺」があなたの可能性を広げる、というサブタイトルがつけられていて、帯には、「本業×社会活動」とあります。
石山 恒貴さん(以下、石山):
パラレルキャリアとは、文字通りに現在の仕事以外の仕事をもう一つ持つ、あるいは、非営利活動(NPO)に参加する、一言で言えば、そういう複線的な生き方です。
辻廣:
日本のこれまでの典型的な働き方というのは、新卒で会社に入り、ローテーションで様々な仕事を経験し、鍛えてもらい、次第に偉くなり、給料も上がって、定年までその会社に務めるというものでした。
ところが、経済が成熟し、企業の成長が止まり事業を拡大することができなくなると、皆揃ってそこそこ偉くなるということができなくなった。部長どころか、課長にもなれないかもしれない。それどころか、リストラ対象になるかもしれず、明日をも知れない、という閉塞的な状況になってしまった。
ビジネスマンの多くが希望を持てなくなるなかで、私は、会社にしがみついていないで、自分の能力を生かすために気軽に転職する社会、流動性の高い社会になればいいなあ、と考えていたのですが、会社に勤めていながら、別の生き方もするというパラレルキャリアの考え方も非常に柔軟で、可能性が感じられますね。それも、本業✕本業もいいけれども、社外活動からまずはじめましょうということなんですね。
石山:
そうですね。もちろん、本業✕本業で全然いいんですけども、いきなりそこに行くのは難しいかもしれない。だったら、本業×NPOというアプローチの方が入りやすいじゃないかなと考えました。
辻廣:
なるべく踏み出しやすいところからガイダンスしようと。
石山:
会社側も、プロボノとかパラレルキャリアとか社外活動をするってそれはすごく良いよね、社外に出て新鮮な視点を持てるようになると、本人の能力は上がるし会社も得ですよね、でも転職されたら困ります、という前提がある。だから、言い方がすごく難しい。
日本型雇用も良い部分はあるが、もっと柔軟化した方がいい
辻廣 雅文氏
辻廣:
この本を書こうと思った動機は何ですか。
石山:
私はこの大学院で雇用に関して研究するゼミを持っています。ゼミ生と勉強を続ける中で、次第に日本の雇用は柔軟化していくべきだと考えるようになった。先ほど辻廣さんがおっしゃったような日本型雇用の特徴を決して全否定するわけではなく、日本型雇用に良い部分はあるんだけども、やはりもっと柔軟化した方がいい、それを訴えたいというのが動機です。
辻廣:
柔軟化って、どういう意味ですか。
石山:
私はこの本を、ダニエル・ピンクの『フリーエージェント社会の到来』(ダイヤモンド社)の類書ですと説明しているんです。今後、雇い方・働き方はフリーエージェントなど柔軟化していく面もありますが、そうは言っても、今はまだ日本型雇用ってカッチリしていて、すぐに大きく変わるわけではない。残した方が良い部分もある。だから、もっと多様化するということをまず考えたほうがいいと思ったんですね。
辻廣:
多様化することが、柔軟化ということですね。
石山:
そうです。私のゼミでは、会社に勤務していながら社外のコミュニティに参加する人を研究していました。これを「越境学習」を呼びます。で、越境学習者を追いかけているうちに、NPO「二枚目の名刺」さんの活動に出会った。私が考えていた「越境学習」のコンセプトと同じで、会社が嫌で逃避的に外にいくのではなく、会社で本業を一生懸命やっているんだけど、外に出て学ぶこともする。そしてその学びを本業に活かすという相乗作用で本人も会社も活性化されていくのを見て、おもしろいなと思ったんです。そこからそれに類する団体をどんどん調べ始めたらいろいろ溜まったので、一冊書いてみようと思ったのが経緯ですね。
無邪気に終身雇用でいけると思っている20代、30代はいない
辻廣:
1980年代までは、日本のサラリーマンのほとんどは会社命で本業集中型でした。越境して何かを学ぼうとか働こうという人は、いなかった。それがどうして、2枚目の名刺を持とうとか、パラレルキャリアをしようする人たちが出てきたんですか。
石山:
第一には、必ず定年まで勤められるとは、皆もう思っていないからです。20〜30 代の意識調査をすると、終身雇用を望む意識が見られますが、実際に、「じゃぁ、あなたはこの会社に一生安泰でいられると思いますか」って聞くと、ほとんどの人が首を振る。我々の時代のように無邪気に終身雇用でいけると思っている20代、30代は少ないでしょう。
辻廣:
それは2000年代前半の就職氷河期に新卒で多くが正社員になれずにロスジェネと呼ばれた世代のことですか。
石山:
ロスジェネだけではなく、それ以降はその傾向があります。そうなると、やっぱり何かしておかなきゃいけないという想いがあるから、外に学びに行くというのは何も不思議なことじゃない。第二は、「2枚目の名刺」さんとかプロボノのような方々のお話を聞いて実感したんですが、特に3.11の震災以降、何か社会貢献したい気持ちをみんな持っているんですね。でも、実際はなかなか一歩が踏み出せない。本にも書きましたが、社会活動のプロジェクトが3ヶ月とか短い期間だと、じゃあちょっとやってみようかなと背中を押されて、踏み出せる。
辻廣:
自分の将来やキャリアに対する不安感がある一方で、社会と関わりたいという意識も強くなっている。
石山:
そうですね、社会との関わる意識ですね。
それが出てきている。私の研究の領域に「実践共同体」という概念があります。「実践共同体」は企業の内部にも外部にもあるんですが、ある領域に情熱を燃やす人たちが自発的に集まるコミュニティという定義です。で、最近そういうコミュニティが増えている。このコミュニティは、「サードプレイス」とも呼ばれています。会社でも家庭でもない第三の集まり、という意味です。そういう集まりに参加していると人生がちょっと豊かになるということで、アメリカではそうしたNPOがすごく多い。日本でも、会社でも家庭でもないコミュニティが増えていく可能性が結構あると思う。
(後編に続きます)
取材・インタビュア/辻廣 雅文
撮影/加藤 静
一橋大学社会学部卒業、産業能率大学大学院経営情報学研究科経営情報学専攻修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科政策創造専攻博士後期課程修了、博士(政策学)。一橋大学卒業後、日本電気(NEC)、GE(ゼネラルエレクトリック)、バイオ・ラッドラボラトリ-ズ株式会社執行役員人事総務部長を経て、現職。ASTDグロ-バルネットワ-クジャパン理事。
論文:「組織内専門人材の専門領域コミットメントと越境的能力開発の役割」『イノベ-ションマネジメント』NO8.2011年、「人事権とキャリア権の複合効果-専門領域の構築に対して」『日本労務学会誌』第12巻第2号.2011年
著書:『組織内専門人材のキャリアと学習』生産性労働情報センタ-、2013年、他
1981年慶応大学卒業、株式会社ダイヤモンド社入社。週刊ダイヤモンドの経済記者として、家電、通信・コンピュター、流通などの業界を担当。91年副編集長就任、銀行・証券業界、マクロ経済を担当。2001年編集長就任、巻頭コラム、経営者インタビューを担当。04年マーケティング局長、06年取締役、経営企画などを職掌。
現在、帝京大学経済学部経営学科教授。株式会社プリンスホテル社外取締役。
専門家と1時間相談できるサービスOpen Researchを介して、企業の課題を手軽に解決します。業界リサーチから経営相談、新規事業のブレストまで幅広い形の事例を情報発信していきます。