電子ブックの作成をはじめとした多様なウェブアプリケーションを提供するスターティアラボ株式会社(東京都新宿区)の取締役CPO(Chief Product Officer)であり、岩手県花巻市で110年続く老舗企業・株式会社小友木材店の4代目社長であり、地元の街づくりのためにさまざまなアプローチを行う株式会社花巻家守舎の代表取締役でもある。月の半分は岩手、もう半分は東京で過ごす「パラレル経営者」だ。

小友さんはなぜ3社の経営者を兼務しているのか。そして、パラレル経営を可能にしているものは何なのか。インタビュー第2回では、スターティアラボ取締役と小友木材店社長を兼務することになった経緯と、林業の発展に向けた思いを詳しく伺った。

「月の半分だけでもいいから、スターティアの仕事もできないか?」

Q:小友さんは2009年に設立されたスターティアラボで執行役員に、2011年には取締役に就任されています。そんな中で、「会社を去らなければならない」という状況に直面したんですよね?

小友康広さん(以下、小友):

はい。私が取締役に就任した翌年、家業の小友木材店(岩手県花巻市)を経営する父のガンが発覚したんです。早期発見ですぐに手術をし、社長業が続けられなくなるようなことはなかったんですが、もともと「30歳になったら帰ろう」と考えていたこともあって、想定したよりも早いタイミングではありましたが会社に辞表を提出しました。新卒でスターティアに就職したのは、「小友木材店を発展させるために東京で修行しよう」と考えたからなんです。

しかし代表の本郷(本郷秀之氏:スターティア株式会社代表取締役兼最高経営責任者)に辞める意思を伝えたところ、「月の半分だけでもいいからスターティアの仕事もできないか?」と言われて。

Q:驚きの提案ですね。

小友:

そうですね。それはひとえに本郷の懐の深さによるものだとは思います。

私にとって小友木材店はとても大切な存在で、111年続く会社を私の代で潰すわけにはいかないと思っていましたし、私しかやる人間がいないという事実もありました。スターティアラボは、極論を言えば私がいなくても回っていきます。ただ自分が立ち上げたという思いもあり、スターティアラボのことも大好きで(笑)。

とはいえ、「月に半分しかいられない」なんて会社に迷惑をかけると思い、固辞したんです。スターティアグループには勤勉な人間が多くて、皆頑張っていますから。中途半端な関わり方をすると会社に悪影響であり、そうした働き方をすること自体が迷惑になると思っていました。それは本郷にも率直に伝えましたね。「自分を買ってもらえるのは本当にうれしいけど、良くない前例を作ってしまう」と。

そうしたら最後に本郷が「そんなことを言う奴がいたら、『お前は小友と同じか、それ以上のパフォーマンスを発揮できているのか?』と問い詰めてやるよ」と言ってくれて……。その言葉に胸を打たれて、お言葉に甘えることにしたんです。2つの役職を兼任するために自分が頑張ればいいだけのことだ、と。そんな経緯で、小友木材店の経営者とスターティアラボの取締役を兼任することを決断しました。

「ユニークな存在」であるためのキャリアパスをもらった

Q:それがたとえば渋谷区と新宿区の2社であれば分かる気がするのですが、遠く離れた東京と岩手県花巻市という、物理的な距離がある中での決断だったんですよね。率直に驚きを感じます。

小友:

当時はまだ、小友木材店に関しては父親からいろいろと教わり、引き継ぎをしていこうという段階だったので、花巻にいるのは月のうち1週間程度でした。頭の中の大半はまだスターティアグループのことを考えていれば大丈夫だったんです。小友木材店での仕事は覚えること、理解することが大半で、「決断する」「考える」ということはなかったので楽だったんですよ。

その後、父が他界して私が社長となり、「決断する」「考える」という必要が出てくると、もう「しっちゃかめっちゃか」になりました(笑)。それぞれの会社にちょっとずつ、いや、多大な迷惑を掛けながら今の私が存在しています。

Q:そうやって2つの生き方を両立しようと決めたときは、どのような気持ちでしたか?

小友:

とてもワクワクしていましたね。心の中では「すごく良いキャリアパスをもらったな」という思いもありました。最先端を走っているIT企業の役員でありながら、その対局に位置するような昔ながらの産業である林業を経営しているという。これ、どちら側から見ても面白いじゃないですか。私が最もテンションが上がるのは「自分はユニークな存在だ」と感じるときなんですよね。いちばん大切にしている価値観だと言ってもいいかもしれない。

誰もやっていないことや、過去に誰かが挑戦して挫折したことに挑戦するのがいちばん燃えるんです。だから「難しいな」などと考えることはなくて、「ラッキーだ」という思いしかありませんでした。スターティアで新規事業に配属されたり、商品開発を担当させてもらったりしたときも同じでしたね。

不動産事業で高収益を上げている、安定の木材店

Q:小友木材店の専務として戻ってからは、どんなことから始めたのでしょうか?

小友:

現存している限りの決算書と、重要な契約書関係にすべて目を通すところからスタートしました。その結果、「この会社はしばらく何もしなくても回るぞ」という逆カルチャーショックのようなものを味わいまして……。

 

小友木材店は祖父の代で財を築き、父の代で花巻にあった製材工場をショッピングモールに変え、不動産事業にコンバートしているんですよ。その結果、売上構成の7割以上を不動産事業が占めていました。さらに、その内の利益の大半はショッピングモールが占めていて、万が一に備えた違約金契約などもきちんと締結されていました。

Q:林業とは違う部分で経営基盤を築かれていたんですね。

小友:

当時、木材事業単体では赤字だったんです。父はずっと人を新規で採用していなかったのですが、その理由が分かりました。遠野工場(岩手県遠野市)という林業の拠点を持っているんですが、そこに勤めるのは70歳代2人と58歳の3人。この人たちが引退したら、拠点を閉鎖するつもりだったんだと思います。後で父の同級生の方々から聞いた話では、「林業を辞めたくないんだよね」という気持ちも漏らしていたそうですが……。身内には言いたくなかったんでしょうね。

私は父から一度も「帰って来い」と言われたことがなかったんですよ。「小友木材店を継げ」ということは一度も言われなかった。「好きなことをやればいい。もし会社をやりたいなら出資してやってもいいぞ。お前が帰ってこなくても回るようになっているから」なんて言われていて。ずっと「本当かよ」って思っていたんですが、いざ帰って資料を見てみたら「本当だ!」と(笑)。林業を立て直していこうと思っていましたが、実態はちゃんとした収益の基盤を持つ不動産会社だったんです。

Q:この状況は、会社を引き継ぐにあたってはある意味アドバンテージだったのではないでしょうか?

小友:

いや、逆に恐怖を感じたんですよ。この環境……「たった5年、10年の安定」に目がくらんで、自分がチャレンジをしなくなるのは絶対に嫌だと。そもそも、人口減少が進んでいるのに、競合他社である郊外型ショッピングモールが地元にも増えてきていて、そこからの収入がずっと安定していくとは考えられませんでした。「10年間の安心、20年後のリスク」だとしかとらえられなかったので、不動産事業を伸ばすという方向性は頭の中にありませんでした。

小友木材店として何を伸ばすべきかを考えれば、それはやはり林業だろうと。私の中では、林業は知れば知るほど可能性が広がっていく世界だと感じています。実際今期も、林業だけでしっかり黒字を出せています。

ITの力で、林業を変える

Q:今の時代に、林業で黒字を出していく秘訣は何でしょうか?

小友:

我々が手掛けているのは建築材加工をして売るという形での林業ではなく、山から木を切り出し丸太を売るという素材産業としての林業なんです。バイオマス発電が注目され、円安で海外材の輸入コストが上昇していることもあり、利益を上げやすい事業となっています。私が社長となってからは、累計での木材買取価格は上がる一方ですね。

Q:この流れは当分続くのでしょうか?

小友:

いえ、これも持って10年というところではないでしょうか。私自身は「大規模なバイオマス工場はいずれ破たんする」と考えています。本来バイオマスとは、「余った端材を使う」ものなんですよ。切り出した木を家作りやモノ作り、紙の原料に使い、最後に残った端材を燃料にするのがバイオマス。もともとの需要がないからといって「燃やすために切る」ようでは、そもそも採算が合わないんです。今は国が補助金を付けてくれていますが、それが切れたらもう回らない。

ドイツで行われているような「我が村だけの小規模バイオマス」といった形であれば継続性を感じるのですが、補助金を付けて事業化している時点で本来はアウトなんでしょう。

Q:今後はどのような戦略を描いているのですか?

小友:

本来の林業も、ちゃんとやれば儲かります。課題は、「林業っていいな」と思ってくれる就業者が極端に少ないことなんです。林業への就労希望者を増やさなければいけない。高額な給料をもらえているわけではないけど魅力的に思える仕事とは、「ライフスタイルの一部として取り入れられていることがカッコいい」と思えるような産業から生まれるんですよね。そんな風に林業を変えていきたいと思っていて、それを促進するためにITはものすごく役に立つと考えています。

Q:具体的にはどのような取り組みを進めていくのですか?

小友:

まず、人を採用する際には「基本的なITスキルがあるかどうか」を募集条件にしています。営業シーンでクラウド上に共有している木材の写真をプレゼンに使うなど、ITを活用することで効率化していけることがたくさんあるんです。

ITの活用という点では、面白い事例もあります。林業の世界には、山を見て目利きをする「山見」という仕事があるんですよ。山を所有しているというと「一山丸ごと持っている」と勘違いされる方も多いんですが、実際は山の斜面ごとに所有権が分かれているケースが多いんですね。斜面には境界があって、山見はそこを確認しながら歩いただけで「この山にはこんな種類の、樹齢何年くらいの木がこれくらいあって……」と判断できる。それを元にして、林道の通し方や伐採計画、土場を作る場所など、効率的に利益を出す方法を計算していくんです。目利きのバイヤーのような存在ですね。

境界は素人には分かりませんが、プロが見れば即分かります。杉山なのに一列だけ松が植えられているといったような、境界線を示す木がある場合には素人目にも分かりやすいんですが、プロは「このあたりは樹齢20年で、向こうは30年以上。だから境界線はここだ」という判断が下せるんです。

こうした山見の技術を身に付けるには通常2年はかかると言われています。極めて属人性の高い、数値化しづらい世界なんですが、この技術を何とか見える化できないかと考えて過去の山見データを集計しました。その結果、収益に大きく影響するのは「林道の通し方」だということが分かったんです。赤字山になってしまうところは、林道の通し方やその配置に問題があったんですね。

新しく入った人には「林道の通し方」にとにかく気をつけてもらうよう徹底しました。その結果、昨年は赤字山がゼロになったんです。

Q:昔ながらの林業関係者や社員の方は、そうした新しい取り組みにどのような反応をされていますか?

小友:

意外と好意的ですよ。少なくとも、私が遠野工場を残そうとしていることをものすごく喜んでくれています。とは言いながらも、「ワシらは50年やってきている。それに比べたら社長は林業を全然分かっていない」と説教されることもありますけどね(笑)。

随分とストレートな物言いをされる方も多いんですが、社長だからといって変に気を遣われるよりは、本音で語ってくれたほうがうれしい。事実、山に関しては彼らのほうがプロフェッショナルなので、山について説教されたらもう、勝ち目がありません(笑)。ただし事業として利益を出していくことに関しては私のほうがプロなので、その点は譲らないようにしています。

 

《 編集後記 》

スターティアラボと小友木材店。2社の経営者として異例のキャリアをスタートさせた背景には、スターティアグループが小友さんに寄せる強い信頼があった。スターティアでの経験は、「林業を変える」という小友さんの新たなやりがいにつながっていく。

 

第3回では、花巻家守舎という「第3のパラレル経営」について、そして岩手と東京をまたいで活躍する小友さんの今後にかける思いを伺う。

 

取材・記事作成:多田 慎介・畠山 和也

専門家:小友 康広

1983年2月13日、岩手県花巻市生まれ。大学卒業後の2005年にスターティア株式会社へ入社し、新規事業「ActiBook」の立ち上げと東証マザーズ上場を経験。2009年、スターティアの100パーセント子会社として設立されたスターティアラボ株式会社の執行役員に就任、2011年より取締役(現職)。2013年、地元花巻で110年続く家業・株式会社小友木材店の専務取締役に就任、2014年より代表取締役(現職)。2015年、花巻市中心市街地のリノベーションを通じて街づくりに取り組む株式会社花巻家守舎を設立し、代表取締役に就任(現職)。